第四十二話 政策は、多数決で決めます!

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第四十二話 政策は、多数決で決めます!

「この辺の道路、いつになったら修繕されるんだ?」  車が上下にガタガタと揺れるので、ハンドルを握る手に思わず力が入る。  道路にはひび割れ、凹凸が多数あり、速度を出すと危険を感じた。速度抑制のために道路に低い段差を付けることはよくなされているが、それとは異なる。単に、整備がされていないのだ。 「ここは、まだ大学構内か。じゃあ、大学が直せばいいはずだが……まあ、ここだけの話じゃないけど」  道の状態が良くなった辺りで私は、アクセルを踏んだ。  その時だった。 「あっ!」  進行方向に黒い物体を見つけた。慌てて、急ブレーキを掛ける。  物体の手前で何とか、停止することができた。  夕暮れで、視界が悪くなりつつあったが、それは人のように見えた。 ――ふう、危うく、ひいてしまうところだった。  目を凝らすと、倒れているのは、制服を来た学生……女子生徒のようだ。 ――急病か? ともかく、助けないと。  救急車を呼ぶか、意識があるなら車で近くの病院に運ぶか、どちらかだ。幸い大学の近くだ。大学病院は遠くない。  外に出るために、ドアに手を掛けようとしたときだった。  コツコツと窓を叩く音が聞こえた。 「オッサン、開けろよ」  ガラス越しに男が立っている。丈の短い学生服にダボダボのズボン。手には……バットを持っていた。  見覚えがある。確かニュースでやっていたはず……あれだ! ――おやじ狩り。  まさか、自分がターゲットになるとは、想像もしていなかった。  道路に倒れていた女子生徒は立ち上り、スカートを叩いていた。  そうか、身を挺して車を止める役割だったのだ。  道路わきの暗がりから湧き出すように、何人もの男女が現れた。気が付けば私の車は、10名ほどの若者に取り囲まれていた。  脳裏に『ヤンキー』とのワードが浮かぶ。  とっくに死語となっていたその単語がメディアに出始めたのは、最近のことだ。  二十歳以下の若者が、昔のヤンキーの格好を真似て『おやじ狩り』を始めた。それは、社会問題化していた。 「早く開けろよ!」  ヤンキーは、額に皺を作って車内を睨みつけながら、バットで地面を叩いた。  逆らうのは得策ではない。  そう思った私は、窓を半分だけ開いた。 「おっさん、金持ちみたいだな。BMWってロゴがあるけど、高い車なんだろ、これ」  ヤンキーは表情を崩して、いやらしい笑い顔を作った。 「な、何が目的だ」 「決まってんだろ。金だよ、金。こんな車に乗れるくらいだから、たんまり持ってんだろ」  お金は正直言って、そんなにない。  長らく大学教授として働いてきたが、給料は高くない。  子供がやっと就職したので、少しだけお金に余裕が出来た。そこで、昔から欲しかったこの車を長期ローンで買ったのだ。 「私は、キャッシュレス派でね。現金は持ち合わせていない」  財布に現金は入っていない。いつもは、スマホ決済か、クレジットカード払いだ。 「何だと!! 歯向かうのか?」  ヤンキーを煽ってしまった私は、心臓の鼓動が高まるのを覚えた。 「リーダー、車をボコってやれば、考え変わるんじゃねーすか?」  車の正面に立っていた女子が、手にもっていた太い棒を振り上げていた。 「待て待て! この車自体を頂くって手もあるだろう!」  ヤンキーは、慌てて女子の行動を制した。 「さすがリーダー、名案っすね。この車、高く売れそー」  女子は「へへへ」と笑った。  車を奪うだと。どれだけ苦労して買ったと思っているんだ。  まずは、妻に欲しい物を買って気分を良くした。それから、半年かけて説得して……。  私は、カッと頭に血が上った。普段は穏やかだが、逆鱗に触れると一気に沸騰してしまう。そんな側面があった。 「警察を呼んでやる! ただで済むと思うな」  火に油を注ぐ発言だが、口から出るのを止めることはできなかった。しかし、予想に反してヤンキーは、穏やかな笑みでこう答えた。 「俺たち未成年。罪になっても、めちゃ軽いの。知らないのオッサン? 殺人を犯しても、3人までなら、親の保護観察だけー」 ――ああ、そうだった。  目の前が真っ暗になった。法律ではそうなっているのだ。なんて馬鹿げたことなのだろう。 「有名なあのエピソード、知らない訳ないよね。俺たちの神『サトル様』のこと」 ――西脇サトル。法改正のきっかけを作った人物だ。  未成年で殺人を犯して少年院に入ったサトル。出所してから改心した彼は、慈善活動に打ち込んだ。十年にも及ぶ活動で救われた人は、数知れず。そのエピソードが人々の心を打ち、未成年者の更生機会を最大化すべきとの声が上がった。 「若者には改心するチャンスを、良い理念だね~」  ヤンキーは、いつの間にか取り出していた刃渡り20センチほどのサバイバルナイフをペロリと舐めた。どんな悪事を働いても、改心して活動すれば社会に役立つことができる。その典型例を西脇が作ってしまった。  個人が特定されたこの手のエピソードに国民は弱い。  多くの人が感涙した。そして、法律が改正された。未成年者への罰則は軽減され、少年院は廃止された。犯罪を犯した者は親権者がちゃんと監視すればいい、そんな何の抑止力もない方策が採用されたのだ。 「昔なら、そんな法案、絶対に通らなかったのに……」  頭がクラクラしつつ、溜息をついた。  ニュースで報道されている、おやじ狩りの結末は大体同じだ。  狩られたオヤジは、犯人の身元が割れないようにするために意識不明になるまで殴られるか……もしくは殺されるかだ。  こんな理不尽な事があっていいのか。 「発端は全て、あの悪法『国民多数決法』だ」  ヤンキーは「早く開けろ」と叫びながら、車のドアをガタガタさせている。  そういえば、今日のゼミで学生に、この話をしたっけ。  つい先ほどまでいた、研究室での会話を思い出していた。  それは、死を間近にした人の頭に浮かぶ、走馬灯を見る感覚だった……。
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