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* * *
人が持つ特性……か。
短い回想が終わった。
「ハ、ハハハハ」
ヤンキーはドアを蹴り始めた。現実に引き戻されても、状況に変化はなかった。
私にもしものことがあったら、卒業論文は誰が添削するのか……そんな心配が頭をよぎる。しかし、考えるだけ無意味だ。それは、生きてるからこそできる事だ。
金を渡して、車を譲っても、無傷で開放されることはないだろう。
フロントガラス越しに、夕日をバックにした山影が見えた。
ここで、人生が終わるのか。
考えてみれば、守りの人生だった。こんな事になるなら、もっと無茶なことをすれば良かった。言い寄ってくる女学生は何人もいた。すべて、上手くかわしてきた。
飲み歩くこともなく、行きつけの店もない。趣味といえば、研究費で買った書籍や論文を読むことくらいだ。
「オッサン、もう限界だぞ! 早く出てこいや!」
ヤンキーは、足を地面に叩きつけて苛立ちを表した。リーゼント風の前に固めた髪が、大きく上下に揺れた。
「おい、車をぶっ壊して、脅してやれ!」
その時、鞄の中からブブっと振動音がした。スマートフォンが何かを受信したのだ。
もしかしたら妻か? それとも生徒か。
「待て!! 最後に、スマホを見させてくれ。そうしたら、出て行く」
私は右手を上げて、ヤンキーに断りを入れた。ヤンキーは数秒、思案した。
「最後だって、こいつ。死ぬ気、満々みたいだぜ。いいぜ。ただし、どっかに連絡しようとしたら、どうなるか分かってるよな」
私は、スマートフォンのロックを解除した。
それは、メッセージではなかった。ニュースアプリの配信の知らせだ。
経済学の教授という立場上、重要なニュースが出たら知らせるように設定していたのだ。
最後に妻にメッセージでも、と思ったが叶わなそうだ。
私はニュースのアプリを立ち上げて記事に目を通した。
その内容に一瞬、呼吸が止まった。
そして、腹の底から笑いが込み上げてきた。
「フ、フフフフ……ハ、ハハハハハ!」
思わず、大声を上げて笑い出してしまった。
そうか、そんな議論もされていたな。
「何がおかしい!? もういい! 車をボコボコにしろ!」
ヤンキーが、他のメンバーに大声で指示を出した。
メンバーは「本当にやるんですか?」と言いたげに顔を見合わせたが、すぐに「そりゃ、楽しそうだ」と口々に盛り上がった。
私はその様子を冷静に観察しながら、車のキーを回した。
ブロッと太い排気音が上がる。そして、アクセルを数回、空ぶかしした。
「おい、何していやがる!!」
突然、の出来事にヤンキーどもは一瞬、動きを止めた。
その隙を突いて、ギヤをドライブに入れる。
そして、一気にアクセルを踏み込んだ。
車が急加速する。
そして――正面にいた数名を跳ね飛ばした。
――ギャアーーーーー。
跳ね飛ばされた者が二名、ボンネットに乗り上げて車の背後へ落ちて行った者が二名。
――四名だけか。あと、六名。
車を数十メートル走らせたあと、私は急ブレーキを掛けるとともに、ハンドルを大きく切った。車は砂ぼこりを上げて急旋回し、ヤンキーの一群の方へ向いた。
「お……おい! これは、犯罪だぞ!」
倒れた仲間を肩に掛けて持ち上げながら、ヤンキーが叫んだ。
「それは、こっちの台詞だ!」
車室内に、自分の叫び声が響いた。
ギアをニュートラルに入れて、威嚇のために何度も空ぶかしした。
男子五名、女子五名。一群の眼からは明らかに闘争心が消えていた。
私は、何をしようとしているんだ?
このまま、車を走らせれば彼らから逃れられる。ドライブレコーダーに映像は残っている。これを警察に提出すれば、彼らは逮捕されるはず。
刑は軽くすむかもしれないが、もう襲ってはこないだろう……いや、本当にそうか?
私の身元を辿って復讐してくるかもしれない。妻や子供に矛先が向くかもしれない。
そんなことは、決してさせない。
「もう二度と悪事ができないように、成敗してくれる!!」
ギアをドライブに入れて、アクセルをベタ踏みした。
タイヤが数回、空回りしてから急加速した。
その先に立ちすくむヤンキーの一群に向かって――。
『刑法改正 正当防衛の範囲、拡大』
私は、先ほど読んだニュース記事を思い出していた。
少年犯罪が急増する中、大人が自身の身を守るため、正当防衛の適用を拡大させる議論がされていた。そして、本日、刑法が改正された。
『正当防衛なら、何名まで死亡しても罪に問わない』
目には目を、歯には歯を……暴力には暴力をというわけか。
日本はどうなってしまうのだろう。殺人大国になってしまうのではなかろうか?
現に私も……。
目の前の出来事がスローモーションのように感じられた。
何名かは跳ね飛ばされ、何名かはボンネットの上で血しぶきをあげた。
車がガクンと持ち上がった。何名かが車の下敷きになったのだろう。
これは、立派な正当防衛だ。
罪には問われない。
私は……悪くない。
(了)
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