第四十三話 死神のささやき

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* * *  三日間の講義と試験の後、俺たちは配属された。  建物の地下には、ドアがずらりと並んでいた。指定された番号のドアを開けると、その先は現世に繋がっていた。  最初の配属先は、馴染みのない北海道だった。車移動が多いので、楽勝だと思ったが予想外に苦労した。一件目の事故まで10日も掛かった。あと一言、ささやけば交差点で事故……という場面で躊躇してしまった。  二件目以降は簡単だった。心の痛みは次第に減っていった。営業マンとしてのスキルが大いに役に立った。口八丁手八丁で、医療機器を売りさばいていたのだ。何を相手に語れば心を揺さぶることができるか、熟知していた。  最後の5名……とにかく、急いで到達したかった。営業術が使えたとはいえ、ノルマ50名のうち、45名まで事故死者を積み上げるのに、二カ月を要した。  そして、俺は彼女と過ごした東京を最後の配属地として選んだ。 * * *  クリスマスに死んでから二カ月経った東京。その地に立った俺は、頬を打つ冷たい風をコートの襟を立てて防いだ。ポケットに手を入れて歩道を歩く。すれ違う人々は、俺を通過していった。実体のない透明人間だ。  夕闇をバックに黒い影のようにそびえるマンションの前に立っていた。彼女が住む場所。  結婚したら、二人で暮らせるマンションへ引っ越すつもりだった。坂の上にひっそりと建つマンションの三階を見上げた。 「まだ、帰ってないのか」  灯りがともっていないということは、仕事から帰っていないということだ。平日なので、仕事があるはず。いや……引っ越ししたってことはないよな。  彼女は銀行員だ。傷心から転勤を申し出た、なんてことはないよな。配属地はもう変えられない。不安で鼓動が激しくなった。  ポストに名前を掲げていない。引っ越したかどうか外から確認する方法はない。 「しばらく待つか……」  気温が下がってきた。死んでるのに寒さは感じる。凍死はしないだろう。すでに死んでいるのだから。  エントランス前に体育座りをして、二時間ほど待った頃だった。遠くに女性の影が見えた。コンビニの袋を下げたその女性。まぎれもなく、彼女だった。  エントランスで電子キーのボタンを押して解除した。  その横顔の懐かしさに、溢れる涙を必死でこらえた。短めだった髪が肩まで伸びていた。少しやつれた気がするが、憔悴しているといった感じではない。  良かった……元気そうだ。そう思った直後、本当に良かったのか? と疑問がよぎる。二カ月……たったの二カ月だ。三年も付き合った彼氏が死んでしまったのに、思ったより元気そうだ。もしかして、別に男が……そんなはずはない。俺は首を大きく振って嫌な空想を振り払った。  ガラス製の自動ドアが開くと、俺は彼女と共にマンションの中へ入った。  部屋まで行くのは辞めておこうと思っていた。しかし、想定外に元気そうな彼女を見た俺は、居ても立っても居られなくなっていた。 * * *  部屋に入った彼女は、洗面所で顔を洗った。  化粧を落とした彼女の顔色は悪く、眼の下に大きなクマがあった。目の周りは赤く腫れていた。 ――厚化粧で隠していたのか。  リビングに移動した彼女は、テーブル上の写真に「ただいま」と告げた。  二人で行った沖縄旅行で撮った写真だった。  別に男が、などと考えた自分を恥ずかしく思った。  写真を胸に抱えた彼女は、そのままソファーに倒れ込んで、声もなく肩を震わせて泣き始めた。しばらくすると、声を上げて、体をしゃくりあげながら泣いた。  俺は耐えきれず、部屋を飛び出した。  翌朝、彼女が出勤するまで、マンションの前で一夜を明かした。  彼女は何事もなかったかのように、厚化粧をして駅の方へ向かった。  毎日、俺はマンション前で彼女の帰りを待った。部屋に入る事は出来なかったが、離れることもできなかった。
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