第四十三話 死神のささやき

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* * * 「エージェントって仕事、もしかしたら天職かもな」  郊外の大通りに人だかりができていた。パトカーの赤い警告灯の光が時おり視線にちらついた。 「こんなところで、接触事故だななんて」 「自転車が路地から飛び出して、車とぶつかったんだって」 「事故のあったの、近くの女子高の生徒だって」  小声で噂話をする一群の脇で俺は、俺は、その傍らで事故の後処理を観察していた。  星が良く見える澄み切った夜空に、救急車のサイレンが響いていた。 「残念だけど、もう間に合わないよ」  ポケットから取り出したスマートフォンには『残人数2』とあった。事故前は『3』だった。  夜は彼女のマンション前のベンチに寝泊りし、昼間はノルマをこなした。運転免許試験場には戻らなかった。 「東京は交通量が多いので楽勝」  良心は痛まなくなっていた。亡くなった女子高生もやっぱり未練があるだろうな……ぼんやりと思いつつ、救急車の到着を待たずに俺は現場を離れた。 * * *  翌日。 「今日は、どこにいこいうかな~」  鼻唄混じりで車に乗り込んだ彼女は、カーナビを操作しながら独り言をつぶやいた。俺はそっと後部座席に滑り込む。 「海の方にいってみよっ!」  彼女は、江の島に目的地を設定した。二人でよく行った場所。  ホルダーにスマートフォンを置いて、サザンオールスターズの楽曲を流し、出発した。  俺は胸がギュっと締め付けられるような苦しさを覚えた。  江の島もサザンも俺のお気に入りだった。今、俺のことを思い出しているのだろうか?  彼女に触れたい、話がしたい。彼女の間近にいると、そんな思いが大きくなってしまう。 ――やっぱり、今日、実行しよう。  俺は、大きく息を吐いてからスマートフォンを出した。周囲の交通状況を確認する。  ここでは無理だ。でも、江の島までの間にチャンスはいくらでもある。 ――彼女を、こちらの世界に引き込む。  この禁断の作戦は、東京に来る前から考えていたことだった。  五親等以内はターゲットにできないというルールがあるが、彼女は対象外。結婚していれば無理だったが、婚約すら出来なかった。つまり、彼女をターゲットとすることは可能。 「互いに未練が残ってるよな」  彼女の背中に語り掛けるが、声は届かない。  俺がいなくても、幸せになってほしい。そういう気持ちはあった。しかし、彼女の泣き顔を見てしまったら、そんな気持ちは消え失せてしまった。  残りの事故者数を二人としたのは、この作戦のためだ。一人は彼女、そして、もう一人は残したままにする。  彼女だって、まだ死にたくはないだろう。つまり未練が残るわけだ。だとすると、俺と同じくエージェントとなる可能性がある。一人残しておけば、運転免許試験場で会えるかもしれない。そして、ずっと一緒に入れられる。  江の島までのルートは十分に把握していた。事故を誘発しやすいスポットも把握済み。  三十分ほどの運転の後、彼女の車は目的のスポットに近付いてきた。  彼女には痛い思いをさせることになるが、確実を期すために赤信号に突っ込んでもらうことにする。俺は、この数か月の経験で、強い暗示を掛ける技を習得していた。 「赤信号でも、車は直進できる」  彼女の耳元でささやいた。  事故スポットまでまだ、距離があるが、早めにささやいておくことで、暗示に掛かりやすくなるのだ。俺は念仏のように何度も語りかけた。  ピロピロピロ……。  サザンの音楽が、突然の着信音でかき消された。彼女のスマートフォンに電話が掛かってきた。 「はい、もしもし」 「こちらK産婦人科です。今、お話し可能でしょうか?」  突然の着信は、病院からだった。 ――産婦人科? 何かの病気でも患っているのだろうか?  電話向こうの女性は、サラッとその回答を告げた。 「お腹のお子様の検査の件ですが――」  お子様……だと!  後頭部をハンマーで殴られたような衝撃を覚えた。  先生の都合で検査の日程を変えて欲しいとの連絡。彼女は電話で都合の良い日を伝えた。電話を切った彼女は、右手でハンドルを握り、左手でお腹の辺りを愛おしそうにさすった。  別に男がいる気配はなかった。ということは――。  目的の交差点に近付く。  交通量が多いのは目論み通りだ。赤信号に突っ込んだら確実に大事故が起こせる。  もう一声、ささやけ。それで、全てが達成される。  こちら側にきてから出産すればいいじゃないか。彼女と俺の子と三人で幸せに暮らすんだ。  車は加速して、十字路に近付いていく。暗示がうまく働いていた。彼女は鼻唄を歌いながら、赤信号にも変わらず、さらにアクセルを踏み込んだ――。 「ブレーキ!!!」  無意識に、俺は大声を張り上げていた。彼女はハッと我に返って、急ブレーキを踏んだ。  車のタイヤはロックして、甲高い音を立てた。そして、十字路に差し掛かる手前、ギリギリの位置に停止した。 「危なかった」  ハア、ハア……。  彼女は肩で大きく息をしていた。顔が真っ青だった。 「今、誰かの声がしたような気が……あの声、もしかして……」  息を整えながら、彼女は窓の外や後部座席を確認した。 「こんなことで、私、大丈夫かしら。一人で育てていかないといけないのに……」  俺は、彼女の髪の辺りに手を添えながら「さよなら」と告げた。そして、車から外へ出た。  走り去っていく彼女の車を見送ってから、しばらくその場に立ち尽くしていた。  透き通った青空の向こうに、富士山の頂上部分が見えていた。江の島のシーキャンドルに上ると、富士山が綺麗に見れるだろう。 「あと一人。どこかで……」  生まれ変わったら、また彼女に会えるだろうか。俺は、来た道を一人、戻り始めた。 (了)
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