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* * *
「エージェントって仕事、もしかしたら天職かもな」
郊外の大通りに人だかりができていた。パトカーの赤い警告灯の光が時おり視線にちらついた。
「こんなところで、接触事故だななんて」
「自転車が路地から飛び出して、車とぶつかったんだって」
「事故のあったの、近くの女子高の生徒だって」
小声で噂話をする一群の脇で俺は、俺は、その傍らで事故の後処理を観察していた。
星が良く見える澄み切った夜空に、救急車のサイレンが響いていた。
「残念だけど、もう間に合わないよ」
ポケットから取り出したスマートフォンには『残人数2』とあった。事故前は『3』だった。
夜は彼女のマンション前のベンチに寝泊りし、昼間はノルマをこなした。運転免許試験場には戻らなかった。
「東京は交通量が多いので楽勝」
良心は痛まなくなっていた。亡くなった女子高生もやっぱり未練があるだろうな……ぼんやりと思いつつ、救急車の到着を待たずに俺は現場を離れた。
* * *
翌日。
「今日は、どこにいこいうかな~」
鼻唄混じりで車に乗り込んだ彼女は、カーナビを操作しながら独り言をつぶやいた。俺はそっと後部座席に滑り込む。
「海の方にいってみよっ!」
彼女は、江の島に目的地を設定した。二人でよく行った場所。
ホルダーにスマートフォンを置いて、サザンオールスターズの楽曲を流し、出発した。
俺は胸がギュっと締め付けられるような苦しさを覚えた。
江の島もサザンも俺のお気に入りだった。今、俺のことを思い出しているのだろうか?
彼女に触れたい、話がしたい。彼女の間近にいると、そんな思いが大きくなってしまう。
――やっぱり、今日、実行しよう。
俺は、大きく息を吐いてからスマートフォンを出した。周囲の交通状況を確認する。
ここでは無理だ。でも、江の島までの間にチャンスはいくらでもある。
――彼女を、こちらの世界に引き込む。
この禁断の作戦は、東京に来る前から考えていたことだった。
五親等以内はターゲットにできないというルールがあるが、彼女は対象外。結婚していれば無理だったが、婚約すら出来なかった。つまり、彼女をターゲットとすることは可能。
「互いに未練が残ってるよな」
彼女の背中に語り掛けるが、声は届かない。
俺がいなくても、幸せになってほしい。そういう気持ちはあった。しかし、彼女の泣き顔を見てしまったら、そんな気持ちは消え失せてしまった。
残りの事故者数を二人としたのは、この作戦のためだ。一人は彼女、そして、もう一人は残したままにする。
彼女だって、まだ死にたくはないだろう。つまり未練が残るわけだ。だとすると、俺と同じくエージェントとなる可能性がある。一人残しておけば、運転免許試験場で会えるかもしれない。そして、ずっと一緒に入れられる。
江の島までのルートは十分に把握していた。事故を誘発しやすいスポットも把握済み。
三十分ほどの運転の後、彼女の車は目的のスポットに近付いてきた。
彼女には痛い思いをさせることになるが、確実を期すために赤信号に突っ込んでもらうことにする。俺は、この数か月の経験で、強い暗示を掛ける技を習得していた。
「赤信号でも、車は直進できる」
彼女の耳元でささやいた。
事故スポットまでまだ、距離があるが、早めにささやいておくことで、暗示に掛かりやすくなるのだ。俺は念仏のように何度も語りかけた。
ピロピロピロ……。
サザンの音楽が、突然の着信音でかき消された。彼女のスマートフォンに電話が掛かってきた。
「はい、もしもし」
「こちらK産婦人科です。今、お話し可能でしょうか?」
突然の着信は、病院からだった。
――産婦人科? 何かの病気でも患っているのだろうか?
電話向こうの女性は、サラッとその回答を告げた。
「お腹のお子様の検査の件ですが――」
お子様……だと!
後頭部をハンマーで殴られたような衝撃を覚えた。
先生の都合で検査の日程を変えて欲しいとの連絡。彼女は電話で都合の良い日を伝えた。電話を切った彼女は、右手でハンドルを握り、左手でお腹の辺りを愛おしそうにさすった。
別に男がいる気配はなかった。ということは――。
目的の交差点に近付く。
交通量が多いのは目論み通りだ。赤信号に突っ込んだら確実に大事故が起こせる。
もう一声、ささやけ。それで、全てが達成される。
こちら側にきてから出産すればいいじゃないか。彼女と俺の子と三人で幸せに暮らすんだ。
車は加速して、十字路に近付いていく。暗示がうまく働いていた。彼女は鼻唄を歌いながら、赤信号にも変わらず、さらにアクセルを踏み込んだ――。
「ブレーキ!!!」
無意識に、俺は大声を張り上げていた。彼女はハッと我に返って、急ブレーキを踏んだ。
車のタイヤはロックして、甲高い音を立てた。そして、十字路に差し掛かる手前、ギリギリの位置に停止した。
「危なかった」
ハア、ハア……。
彼女は肩で大きく息をしていた。顔が真っ青だった。
「今、誰かの声がしたような気が……あの声、もしかして……」
息を整えながら、彼女は窓の外や後部座席を確認した。
「こんなことで、私、大丈夫かしら。一人で育てていかないといけないのに……」
俺は、彼女の髪の辺りに手を添えながら「さよなら」と告げた。そして、車から外へ出た。
走り去っていく彼女の車を見送ってから、しばらくその場に立ち尽くしていた。
透き通った青空の向こうに、富士山の頂上部分が見えていた。江の島のシーキャンドルに上ると、富士山が綺麗に見れるだろう。
「あと一人。どこかで……」
生まれ変わったら、また彼女に会えるだろうか。俺は、来た道を一人、戻り始めた。
(了)
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