4 阿南首相誕生秘話

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4 阿南首相誕生秘話

 第102代内閣総理大臣に電撃的に就任した阿南是清(あなみこれきよ)総理大臣の来歴は、目に痛いほどの異彩を放っている。  彼は前大戦の終戦時に割腹自決を遂げた阿南惟幾(これちか)陸相の子孫である。惟幾の子孫たちは政府の要職を歴任していたし、彼らも決して能力に劣るわけではなかった。  けれども是清は次元がちがった。まるで惟幾陸相の魂が乗り移ったかのようだった。幼少のみぎりより戦記や軍人の伝記を読み漁り、小学校入学前にクラウゼヴィッツの「戦争論」を読破していた。彼は生まれついての天才的戦略家であった。  防衛大学を首席で卒業後、背広組にはならずにあえて陸上自衛隊へ入隊、瞬く間に昇進をくり返し、海上、航空を歴任後、満を持して防衛省へ入省。省内では口やかましい若造として煙たがられていたものの、古巣の現場から絶大な支持を得ていたため、やがて彼の昇進を妨害するアンチ阿南派は空中分解してしまった。  阿南是清は37歳で防衛省事務次官まで上り詰めた。が、それがゴールではなかった。彼はブロック経済圏がトレンドと見るや、石原莞爾大佐が夢想した最終戦争が訪れるのを予期して政界へ転進、保守派票からの圧倒的支持を得る。市議会議員などのステップをすっ飛ばして衆議院議員に当選し、めきめきと頭角を現していく。  2選めの41歳のおり、政権与党は活きのよい若手を防衛大臣に任命した。年齢から考えてこれ以上ないほどの大抜擢であった。与党幹部としては能力に期待していたわけではなく、単なるメディア向けの点数稼ぎであった。見栄えのよい若造が組閣人事に組み込まれれば、マスコミは好意的に騒いでくれる。政権安定に一役買うというわけだった。  けれども事態は風雲急を告げることとなる。ドイツ第四帝国が欧州を支配し、ロシアが東欧を支配し、中東は身内でつぶし合い、アメリカは往時の支配力を失い、おまけに中国が蓮と国号を改めて東亜新秩序を打ち立てようとしている。  リーダーが必要だった。軍事に精通した天才的戦略家が。そして運よく日本はそんな人材を擁していた。7歳でクラウゼヴィッツを読了したほどの軍事専門家が大臣をやっているではないか!  政権与党の老人たちが尻込みするなか、阿南是清は堂々たる挙手をやってのけた。「俺が首相をやる。文句のあるやつは前に出ろ」  誰も前に出なかった。阿南是清は41歳で日本国首相へと上り詰めた。日本史上最年少の若さであった。
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