5 第三次世界大戦

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5 第三次世界大戦

 阿南首相の組閣人事はまさしく前代未聞であった。彼は外務大臣と防衛大臣を兼務するというのである。おまけに防衛省事務次官をも片手間にこなすという、東条英機も真っ青の〈阿南幕府〉を作り上げた。  これはほぼ独裁といってよかった。首相は弁明しなかった。回答は次の通りである。「ああ、独裁だよ。文句あるか?」  日本はロシア帝国に宣戦布告し、北海道を作戦領域に指定、全住民は強制的に本土へ送還された。  内地戦力の実に3割が投入され、同地は生き地獄と化した。阿南是清は不要な戦闘で兵士を無駄死にさせるつもりはなかったけれども、ロシアだけはなんとしても決着をつけておくべき相手であった。連中には日露戦争の煮え湯を再び飲ませてやらねばならない。  侵略側は当初、北海道攻略は1か月で完了するという見立てであった。あまりにも楽観的すぎた。北海道守備隊は硫黄島の故事にならい、地下に広大な陣地を構築、それは一度迷いこんだら脱出不可能のダンジョンと化した。  ロシア兵たちはどの穴からいつなんどき日本兵が飛び出してくるかまったく予測できず、奇襲に怯える毎日を強いられた。冬季の進軍もロシア側に不利に働いた。暖かい地下にこもる日本側は兵士のコンディションを容易に維持できるいっぽう、野ざらしの地表では飢えと寒さと神出鬼没の日本兵の影でノイローゼになるロシア兵が続出、事実上無尽蔵といわれたロシア帝国陸軍の勇壮なる兵士の補充が、ついに途切れがちになるまでにいたる。  北海道戦役の火ぶたが切って落とされてから1年と2か月後、ロシア皇帝は部隊の撤退を決定、日本はたったの15万人で1千万とも1億とも言われるロシア軍を北方領土へ押し返した。  それでも阿南首相は満足しなかった。古来より北方領土は日本のものである。なぜ連中は自軍の前線基地のごとく扱っているのだ?  領土奪還に燃える精鋭部隊4万人が投入された。士気は十分すぎるほどで、全員が死して国家の礎になる覚悟ができていた。いっぽうロシア軍は敗走したばかりで士気は最低、厭戦ムードの漂う烏合の衆であった。  勝負は1週間以内に決した。日本は侵略者から本土を防衛しただけでなく、長らくロシアの実効支配地であった北方領土まで奪還するという快挙を成し遂げたのである。  分裂した世界の警察(スプリット・ワールド・ポリス)を従前の状態に戻すのはさすがに不可能だとしても、少なくとも往時の3分の1程度にまで集結させなければ秩序は戻らない。  いまやるべきことはいまや一国一城の主となった各州知事を説得して周り、アメリカ再統一を平和裏に結実させること。それに尽きた。首相は38人にもおよぶ知事たちの来歴を取り寄せ、複雑極まる人物の相関図を作成、ありうる同盟のパターンを総当たりで算出してみせた。  そのなかから最良の一手を導き出し、あたかも精緻なパズルを組み立てるがごとく、計算され尽くしたタイミングで各州へみずからが訪問し、アメリカ再建の裏工作にこれ努めた。  首相の説得行脚ルートは全方位、非の打ち所がなかった。巧みな話術にたぶらかされた知事たちは、在りし日の強いアメリカを想起させられ、望郷の念に駆られる。彼らはすぐさま懇意にしている他州のトップと秘密裏に会談を実施、瞬く間に38国に分裂していたアメリカは15国にまで統合された。  是清はむろん満足しなかった。世界の警察が往時の15分の1ではかっこうがつかない。最低3分の1、欲を言えば2分の1までになってもらわねばならない。その後臨時連邦政府といち早く日米同盟を締結し、中国とロシアとキューバ(コミュニズム・トリオ)を叩きつぶすのだ。  日本国首相は少々乱暴な手段に訴えた。これ以上話し合いで講和は無理と判断するや否や、今度は敵対している州を巧みに焚きつけて骨肉相食む争いを惹起せしめたのである。たとえ相討ちでいくつかの州が消滅するにしても、アメリカが分裂しているよりはましだ。要は体裁がアメリカ合衆国であればよい。  南北戦争も真っ青の熾烈な内戦が3か月続いたあと、かくして北米は統一された。首都は(ワシントンは対ニューヨーク戦で焦土と化していたので)ロサンゼルスへ遷都、内戦の熱も冷めやらぬなかで日米同盟の調印が完了した。  世界の警察が戻ってきた瞬間であった。 「ヴィルヘルム・シュナイダーは俺がやる」と是清は特殊部隊長に宣言した。「誰がなんと言おうと俺がやる」 「俺がやるとは?」特殊部隊長はとぼけた。 「ドイツ第四帝国のエンジンがあの気ちがい野郎だってことは周知の事実だろ」 「ネオ・ナチから現人神のように扱われてますね」 「やつを殺っちまえば後継者争いが起きて、ドイツ本土はごたつくはずだ。あとはレジスタンスがネオ・ナチを皆殺しにしてくれる」 「暗殺(ヒット)には賛成です。首相がやるのでなければね」 「俺がやればトップ同士の決闘だと強弁できる。おまえさんがたの誰かがやれば、薄汚い奇襲だと非難される」  部隊長の眉間にしわが寄った。「暗殺は素人にできる仕事じゃないですよ」 「これからおまえさんが俺を玄人にするんだよ」  2か月の速成訓練ののち、阿南是清首相は凄腕の暗殺者となった。  さらに1か月後、ドイツ第四帝国総統ことヴィルヘルム・シュナイダーの死体がドナウ川に浮いているのを親衛隊が発見した。  それについて首相は次のようにコメントを残している。「きた、見た、勝った」  中国、ロシア、キューバのコミュニズム・トリオは日米英三国同盟より次のように通告された。 〈1か月以内に旧領土外へ展開している部隊を撤兵し、帝国を解体せよ。さもなくば強硬手段に訴える〉  内部から瓦解し始めていたロシアは勧告にしたがった。かの国はウクライナの猛烈な復讐にほとほと参っていた。  キューバは無回答を貫き通し、勧告を黙殺したかに見えた。米英の核ミサイルの照準がハバナに向いていることが判明するや否や、帝国は一夜にして解散した。  中国はいっさい征服諸国から兵を引き上げるようすを見せなかった。勧告が再度なされたが、それも無視された。限定的核使用の最後通牒が手交された。今度は回答があった。「やれるもんならやってみろ」であった。  全備蓄量の10%にあたる578発の核ミサイルが、厳密に敵発射基地のみを狙って発射された。やれるもんだったので、彼らはやったのだった。地上施設のことごとくを失った中国は原子力潜水艦から反撃を試みた。17発の小型核弾頭が発射されたものの、B M D(ミサイル防衛網)によって未然に撃墜された。  中国は無条件降伏を受託した。
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