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その者は、人間が穏やかに、健やかに生きる世界を、誰よりも願っていた。
彼の名は、シーレ。
神の子である人間を見守る役目を授かった、心優しき天使である。
下界の様子を見ることができる、自分の背丈ほどある大きなクリスタルに、
シーレは日々祈りを捧げていた。
そんなある時、彼は見つけてしまう。
悪魔に体を乗っ取られた男によって命を脅かされている、幼き少女の姿を。
シーレは少女を見過ごすことができなかった。
悪魔となった男は、変形した腕から生えた刃を少女に向けて振り上げた。
声にならない悲鳴と共に身を縮こまらせた少女が鮮血に染まる一歩手前で、
シーレはその刃を受け止めていた。
神の許可なく天界を離れることが、どれだけ罪深いことかを知りながら。
悪魔の攻撃は止まらなかった。
少女の悲鳴を浴びるごとに、悪魔はその力を増していった。
シーレは悪魔の攻撃を避けながら、浄化の呪文を唱えるが、ことごとく悪魔に邪魔をされ、とうとう地に膝をついてしまった。
目に見える優位に立った悪魔は、超音波の如き高笑いを響かせると、シーレの首元目がけて刃を振り下ろした。
甲高い、何かが割れる音がした。
次に、耳を塞ぎたくなるほどの悪魔のうめき声が辺りを汚染した。
地を這いずる悪魔の姿は、青い炎に包まれて、みるみる灰と化していく。
あまりにも恐ろしい光景を前に、視線を落としたシーレは、眼下に散らばる割れた小瓶を目にした。
この小瓶には、祈りを込めた神聖な息吹が入っていた。
振りかざされた刃はシーレの首から下げた小瓶を両断し、清き息吹に吹かれた悪魔は灰となってしまったのだ。
あの瞬間、鈍色の刃越しに見えた悪魔の瞳の奥に宿った人間の姿を、
シーレは確かに見た。
そうして、悟った。
悪魔に体を乗っ取られた男が、最後の自我を繋ぎ止め、刃の軌道を変えて、
自分の命を救ったのだと。
漆黒の灰が、風に流され消えていく。
地に額を擦りつけて啼泣するシーレの真っ白い翼は、その灰を被せたように
みるみる黒く染まっていった。
彼は、赦されざる禁忌を犯した。
――人を、殺めた。
いかなる理由があろうとも、揺るぎない大罪である。
シーレは堕天し、天界を離れることになった。
「どうか罪を償わせてください、お願いします」
シーレは悪魔に変わろうとも、清き心を手放すことなく祈り続けた。
そんなシーレに、神は、人間の願いを叶えることができる力を与えた。
「この力で、我が子らの助けになりなさい」
それが神から彼へ向けた、最後の御言葉であった。
シーレは神の慈悲に涙を流して喜び、人々の願いを叶えるため、下界へと降りて行った。
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