愛し子は棗の中。

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「楽しかった! あやめ、連れてきてくれてありがとう」 「……う、ん。瑞貴が……楽しかったなら、よかった」  瑞貴の弾んだ声が響く、バス停までの道のり。通常運行といえる瑞貴の態度に、あやめは自分もそうしなければとぎこちなく笑みを浮かべた。イルカショーが始まると離された手に一抹のさみしさを抱えたまま、ぎゅっと冷たくなった手のひらを握り締める。 「ナマコ触ったの初めてだったけど、あんなウニウニしてるんだね。びっくりした」 「……念願のカニも触れてよかったね?」 「うん。本当に楽しかった」  そんな会話を交わしていると、あっという間にバス停に辿り着いた。 「あやめ。言いたいことがあるから……聞いてくれる?」  ふと、立ち止まった瑞貴が囁くように言葉を紡いだ。隣に立つ瑞貴の雰囲気が変わったと感じたあやめは、そっとうつむく。あやめが落とした無言を肯定と取ったのか、瑞貴は静かに続けた。 「幼馴染みとして……じゃなくて。もちろん、人間として、とか、友達として、とかでもなくって」 「……」  あぁ、どうしよう。あやめの頭に浮かんだのは、その一言だった。瑞貴から「好き」と言われたとしても、「友達としてでしょ?」と誤魔化せばいつもの関係性でいられたのに。こうして女友達のようにコスメや洋服の買い物に付き合ってくれたりしていたのに。事前に退路を断たれてしまった。あやめは胸の奥が締め付けられるように感じ、うつむいたまま握り締めた手を緩め胸元に寄せた。 「日々頑張ってる、あやめのことが。私は、好き」 「…………っ、」  少し掠れたように震えた瑞貴の声に、あやめは身体を震わせた。いくつもの感情が湧いて押し寄せてきて戸惑ってしまう。それでも、心の奥に滲む熱い感情に気がつかないふりはもう出来なかった。 (……わ、たし)  自分で自分の感情が理解できない。瑞貴は幼いころからそばにいることが当たり前の存在で。彼と一緒に過ごす日々は大切で、大事で。ずっと一緒に過ごせたら、という感情は確かにある。これが――瑞貴が言う「好き」という感情と同等のものなのかは、わからないけれど。 「返事はいつでもいいから。今の私の話、聞かなかったことにしてくれてもいい」  でも、と。瑞貴はひそりと、それでも懇願するようにあやめに語り掛けた。 「年始の茶会。初釜のあとの……みなさんをお呼びしてる、飯後の茶事。私が亭主を務めることになっていて」 「えっ……」  白木院家が開く茶会の亭主は現家元の瑞貴の父親が担っている。けれど、今年は飯後の茶事に限ってそれを瑞貴が務めるらしい。今回の茶事が無事に終われば、徐々に家元の継承が進んでいくのだろう。亭主とは要はお茶を点てる人で、主催側のトップ。茶会において一番肝心な存在だ。  そして、和菓子屋梅津も招待される年始の茶事には例年、勝典か晴臣が出席していた。あやめが出席したことは、これまで一度もない。 「そう。その時、初めて亭主をするんだ。あやめがいたらきっと緊張しなくて頑張れると思う。だから……見に来て、ほしい。返事がNOでも、私はそれだけでいいから。……夢を、私に見させてくれないかな」  さぁっと。冬の冷たい風が、あやめの頬を撫でた。
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