無自覚な君と。

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 彼女の視界に映るのは、デスクに乱雑に積みあがった書類たち。春を待ちわびたたけのこのように天井へ向かって伸びるその量と雑然たる風景は、あやめが一度軽く片づけた朝方よりも酷くなっている。もうすぐ近隣の八幡神社で執り行われる秋の例大祭の時期で、この茶屋街も非常に活気づく。そのうえ重陽(ちょうよう)の節句――無病息災や不老長寿を願う秋の節句――も重なり、着せ綿の上生菓子や落雁の注文が増えるのだ。和菓子屋側に日々届く注文書の整理・会計処理もあやめが行っており、あやめはこうして自らの食事の時間を削って事務作業をこなしている。 (ん~。やっぱり、もうひとりパートさん欲しいなぁ)  心の中で独り言ちたあやめはデスクにつき、行儀が悪いことは承知の上で持参したおむすびにかぶりつきつつ書類の整理を進めていく。すると、事務室の扉がガラリと勢いよく音を立てて開かれた。 「っあ~。オヤジ、まじ人遣い荒れぇよな……」  若草色ののれんカーテンを払いのけ、深い茶色の作務衣に同色の和帽子を被った晴臣(はるおみ)が肩を回しながらげんなりした表情であやめに歩み寄ってくる。腰の部分から下に白い粉が広い範囲に付着しているが、彼はそれを気にも止めていないようだ。 「人遣い荒いのはお兄ちゃんだって一緒。忙しいのはわかるけど注文書はこっちのレタートレイに入れてって何度言ったらわかるの?」 「俺はちゃんとこっちに置くようにしてるっつの。そりゃオヤジが大半だ」  あやめは自分の近くにどっしりと腰を下ろした晴臣を一瞥すらせず、もぐもぐとおむすびを食みながら淡々と晴臣に言葉を投げつけた。ぱっちりとした二重の目元があやめにそっくりな晴臣は彼女のふたつ年上の兄にあたる。 「お父さんのせいにしない。ほら、このファックスなんてお父さんが配達に行ってるときに受信したやつじゃない。おむすび食べたら注文書の整理手伝って」 「……ちっ。はいはい」  あやめは口が減らない兄を論破すると自分の斜め前に置いたおむすびが入った巾着を勢いよく晴臣に向けて差し出した。今はとにかく、口を動かすより手を動かして欲しい。晴臣は大きく舌打ちをし、あやめが差し出した巾着を奪い取るように手元へ引き寄せた。  梅津家の長男である晴臣は父親の後を継ぎ、四代目店主となることを志し、高校卒業後に専門学校に進学して和菓子職人の道を選んだ。あやめは父親の背中、そして晴臣の背中を見て育ったゆえに、彼女自身も和菓子屋梅津を支える道を選んだのだ。 「お兄ちゃん。あとでお父さんにも言うけど、やっぱりもうひとり雇わないと、これから先ウチは成り立たないよ」 「……だよなぁ。それは俺も思ってたンだ」 「こっちの事務とか営業を任せるパートさんでもいいし、茶房の方に雇う短時間のパートさんでもいいから、一人増員は考えてて。私が接客抜けてる時間、あっちも大変みたいだし」 「ん。いつまでも三人じゃこの家は回せねぇもんな……」
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