無自覚な君と。

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 ふたりでおむすびを食べながら書類の整理をする光景は一見奇怪だが、これが今の和菓子屋梅津にとって精一杯なのだ。このままではいけない、ということはふたりとも承知していた。求人を出すなら職業安定所の営業時間中に足を運ばなければならず、そうなると接客スタッフに業務の負担をかけてしまうだろうか――あやめがそんなことを考えていると、ふたたびガラリと事務室の扉が開いた。 「やっぱりこっちだったね。あやめ、晴臣さん」  若草色ののれんカーテンを手の甲で優雅に上げた男性は、室内のふたりに向かって柔和に笑みを浮かべていた。彼の扮装(いでたち)は濃いグレーの着流し。肩甲骨の辺りまで伸びた艶のある黒髪を左肩に流し、袂には小さな紙袋を下げている。 「あっ、瑞貴(みずき)! 帰ってきてたんだねぇ」  あやめは手に持った書類を置き、ぱっと立ち上がって瑞貴に駆け寄った。瑞貴は三千家以外から始まった新流派茶道傍系の家元である白木院(しらきいん)家の生まれで、あやめと同い年の幼馴染み。和菓子屋梅津は茶道を生業(なりわい)とする白木院家が古くから懇意にしている和菓子屋でもある。彼は次期家元ゆえに、見聞を広めよという現家元の意向により、こうして時折様々な地域へと(おとな)っているのだ。 「うん。予定より早く帰ってこれて良かったよ。間に合ったなって思ったから」 「……? 間に、合った?」  あやめは自分よりも背の高い瑞貴を見上げ、小さく首を傾げた。間に合った、というのはどういう意味だろう。きょとんと目を瞬かせたままのあやめに苦笑を落とした瑞貴がごそりと手元の紙袋の中を探る。そこから手を引き上げた彼は、ひとつの小さな箱を大切そうにあやめの目の前に差し出した。淡いピンク色の綺麗なリボンがかけられたそれは、見るからに贈り物然としたもの。 「……おみ、やげ?」 「ん~、ちょっと違う、けど。まぁそうとも言うかな? あやめ、今日誕生日でしょう」 「…………あ」  あやめは瑞貴の言葉の意味を飲み込めず、数秒呆けた。けれど、数秒ののちにそれらを噛み砕き、少々間の抜けた声を上げる。ここ数日、あまりの忙しさに日にち感覚が狂っていた。今日は、あやめがこの世に生を受けた日――10月8日、だった。 「お誕生日おめでとう、あやめ。忙しくって忘れてたのでしょう?」  瑞貴は梅津家を取り巻く環境、あやめが選んだ道を幼馴染みであるからこそ知っているし、あやめ自身も瑞貴のことをなんでも話せる親しい間柄として考えていたからこそ、瑞貴はあやめが自分の誕生日すら忘れてしまっていたのだと理解しているようだった。
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