お礼奉公していた看護師の夢がようやく実現

1/1
3人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ
 みなさんは「お礼奉公」という制度を知っていますか? 金銭的な問題を抱えている看護師になりたいと考えている人が、看護学校に通う時の制度です。どういったものかというと、病院で看護学生として昼もしくは、夜勤をしながら、空いている時間に学校に通いながら、看護師核を取得するものと言われています。また、看護師資格を取得した後は、その病院で何年間かの勤務を約束させることまでが含まれています。こういった「お礼奉公」制度を使う見習い看護師たちは、親にネグレクト・身体的虐待・精神的虐待などを受けていて学費を援助してもらえなかったり、本人が親に学費を出してもらいたいとは思えなかったりする子や、両親が病気であったり、片親しかおらず普段から生活に困窮している場合もあります。  ただ、「お礼奉公」は今でこそ、看護学生として病院勤務をしていますが、昔は病院長宅で家政婦として働かされたり、看護師たちのパシリとして使われるだけで看護師の仕事はさせなかったと聞きます。現在も一部、そういった側面も残っているものの、奨学金制度より確実に現金を返金できる制度ということもあって制度が残っているのでしょう。 今回はそんな「お礼奉公」制度を使った、ある女性のお話です。  彼女は医療に関心を持ち、将来は医師になりたいと思っていました。ですが、家はシングルマザーで母親しかいませんし、妹も2人いるため、長女である自分が早く大人になってお金を稼ぐしかないと考えるようになりました。彼女が15歳になった時、お母さんに彼女はこういいました。 「私、高校には行かない。中学を卒業したら働くよ」 「何言っているの。中卒なんてダメよ。せめて高校は卒業しないと」 「でも、高校に行くお金なんてあるの? 妹二人も小学生と中学生になったばっかりで、お金がかかるのに」 「それは……」  お母さんは口ごもってしまいます。新しい服もろくに買えない、制服だってお古の物を着ているような家庭です。高校受験をするお金だって、ありません。ですが、お母さんは、彼女が家庭のために犠牲になるのは嫌だと思いました。彼女は、お母さんに医療に関心を持っていることは言っていませんでしたが、彼女のことを見ていたお母さんは、知っていたのです。 「何か、何か方法はないのかしら……」  お母さんは、働きながら娘のためにできることはないのかと調べました。そこで見つけたのが、「お礼奉公」制度です。准看護学校に2年通う必要はありますが、高校受験を考えれば何とかなる金額でした。お母さんは、すぐに彼女にその話をしました。 「看護師?」 「そうよ。医者になることは難しいけれど、看護師ならあなたも目指すことができるの!」 「本当に……?」  彼女はボロボロと泣き始めました。医者にはなれないけれど、医療にかかわる仕事が看護師としてできる可能性を、お母さんが調べてくれたからです。彼女は忙しい中でも自分のために時間を作ってくれた、お母さんの優しさと、自分の将来を諦めなくていいという希望が、本当に嬉しかったのです。 「お母さん。私、私……頑張るからね!」 「えぇ、お母さんも応援しているわ」  その日は、家族4人で、ちょっとだけ豪勢なお鍋を食べ、英気を養ったのでした。  ですが、看護師への道は、そんなに簡単ではありません。「お礼奉公」制度を調べてみると、そんなに簡単ではないことはすぐにわかります。でも彼女の覚悟は強く、ちょっとしたことではくじける気はさらさらありませんでした。お母さんと一緒に調べた准看護学校に通いながら、早朝も夜もバイトを入れて、バイト代は全て家に入れました。そんな生活をしていても、ちゃんと2年で卒業し、准看護師の資格を取得。今度は「お礼奉公」制度にのっとり、准看護師として病院で働きながら、3年制夜間の看護学校に通いました。  准看護師になると給料が出るのですが、正看護師に比べると月給は5万円低いスタートからです。それでも正看護師になるためには仕方のないことですし、准看護師は病院勤めができるため、彼女が願っていた病院の仕事ができるようになったと、初めは喜んでいました。ですが―― 「ちょっと、トイレ掃除まだ終わってないの? さっきしろって言ったよね?」 「のどが渇いたからコーヒーを買ってきてくれる?」 「受付の掃除しといて」  頼まれる仕事は、医療とは関係のないものばかりでした。准看護師は、正看護師の指示の元で行動することが決められているため、患者さんと触れ合ったり、お世話をしたりということはさせてもらえませんでした。人が嫌がるような雑務ばかりを押し付けられ、さらに准看護師には昇進もないため、勤続年数で上がっていく微量の昇給を楽しみにしながら、毎日奴隷のような実務経験ばかりを積まされていたのです。 「……終わりました。次の指示をいただけますか?」  それでも彼女は、笑顔を絶やさず、労働に勤しみました。そして、給料のほとんどは家に入れていたため、彼女は給料日であっても質素な昼食をとっていました。  そうして、看護学校を無事に卒業し、彼女はようやく正看護師になることができました。准看護師として8年間勤務していたため、ある程度の給料をもらえるようになっていたのですが、正看護師としては1年目だということで初任給に戻され、給料は減ってしまいましたが、彼女がようやく望んできた正看護師です。  正看護師として病院で勤務できるようになった日。彼女はその証明書を、母親と妹2人に見せました。家族のため、自分のため、病院のため、患者さんのために耐えてきた8年間は、この時のためにあったのだと、彼女は思いました。 「みんな、見て! 私正看護師になれたよ!」 「おめでとう!」  その日の夜は、あの時食べた鍋よりも、さらに豪華な鍋を家族4人で食べたのでした。
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!