妖神 其の三 【皆鶴姫】(随筆編)

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 義経の慕う女性として有名なのは静御前が挙げられますが、彼には側室の一人・久我大臣の娘の他、正妻の郷御前もおり、英雄色を好むと言うべきか、女性に対して節操がなかったのは史実です。  そんな義経と最初に出会った女性が、皆鶴姫でした。  一つの切欠、一つの出会いによって歴史は大きく変わることがあります。その一つの出会いがなければ、義経は平家を倒す術を得ることができなかったかもしれません。誰しも初めてがあるように、義経にとって初恋の人が皆鶴姫でした。  平治の乱で、義経は洛北の金剛寺会院鞍馬寺に預けられていた。命を助けるにあたり、出家を条件にしたのです。武門の子供といえども出家して僧になってしまえば、後年、平家の脅威にならないだろうと考えたのです。  そのため、義経は6歳の時に京都の鞍馬寺に身を預けられ、15歳で出奔するまで約10年間をこの寺で過ごします。  その後、名古屋の熱田神宮で元服し、義経と名を改め、平泉の藤原氏を訪ねている。奥州の藤原秀衡のもとに身を寄せていた義経は、承安四年(1174年)に奥州を発って都に戻り、山科に潜伏して平家の動向を探っていました。  その時、陰陽師・鬼一法眼が『六韜(りくとう)』を所持していることを知った。  『六韜』とは中国の周王朝(前1050年~256年)の太公望が記したとされる書で、「文」・「武」・「竜」・「虎」・「豹」・「犬」の六巻・六〇章からなる兵法書です。  義経は、平家打倒のために弟子入りをする。  『義経記』の巻の一には鞍馬寺に入れられた牛若が、貴船明神近くの山で一人剣術に励む姿が描かれている。義経には数多くの伝説が残されていますが、その中の一つに、鞍馬山中に棲む天狗に剣術を習ったという伝説があります。  天狗の話は、観客や読者を喜ばせるために付け加えられた伝説の一つとされますが、その天狗の正体は鬼一法眼であったといわれます。  そして、義経は皆鶴姫と出会った。  皆鶴姫は、二位大納言・藤原成道の娘で、父が亡くなった後、母は彼女を連れて故郷に帰り、後に陰陽師・鬼一法眼の後妻となる。  その姿は美しく、気仙沼(宮城県)に流された伝説では、皆鶴姫のあまりにも高貴な姿に村人は関わりあいになるのを避けた程です。
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