妖神 其の三 【皆鶴姫】(随筆編)

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 皆鶴姫は若い武士の姿にとりこになったのか、美しい笛の名手のとりこになったのか、次第に義経に心を寄せるようになった。  一方、武芸に励む義経ですが、いくら時期が経っても願い出ても『六韜』の閲覧は許されませんでした。  『新編会津風土記』によると、兵法に通じた鬼一法眼が所有する兵法書をどうしても手に入れようとしたが叶わないので、娘の皆鶴姫に近づいたとある。  このエピソードは歌舞伎の『菊畑』にもなっています。  皆鶴姫が恋慕う義経は、素性が知れたと知るや、皆鶴姫を殺害することを躊躇わない。結果的に皆鶴姫が殺害されることはないが、義経の素性を知ったからには、自身が死ななければならないことは覚悟の上の決死の恋だった。  恋われる義経はと言えば、源氏再興のために皆鶴姫の父親・鬼一法眼殺害と『六韜』の奪取を目論み、その手引きを皆鶴姫に要求する。父親殺害の共犯者になれと言うのだ。そうしたからといって、皆鶴姫の恋が成就するかと思えば、義経はそんなことは言ってない。恋はいつでも、恋する方に酷い犠牲を強いるものらしい。  策を弄して、義経と皆鶴姫は深い仲になった。  『六韜』を盗み出させると義経は全てを読み、平野部で戦う際の戦略戦術や武器の使用法などをとりあげた「虎」の巻だけを自分のものとした。  他の「文」・「武」・「竜」・「豹」・「犬」の五巻については、自分以外が内容を知ることがないように焼却した。  あるいは、「虎」の巻だけを書き写したとも言われます。  余談ですが、現在様々な教習本において「虎の巻」と称した本が存在するのは、義経が「虎」の巻を自分の物にしたことが語源となっています。  後に、平家の大軍を滅ぼす天才的兵法を誰から学んだかについては諸説ありますが、その一つに『六韜』に学んだという説も一般化されています。  そして、皆鶴姫は男子を産んだ。義経の子であり、名を帽子丸という。  皆鶴姫と義経との蜜月は長くは続かなかった。義経は、所在が平家に探知されそうになったため奥州へ逃げた。  『旧事雑考』によると、皆鶴姫は大いに嘆き悲しむが、意を決し安元元年(1175年)八月、帽子丸を連れて皆鶴姫は義経の後を追ったとあります。  だが、義経を訪ねる旅は悲劇を生むことになる。  会津の神指柳原のあたりで皆鶴姫は追手に捕まり、帽子丸は沼に投げ入れられ溺死した。このことを憐れんだ人々は、以後その沼を帽子沼と呼ぶようになった。
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