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とにもかくにも、厳重なセクハラ警戒によって女性部下の身だしなみには言及しづらい部分があった。
とは言え、トリスの言う通り既に九十年の付き合いだ。いつまでも警戒ばかりしてはいられない。
シャルは目を泳がせながら、気まずげに頬を掻いた。
「もうそれなりの関係を築けたから、そろそろ指摘しても良い頃合いかと思ったんだが――」
「かっ、関係……私とエド先輩の? そ、それはっ、こう……特別なアレですか!?」
「おかしな意味合いはない。あくまでも信頼関係だ」
頬を真っ赤に染めたトリスは、「今すぐおかしな意味にしてください! しましょう!」と叫んだ。しかしシャルはその要請を一切拾わずに、彼女の長いツインテールを指差した。
「とにかく、垂らしているよりもまとめた方が効率が良いと思う。僕も作業中邪魔になったら団子にする」
「……まとめ方が分かりません、先輩がお団子にしてください」
「自分でできないと毎日困るだろう。僕が手本を見せるから同じようにすると良い」
「もう、そうじゃなくて、エド先輩が私の髪をまとめてくださいってば! そうしたら一生解きませんから!」
「僕は美容師じゃないし、頭は洗った方がいいな」
トリスはムッスリと頬を膨らませたのち、両手をぶんぶんと振り回し始めた。その小さな口からは「やだやだ触って! 頭なでなでして! さっさと抱いて~!」と、煩悩たっぷりのお願いが聞こえてくる。
シャルは尖った耳を両手でぺたりと塞いで、「時間停止」の影響を受けない遥か上空を流れる雲をぼんやりと眺めた。
――耳を塞いでいても声がしっかり届いているのか、時たま「トリスはもっと自分を大事にした方がいい」と宥めすかしながら。
そうして暴れる部下をかわしていると、入口の前に金色の裂け目が走った。他のエルフが「次元移動」を使ったのだろう。次元の裂け目はじわりじわりと縦に伸びると、突然がぱりと楕円形に口を開いた。
中から現れたのは、シャルと同じ清掃チームとして働く同僚だ。
エルフ族の特徴である尖り耳の女性。しかし金髪ではなく波打つ銀髪、碧眼ではなく赤目。肌の色も白ではなく黒だ。しかも、エルフ族にあるまじき豊満な肢体を惜しげもなく晒している。
どこもかしこも薄く短い布でできた服を着て――というか、最早下着姿と言っても過言ではないかも知れない。
彼女もまた「混ざりもの」だ。ただしヒトではなく魔族とのハーフ「ダークエルフ」と呼ばれる種族である。
「あっ、シャルルンおはよぉ~トリシアちゃんも~」
「おはようダニー」
「ダニエラ先輩、おはようございます」
このダークエルフの名前はダニエラ。3,596歳で、シャルにとっては同時期に養成学校へ通っていた後輩にあたる。
混ざりものとして煙たがられるのはダークエルフも同じで、彼女もまたトリスやアズと似た理由でクレアシオンを志願した一人だ。
ダニエラはニコニコと愛想の良い笑みを浮かべながら、おもむろにシャルに抱き着いた。それを見たトリスはこめかみに青筋を立てたが、しかし引きつった笑みを浮かべて口を噤んでいる。
恐らく、いくら不快でも新人の立場で先輩エルフに盾突くのは難しいのだろう。
「シャルルン、昨日はどこのダンジョンでお手伝いしてたの? いつものカフェに行っても本屋さんに行っても、お家に行っても会えなくて寂しかったぁ~」
「ダニー、いい加減僕のストーカーは辞めて自分の時間を作った方が良い」
「私の時間はぁシャルルンに使うためにあるのぉ~。シャルルンウォッチングが私の癒しなんだからぁ~もう観察歴二千年越えてるんだよ?」
「あまり胸を押し付けないでくれ、セクハラで労働基準監督署へ訴えるぞ」
ダニエラの額に手をついて引き剥がせば、ぽってりとしたぶ厚い唇から「あ~ん」と甘い声が漏れた。
彼女は魔族の中でも、サキュバス種という夢魔の血を引いている。そのせいでやたらと蠱惑的かつ妖艶で、出勤の度に――下手をすれば休日まで誘惑されるシャルとしては堪ったものではない。
ダニエラの場合トリスとは違い、シャルと同じ職場で働くだけでは満足できないようだ。彼の主な休日の過ごし方まで熟知している節がある。
決して四六時中張り付いている訳ではないようだが、休み明けに会うと「昨日面白そうな本を買ってたね~」なんて言われて戦慄することもしばしば。
休日は積極的に声を掛けてこないだけマシなのか、それともかえって深刻な事案なのか――。
シャルはすっかり皺の入ったローブを伸ばすように、パンパンと手で叩いた。するとその横で、トリスが僅かに唇を尖らせながら提案する。
「そろそろ中に入りませんか? 外は暗いですし、入口エリアで待機しましょうよ」
「ああ、それはそうなんだが……初日から問題児の姿が見えないのは困りものだな」
まだチーム全員揃っていないのだが――まあ残りの一人はいつも遅刻ギリギリでやって来る男だから構わないだろう。
ただ問題は、本日付けでクレアシオンに配属が決まったアズの姿がないことであった。
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