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プロローグ
最近の運の悪さにはため息が出る。
会社に向かえば財布を落とし、天気予報雨は度々外れ、何時間もかかって作った書類はお茶が掛かってダメになる。挙句電車に乗れば必ず遅延するし、自販機に小銭を飲まれるし……。
私が何をしたの?
昔から運が良い方じゃないのはわかっている。
ジャンケンをすれば必ず負け、かくれんぼではいつまで経っても見つけてもらえない。というか忘れられるし、テストの解答欄は必ず一問ズレて、安泰だと思って入社した会社は軒並み倒産……。
そして辿り着いたのはサービス残業当たり前のブラック企業だった。
私こと、七草(ななくさ)ひな子(27歳・独身)は神に嫌われているのかもしれない。
独身だから? 家庭なんて築くつもりがないから? 仕事に打ち込んで何が悪いの? お金は大事でしょ?
月灯りすらない暗い夜道を、私は街灯を頼りに進んでいく。風が冷たい。暖かさはまだ遠い。愛しのアパートまでは、まだ五分以上歩かないといけない。
くたくただった。
パソコンとのにらめっこ。商品管理から経理まで全て私の仕事だ。本来私一人でやるのはおかしいのに、人手が足りないからと任された。腱鞘炎になっても労災降りない会社なのに……。
お腹がなった。そういえばお昼も夕飯も食べていない。
作業に必死でそんな暇はなかった。お茶じゃお腹は膨れない。
時計を見れば既に23時を回っていた。しかし、すぐそこにコンビニがある。
うら若き乙女としてはこんな時間に食事を摂るのは身体に悪いと知っている。知っているが……。
私は羽虫のようにふらふらとコンビニの灯りへと吸い寄せられていく。
店内に入って、糖質50パーセントオフパスタにミネラルたっぷりサラダ、デザートのイチゴパフェ、あとビール。それらを籠に入れてお会計。
ものの5分で買い物を終えた私はやる気ない店員に「あっざっした~」と見送られながら家路に戻る。憂鬱な気分も少しは晴れた。買い物袋を振り回す。早くコレで一杯やって……。
「……なんね、あんた。随分と悪い相が出とるよ?」
ぴたり。私の足は止まった。
アパートまであと五十メートルもない地点だ。
街灯の下に、紫色のフードを被って水晶玉を手にした老婆がじろっと私を見上げていた。私は周囲を見回し、私を指さす。
「私の事?」
「そうさね。あんたよ、あんた。もう夜も遅いのにがっつり食べようとしているアンタね。しかもパスタにビール、〆にイチゴパフェとは……肌にも悪いし、なにより太るよ」
「よ、よけいなお世話よ! いいの私は! 食べた分しっかり頭使って消費してるんだから!」
「脂肪はため込まれるさね」
「ぐっ……」
したり顔の老婆に腹が立つ。でもしょせんは他人。無視すればいい。そうして歩みを再開しようとした私の行く手を黒猫の群が横切っていく。
塀によじ登り、黒猫ご一行は私を睨んだ。
にゃあああああああああお……。
私の心臓はバクバクと鳴る。なんで見ず知らずの黒猫ズに睨まれなきゃいけないの!?
「不吉さね……」
老婆の呟きが嫌に耳に残った。
「そ、そんなことないわよ! 黒猫は幸運の象徴って言うし、いっぺんに横切ったってことは良いことが次から次に」
ぎゃあぎゃあ!
けたたましい鳴き声に頭上を見上げると、カラスの大群が急降下してくるではないか。
――私の方に。
「ちょおおおお!? なになになに!? なんなのよ!? や、やめ! ああ! パスタちゃんが! パフェがぐちゃぐちゃに!? ビールの缶に穴がッッ」
ぎゃあぎゃあ!
カラスの群はものの数秒で私の夕ご飯を荒らした。
「こらー! 返しなさい! 返しなさいよおおおお! 私の夕飯んん! サラダだけ残してんじゃないわよ! バランス考えなさいよおおおお!!」
私はコンビニサラダを振り回しながら、夜空の向こうに消えていったカラスたちに怒鳴る。
ぼろぼろになったスーツで路面にへたり込む。
「なんなの……」
もうどうなってんの最近の私……悪いことが次から次に……。
涙ぐんでいると、いつの間にか老婆が私の側に立っていた。
「……あんた想像以上に悪い状況さね?」
肩を優しく叩かれる。同情、憐れみそんな感情が伝わってくる。私はもう自棄だった。
「いいわよ! わかったわよ! カモにすればいいじゃない! 占いなさいよ! 占って私の運勢変えなさいよ!」
財布から三万円ほど取り出して老婆に渡す。老婆はちょっと引いていた。
「己をカモって呼ぶお客は初めてさね……じゃがよかろう。お主の不運を変えるアドバイスを授けよう。あ。アドバイスじゃぞ? 過度な期待はするなよ?」
そうして老婆は告げる。
私の部屋の押し入れにしまってある雛人形――正確に言うとお雛様(女雛)――が私を不幸にしている元凶だと。
今まで私の代わりに穢れを溜めていた女雛は呪いの雛人形になっているらしい。
私の不運は女雛の呪いだ。
だからそれを神社に収めに行けばこの不幸続きは収まる。
「それ本当? 神社とか行く暇ないんだけど……」
「休みの日があるさね」
「休みの日は寝だめするって決めてるの」
「……」
老婆は残念な生き物を見る眼を私に向けてきた。
「何よ! 私の勝手でしょ!?」
すると老婆は溜息を吐き、一枚のお札を差し出した。
「仕方ないさね。それだったらほれ、このお札を女雛に貼りつけて、川に流すといい」
流し雛というらしい。
昔の人は雛人形を身代わりとして制作し、罪や穢れを背負わせ川に流す習慣があったそうだ。雛人形は流されることで浄化し、持ち主を守るのだとか。
だから、いつまでも流さないでいると雛人形が持ち主を呪う場合があるという。
……なんとも迷信じみたお話。
だけど、聞いちゃったものは仕方ない。
私は老婆に三万円を支払い、お札を握ってアパートに帰った。
***
「雛人形雛人形……あった、うわ……段ボールすっごく薄汚れてるわ……」
上京当初母にお守り代わりにもってけ、と言われて仕方なく持ってきた簡易雛飾りセット。
それを押し入れの奥から引っ張り出して開封する。中から埃の被った雛人形とその他もろもろが出てきた。私自身長い事触れていなかったのですっかり忘れ去っていた。
他の人形と比べると確かに、女雛は長く放置されていたせいか髪の毛が傷み、雅な十二単はくすんでいる。
じゃっかん、恨まれていると言われてもおかしくない気がした。能面みたいな顔を見ていると気が引ける。なので別の事を考えてみた。
「……なんであの人私の押し入れに雛人形が入ってるの知ってたんだろう」
あてずっぽうだとしても、一人暮らしの女が持ってるってわかるか普通?
独身オーラでも出てたのだろうか? 考えてみたけど分からない。
諦めて私は老婆からもらったお札をお雛様の額に貼りつける。他の人形は供養しろとは言われてないので押し入れの奥に戻す。
私はお雛様だけを持って外へ。
私のアパートのすぐ目の前は川だった。
公園とつながっているということもあって、川の周辺はいつでも綺麗に清掃されている。
街灯が等間隔で並ぶ川辺に降りて、静かな川の流れにその女雛を浮かべた。
善は急げ、私が不幸でダメになる前に! そんな思いで流れていく女雛に両手を合わせる。
(私の代わりに地獄に落ちてください! あ、地獄は違うな……成仏して! 三万円も払ったんだから!)
徐々に見えなくなっていく十二単。
「よし、終わり! うー、さむ。水冷た。さて、お風呂入ってビールでも……」
私は立ち上がり、川辺から去ろうとした。
――コ……ラミ……ハラ……デ…………
「ん?」
何か声が聞こえた気がして振り返るが、暗い川辺が写っているだけで何もない。
気にするほどのことでもないと決めつけ、私は自分の部屋に戻っていく。
買い置きのビールが確か冷蔵庫に……。
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