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乞われて依織は少しためらったが、紗栄子の覚悟を読み取ったのか、静かに話しはじめた。
南雲は、遠野が包丁で喉を突くと同時に、同じ箇所をかばうような仕草を見せながら霧散していったらしい。ゆっくりと黒い影が散らばり、形を失っていく直前、依織は南雲の顔を見たのだという。人格のない黒いもやではなく、生前の顔。
「ほんの一瞬だけ。怒っても、痛みに歪んでもいなかった。少しだけ、悲しそうに見えた。南雲の感情は……何も伝わってこなかった。消えかけて感情が弱すぎたのかもしれない。それきりだよ」
「そう」
紗栄子は緊張できつく握りしめていた手をゆるめ、ふっと息を吐いた。特殊能力のない遠野には、紗栄子が何を思っているのかは分からない。ただ、南雲が恨みを残して消えていったのではないことだけを祈る。
「少し、南雲について考えたことがある」
依織に顔を向けて言う。
「お前、高校で初めて南雲と顔を合わせたとき、『来ないで』って念じたって言ってたな。南雲はそれを拒絶だと受け取ったみたいだけど……実は違うんじゃないか」
無言のまま、依織はわずかに目を伏せた。
「ただの、心を読まれる恐怖だけじゃなかったんだ。お前も南雲も、互いに感情や思考を読み取るだろう。そんなふたりが面と向かって友人になったらどうなるか。お前の言っていた通り、相手の怒りや、ちょっとした嘲りをすべて見抜く。それでいつか、友情が壊れるのを、お前は避けたかったんじゃないか。互いの嫌なところを見て関係が壊れるくらいなら、最初から付き合わないほうがいいと」
「そうだね」
依織は短く答えた。
「今さらだけど。なんでそんなこと言いだしたの」
「別に……なんというか、南雲はひとの心が読めても、その奥底にあるものは読めなかったんじゃないかって。いや、心が読めるからこそ、かな。ただ一方的に受け取るだけで精一杯だったのかもしれない。表面に出てくる思考や感情の源を探るほど、南雲には余裕も、経験もなかった」
紗栄子に視線を向ける。どこかまぶしそうに細めた目には、どんな感情が込められているのか、遠野にはうかがいしれなかった。
「そういう意味では、南雲は普通の人間だった。普通の高校生の男の子だった。俺はそう思うよ」
紗栄子が一瞬、きつく目を閉じたかと思うと、ふいに立ち上がってカーテンを開けた。遠野のベッドと依織に、秋の穏やかな日が差す。
柔らかい逆光の中、ふたりを振り返って、紗栄子がそっと微笑んだ。
「依織さん。退院のときは迎えに行くわ。それから遠野先生のときも。ふたりが学校に戻ってくるのを、私は待ってます」
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