吸血鬼は※※の掌で踊る

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日野守は現在、困った状況に置かれていた。 「血が……欲しい……」 起き抜け一番、そう呟いた守のこの言葉は、無論、彼が貧血気味故の台詞という訳では無い。それは彼が純真たる人間“ではない”ことを如実に表す言葉であった。 日野守20歳。「日」を「守」るなどという、ゲームで例えるなら間違いなく光属性であったであろう彼はしかし、何を隠そう吸血鬼との混血児(ハーフ)であった。 吸血鬼。世界中にネットワークが張り巡らされ、地球の裏側にいる人間ともリアルタイムでコミュニケーションがとれる今日において、夢幻と同義に語られる存在のひとつであることは間違いない。しかし、現に吸血鬼は存在している。人間と共存する道を選び―――――選ばなかった者は滅びの道を辿り――――人間に紛れて生きる道を選んだ彼らは、密かに人間と交わりながら、進化を続けていった。その結果、日光平気、にんにく平気、十字架も平気とくれば鏡にも平然と映り込む、そんな人間と何ら変わりない種族に変わりつつあった。しかし、それでも適応することが出来なかった体質。 それこそが守を困らせている問題―――――――吸血衝動であった。 吸血衝動があるとは言えど、当然人間の生き血を全て飲み干すようなことはしない。そんなことをすれば一週間後には塀の中である。日本の警察を舐めてはいけない。彼らが吸血をする理由はひとえに彼らの中に存在する「魔力」にこそあった。これは、人間には使えない、「術」を使うための源になるものである。術とは言っても御伽噺の吸血鬼のように、人を洗脳したり、透明になったりといった大それたことはできない。精々、吸血行為がしやすくなる魅了の術や、彼らの身体的特徴である「金の瞳」や「牙」を隠す幻惑の術が使えるに過ぎない。……過ぎないのだが、こと現代日本に生きる道彼らにとっては、それだけの術が使えないことが死活問題なのである。 髪や瞳は最悪どうにかできるとしても、「牙」を隠す術はない。―――一応、外科手術と言う手も無くはないが数日でまた伸びてくる―――普通の食事で最低限の生命活動はできるが、常に空腹感が付き纏う。そうした最悪の生活を送らない為にも、彼らは日々吸血活動に勤しむ訳だが、残念ながら守にはそれだけの勇気はなかった。 17歳の時吸血鬼としての血が目覚め、その小心者の性格が災いし、「吸血行為」をせず、3年余り。空腹感は最早気になりはしないが、瞳や牙を隠すのが難しくなってきた。重い腰を上げ吸血行為をしようとしても、魅了の術が使えないから吸血に踏み切れない。これが守の現状である。 「はぁ…………」 重い溜息をひとつ。決して土曜日の朝から出すものでは無いが仕方がない。もとより、守は貧血気味の低血圧なのである。朝は何よりも辛い。吸血鬼が貧血気味ってどう言うことだよ、と内心毒づきながら重たい体を起こす。そして、既に起きているであろう、ルームシェア相手に挨拶をする、前に、やることがひとつ。 「牙……は出てないな。瞳……うわ、片目金色だ……。カラーコンタクト買おうかな、いい加減……」 鏡を見て、そこに映り込んだ金色を何とか黒にしつつ、守はぼやく。容姿を変える術は簡単な上、消費する魔力も少ないため、楽な方ではあるのだが、現在の守にとっては抑えるところは抑えるに越したことはない。 その他、おかしな所はないかを念入りに確認して、漸く部屋を出た。 「はよ……」 「はよーっす。うわ、相変わらずひっでー顔。洗ってこいよ、飯出来てるぞ」 「ん…………」 和泉恭二 20歳。それが守のルームシェア相手である。元々小心者で人付き合いが苦手。3年前、高校2年生の頃に吸血鬼に目覚めてからはそれに輪をかけて人付き合いから遠ざかっていた守に、唯一話しかけてくれていたのが、恭二である。話しかけられても反応が鈍く、最低限のことしか話さない守にもにこやかに話しかけて、根気強く待っていてくれていた恭二には流石の守も心を開き、進学する大学が同じことを知って、ルームシェアを持ちかけたのは、意外なことに守の方からであった。それに恭二が一も二もなく承諾し、現在に至る。 「今日は?」 「和食。昨日食いたいって言ってたろ」 顔を洗い席に着けば、次々に並べられるご飯、味噌汁、納豆など和食の数々。煮物まである。普段はあまり表情筋が動かない守も思わず笑みを零す。 「おお、旨そう。相変わらず恭二のご飯は美味そうだよな」 食事当番は一週間ごと。守も勿論作ってはいるが、恭二のご飯はそこらのレストランよりもよっぽど旨い為、守の密かな楽しみでもあった。 「調理師の親に感謝だな。冷めない内に食べようぜ」 「ん。いただきます」 「いただきまーす」 そうして、美味しい朝食に舌鼓を打ち、土曜日の朝という、絶妙に面白いものがないテレビのチャンネルを回しながら一息吐いていた時のことだ。 「うわっ」 という恭二の声と、直後に響き渡るガチャン、という音。 「大丈夫か?」 覗いて見れば案の定。 「悪い、お前のマグカップ割っちまった」 しゃがみ込み、あーあ、という表情の恭二の目の前に、無残に砕けたマグカップの残骸が散らばっていた。 「まあ、形あるものいつかは無くなるものだし。気にすんな」 「でも、このマグ気に入ってたろ?」 そう言いながら恭二は破片を拾い集める。折角近くまで来て、片付けを見ているだけという訳にもいかないと守も手伝おうと歩み寄る。 ワインレッドが好きなのにも関わらず、若草色の変なキャラクターがワンポイントで入った守のマグカップ。 「ん……気に入ってはいたけど。それは……」 「~~っ!いって……」 ―――――それは、本当に一瞬の出来事だった。 破片のひとつが恭二の人差し指に食い込み、そして。皮膚が裂け、 「あー、やっちまった。絆創膏どこだ……って守?」 血が、溢れ…………ちの、におい……が…… 「血、」 「っ、おい、まも」 ちゅ、と。 気が付けば。 恭二の人差し指を咥え、無心に血を啜っていた。 おいしい、あまい。みたされる。しあわせ。 それは、生まれて初めての感覚だった。体中に幸福感が流れてゆく、感覚。魔力が満たされ、飢餓感が失われる。 守は暫し夢中になっていた。…………それも、 「守!」 厳しい目つきの恭二に無理矢理引き剥がされる迄のことであったが。 「……はっ……、お、れ……」 まるで、目が醒めるような感覚だった。今の一連の行動がまるで夢の中のことであったかのように、頭がぼんやりとしている。それでも、超えてはいけない一線を超えてしまったという事だけは、守にも確かに理解ができた。理解ができてしまった。 「~~~っ、ごめん!」 「お、おい守!」 咄嗟に手を伸ばした恭二の手を振り払い、守は寝室に駆け込んだ。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― (やっちゃった。やってしまった) 寝室に駆け込んだ守は後ろ手に鍵を閉め、ズルズルとその場に崩れ落ちた。 人の血を吸って自分が"化け物"に一歩近づいてしまったとか、人の指を舐めるなんて言う変態行為をしてしまったとか、許せないことは数あれど、何よりも。友達の血を吸って、あまつさえ。 「美味しい、なんて…………」 もっと欲しいと、美味しいと。 守といると楽だと、一緒に居て落ち着くのだと言ってくれた恭二を―――――――誰よりも大切で、好きな、人が。「食べ物」に見えてしまった事こそが、守にとって何にも代えがたい程に苦痛だった。自分に向けてくれる笑顔が好きだった。上手く話が出来ない自分を、ゆっくりでいいから、と待っていてくれるような気遣いが好きだった。あのマグカップだって本当は、恭二が買ってくれたから大切に使っていたのだ。好きでもない、若草色のマグカップ。 この感情が自分の孤独を埋めてくれたことによる依存感情なのか、はたまた恋愛感情なのか。それすら自分でも分からない内に諦めなければいけないのか。何もかも。 「ふ…………ぅ………」 堪えようと、されど堪えきれなかった涙が守の頬を伝い落ちた。あの時、守を引き剥がした時の恭二の目。 「怒ってた…………そりゃ気持ち悪いよな、野郎に指舐められるなんて」 好きな人に負の感情を向けられることがこんなにも苦しいなんて。悲しいことに上手な人間関係を築くことが出来なかった守が、齢20にして初めて経験する痛みだった。 自主退学、転居の文字が守の頭をぐるぐると駆け巡る。そしてそれらが、遺書、樹海の言葉に変わった時。 コンコンコン とノックの音がして。 「守、おい大丈夫か?」 優しさと、ほんの少しの心配と。色々な感情が詰まった暖かい声に、止まったはずの涙が溢れて流れ落ちていく。 「なんか様子変だったよな、大丈夫か?俺で良ければ話聞くぞ?」 言葉が詰まって声が上手く出ない。こんな時でも恭二は守の言葉をじっと待っていてくれる。急かすわけでもなく、気を遣う訳でもなく、無言の空間すらも楽しいとばかりに、優しい顔で。 「マグカップ割っちまったのがそんなにショックだったのか?また新しいの買いに行こうぜ。あ、今度はなんかお揃いで買うか。」 「それとも血舐めたこと?血くらい別に舐めるだろ?いきなりだったから驚いただけで気にしてねえよ。」 だからさ、な。 「開けてくんね?」 そう優しく諭す恭二の声に、固まっていた心が解れる音が確かに聞こえた。 ドア前に座り込んでいた身体を起こし、鍵を開ける。 本当の事を言ってしまおう。そう思った。今まで、いくら恭二であろうとも、絶対に言えなかった守の秘密。気持ち悪がられるだろうか、馬鹿にされるだろうか。可哀そうな者を見るような目で見られたらと思うと、想像しただけで死にたくなったから。 でも、今なら。恭二なら。こんな自分を受け入れてくれるんじゃないか。事実を受け止めてくれるんじゃないか。そう思ったのだ。 「ごめん、恭二、実はさ……」 ドアを開けてみれば、いつもの優しい顔の恭二がいて、そして。 「ぁ……え………?」 噎せ返るほどの、「血」の匂い。 「馬鹿だなぁ、守は」 旨い……しあわせ……もっと…… 一心不乱に守は恭二の腕から滴る血を舐め取っていた。 あの後、充満する血の匂いに一瞬で思考が奪われ硬直した守を、ベッドに引きずり込むのは恭二にとっては他愛もないことだった。 ろくな抵抗もしない否できない守に馬乗りになり、ナイフで切りつけた腕を口に押し当てる。 「いいよ、守。いっぱいあげる。」 一瞬の拒絶。それも、次の瞬間には思考を停止した守は、恭二の腕に噛り付いた。 「んっ……可愛いね、守。」 ちゅうちゅうと口の周りを赤く染め上げながら血を啜る守に、まるで子供にするかのように頭を撫でる。 ジュル…ジュ……ジュル…… 守に腕を齧られながらも、恭二は守の至る所に触れていく。慈しむように、愛でるように。それは正しく愛撫だった。 頭から、耳へ、首、胸、臍。ひとつひとつの感触を確かめるように。そうして、最後に守の張りつめている場所へと手を伸ばす。と。 「~~~っふあ…っ!」 それまで一心不乱に血を啜っていた守が口を離し悶える。 血を啜られていたのは恭二の方だというのに、目からは涙が溢れ、息は完全に上がり、はっ、はっ、と短い呼吸を繰り返す。 吸血中に恭二によってたくし上げられたシャツから覗く守の日に焼けていない白い肌は、上気して薄ピンクに染まっていた。 そして、極めつけに守の陰茎は完全に勃ち上がり、グレー色のスウェットは濡れて濃い染みを作っていた。 「……はっ、はァ…あつい……あついィ……なんれぇ……?」 紛れもなく「発情」している守の姿がそこにはあった。 「なんで……?」 時間が経ち、血さえ止まったものの、未だ血で汚れている腕をシーツで拭き取りながら、恭二は愉しそうに答える。 「そりゃ、“淫魔”の血をあれだけ飲んだら、そう、なるに決まってるだろ……?」 淫魔。吸血鬼と同様、現代では夢幻と同義とされる存在。それでも吸血鬼と同様、淫魔も確かに存在しているのだ。 「ぶっちゃけ好みでさ。いつかヤらせてくれないかなって思ってたんだけど。」 「……まさか吸血鬼だったなんてな。」 熱く火照った全身をくねらせ見悶える守の服と、自分の服を脱ぎ棄てながらくつくつと笑い声をあげる。 「でもほら、良かったじゃん。give&takeだよ。」 「俺の美味しい血をあげたんだからさ、な?」 次は俺の番でしょ? そう言いながら、目の前に横たわる獲物に淫魔は手を伸ばした。
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