5.娼婦に堕ちた男爵令嬢

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5.娼婦に堕ちた男爵令嬢

 数日後。  俺とアルノーは郊外のスラム街にあるという噂の、とある娼館を目指して寂れた路地裏を歩いていた。  どうやら、この路地裏を抜けた先には多くの娼館が集まる花街が存在するらしい。  暫く二人で雑談しながら歩き進めていると、やがて妖しげな雰囲気を纏った建物が多く立ち並ぶ広い通りに出た。  恐らく、ここが噂の花街なのだろう。  人通りは、それなりに多い。すれ違う人間の中にはそこそこ身なりのいい紳士もいるから、きっとここは貴族も多く出入りしているのだろう。 「上流階級の人間も、数多く出入りしているようですね」 「そのようだな。噂によると、この花街には一年先まで予約が埋まっている高級娼婦がいるらしい。恐らく、その娼婦目当てにやって来たんだろうな」  そんな会話をしながら、俺とアルノーはアビゲイルが働いている娼館を目指す。  暫く歩いていると、前方に白いレンガ造りの館が見えてきた。   「あれが、アビゲイルが働いている娼館か」  呟くと、俺は躊躇なく前進し中へと入っていく。  彼女には、聞きたいことが山ほどある。  すんなり教えてくれればいいが、そう簡単にはいかないだろうな。  館に入るなり、俺はアビゲイルを指名した。  娼館の女主人は一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに営業スマイルに切り替わり── 「彼女、元男爵令嬢らしいですわよ。それが、没落した今となってはあのザマです。人生、何があるか分かりませんわね……ホホホ」  と、意地の悪い笑顔を浮かべつつも俺たちをアビゲイルの部屋まで案内してくれた。  その表情からは、上流階級への日頃の鬱憤や嫌悪感が嫌と言うほど伝わってくる。  女主人の話ぶりから察するに、アビゲイルは日頃からあまりいい扱いは受けていないようだ。  部屋に入ると、早速アビゲイルらしき女性が俺を出迎えてくれた。  透き通る陶器のような白い肌、金色の巻き髪、血のように赤い唇──妖艶な彼女の容姿は、皮肉にも娼婦にぴったりだった。 「あんたが元ミラー男爵家の長女のアビゲイルか」 「……! あなた、誰……?」  懐疑心をあらわにしたアビゲイルは、自分の過去を知る人間に対して激しく警戒する。 「実を言うと、今日は君を買いに来たわけではないんだよ。もちろん、ちゃんと金は払ったけどね」 「どういうこと……?」 「話をしに来ただけさ。君はただ、俺の質問に答えてくれればいい。どうだろう? 金だけは持っている醜い豚みたいな貴族のおっさんに体を差し出すよりは余程楽な仕事だと思うんだが」 「……用件を言って」  回りくどい態度に苛ついたのか、アビゲイルは早く用件を言うよう急かす。 「それじゃあ、単刀直入に聞くよ。君の過去を聞かせてほしい。具体的に言うと、レナード・リーズデイルを巡ってエルシー嬢と揉めた時のことを詳しく話してほしいんだ」 「……!」  過去、という言葉を出した途端、アビゲイルの顔が凍りつく。  やはり、その件については触れられたくないのだろうか。 「何故、そんなことを聞きたいの……?」 「エルシーが行方不明になったんだ。実を言うと、俺は彼女の従弟でね。ここ最近、ずっと行方を追っていたんだ」 「あの女の従弟……? ああ、なるほど」  何やら腑に落ちた様子のアビゲイルは、頷きながら微笑む。 「そう……あの女、いなくなったのね。いい気味だわ。もし誘拐だったら、今頃殺されちゃってるかもね」 「……! やはり、君はエルシーのことを憎んでいたのか。だから、彼女を罠にはめたんだな!」 「罠にはめたですって……? まあ、心外だわ。私は、何もしていないのに。だって、全部あの人がやったことなんですもの」  あの人? レナードのことだろうか。  共犯のくせに、この期に及んで責任転嫁とは……随分といい度胸をしている。 「嘘をつけ! お前が没落しかけた男爵家を立て直す目的でレナードに近づいたのはわかっているんだぞ!」 「そうね。確かに最初は打算があって近づいたわ。でも、私は確かにあの人を──レナードを愛していた! だからこそ、何でも言うことを聞いた! 彼は、その思いを踏みにじったのよ!」  矢継ぎ早にそうまくし立てると、アビゲイルは鋭い視線をこちらに向ける。 「どういうことだ……?」 「最初は、レナードをあの女から奪うだけのつもりだった。ちょっと色仕掛けをしたら私になびき始めたから、私が新しい婚約者になる日もそう遠くないんじゃないかって思ったわ。そんな時、レナードが私に提案したの。『エルシーを陥れて無事始末し終えたら、その後すぐに婚約しよう』って。多分、世間の目を気にしていたんだと思うわ。だって、あのリーズデイル家の嫡男が浮気の末に長年の婚約者を捨てたなんて、いくらなんでも外聞が悪すぎるもの。だから、私も彼の提案に乗ったのよ」  悪びれる様子もなくいい放ったアビゲイルは、醜悪な笑みを浮かべる。  実に不快だ。だが、これで彼女が『共犯』だという裏付けは取れた。 「確かに、その通りだ。それで、君は『嘘の証言』をしたというわけか」 「ええ、そうよ。私はあの人の望み通り、嘘をついてエルシーが自分をいじめていたということにした。そして、彼女は予定通りレナードに婚約破棄を言い渡され、私は彼の婚約者となった。最初のうちは、本当に幸せだったわ。でも、その幸せは長くは続かなかった」 「一体、何があったんだ?」  込み上げる怒りを抑えつつ、そう尋ねる。 「私、生まれつき魔力が低いのよ。レナードには、それを隠して近づいたわ。でも、そのうち誤魔化しきれなくなって──真実を知ったレナードは、日に日に私を邪険にし始めた。彼は、高い魔力を持つ優秀な跡継ぎを望んでいたから。……ごめんなさい、やっぱり前言撤回させて。よく考えてみれば、それ以前からどこか冷たかったわ。多分だけれど、理由は私が仕事ができなかったせいね」 「仕事…?」 「レナードはね、自分の父親が現役だった頃から次期当主として執務を手伝っていたのだけれど、そのほとんどをエルシーにやらせていたのよ。それで、自分はと言えば……夜毎、パーティーに出向いて遊んでいたみたい。私と出会ったのも、彼が夜会に参加している時だったわ」 「なんだって……?」 「あの人、自分が楽したいからって私にも執務を押し付けていたの。エルシーと同じようにね。でも、悔しいけれど、私はエルシーのように押し付けられた仕事を完璧にこなすことができなかった。『魔力が低い上に、仕事すらまともにできない。そんな女はこのリーズデイル家にはいらない』と無能の烙印を押されて……私は、一方的に別れを告げられた」  そこまで話すと、アビゲイルは静かに立ち上がって窓の外を眺めた。そして、続きを語り始める。 「婚約して、ちょうど半年後のことだったかしら。あの人が突然、『エルシーとよりを戻す』って言い出したの。きっと、彼女のほうが役に立つと判断したのね。お払い箱になった私は、容赦なく婚約を破棄され──ほどなくして、ミラー家は没落。その結果、私たちは路頭に迷うことになったの。お陰で、今は借金返済のために娼婦として底辺の生活を強いられているわ。ふふふっ……まさか、自分が一番馬鹿にしていた立場に成り下がるなんてね。皮肉なものだわ」 「……」  何も言えず、黙り込んでしまう。  知らなかった。そんな過去があったなんて……いや、知らなかったでは済まされない。  俺は、何故エルシーが苦しんでいることに気づいてやれなかったのだろう。後悔ばかりが募る。  でも、これでようやくわかった。エルシーは、確実にレナードを恨んでいる。あの呪いをかける動機としては、十分すぎる仕打ちを受けているから。  できることなら、エルシーを疑いたくなんかない。  けれど、そう考えると全部辻褄が合うのだ。  寧ろ、復讐の機会をうかがうために復縁に応じたと言っても過言ではないだろう。  ──あの人形を置いたのは、恐らくエルシーだ。彼女は、リーズデイル家の人間を呪い殺そうとしているんだ。 「情報提供ありがとう。俺は、大切な従姉を貶めたお前を許せない。……でも、正直に話してくれたことだけは感謝するよ」  そう告げると、俺はできるだけ波風を立てないようにくるりとアビゲイルに背を向け、すぐにその場を立ち去ろうとした。  このままここにいたら、彼女を殴ってしまいかねない。もしそうなったら、圧倒的にこちらが不利だ。  だが、彼女はそんな俺を引き止めるように話を続ける。 「私とレナードの間にはね、子供が一人いるの」 「は……?」
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