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「うわぁ、このシチューおいしい!」
食卓の向かい側で、一人娘の一花が感嘆の声を上げる。すると、俺のとなりで妻がにんまり笑い、胸をそらした。
「えへん! 新作よ。ボルシチ風ビーフシチュー、お母さんスペシャル」
「レシピある?」
「テレビで作ってるのを見て真似しただけだから、分量とか適当なのよ」
「へぇ、適当でこんなレストランみたいな味にできるの?」
「そこはほら、主婦歴二十二年の経験よ」
妻は笑顔でチラリと俺を見てから、料理のできない娘を励ました。
「大丈夫、誰でも必要になればできるようになるわ。お母さんだって、結婚した頃は味噌汁ひとつ作れなかったんだから」
実家暮らしだった妻は新婚当初、本当に料理が下手だった。出汁のない味噌汁、焦げた肉、生焼けの魚。
いつまでこれが続くのかと、未来の食生活を密かに嘆いていたことは、妻には秘密だ。
「『おいしい』って、ありがたいことだよね」
スプーンですくったシチューを口に運び、しみじみした口調で一花がつぶやく。妻はうなずいた頭を戻さず、口の端を上げた。
「本当にそうね。味覚がないのがあんなにつらいなんて、経験しなければ分からないわ」
「シチューも白米も、すごくおいしい」
「お父さんのおかげね」
「ありがとう、お父さん」
最愛の二人に見つめられ、俺は妻の手料理を前に微笑んだ。
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