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一花が病気で味覚を失ったのは、まだ高校生だった二年前。発熱や痛みなどの症状はすぐに収まったが、味覚障害だけが治らなかったのだ。
「人は、口の中にある味蕾という器官で味を感じます。一花さんの味蕾は病気で破壊されてしまい、残念ながら回復の見込みはありません」
主治医は淡々と、俺たちにそう告げた。
俺も医者だが、専門は脳外科。娘に何もしてやれない無力を嘆きつつも、重篤な後遺症でないのは不幸中の幸いだったと、密かに胸をなで下ろしてもいた。
甘かった。
一花はじきに食事を嫌がるようになった。呼んでもなかなか食卓につかず、俺や妻が食べる姿を暗い目で睨む。やつれた彼女は情緒不安定になり、家の雰囲気は次第にぎすぎすしていった。
このままでは家族がだめになる。
俺は妻と相談し、ある脳手術を娘に施す決断をした。と言っても、素人の妻に詳しい説明はしていない。先進医療で助けてやれるかもしれないと話しただけだ。
娘の手術は成功した。
好物のシュークリームを頬張り、目を輝かせた一花の顔は、今でも忘れられない。娘は「何を食べてもおいしい!」と喜び、我が家は再び明るくなった。
そしてその半年後、今度は妻が同じ病気で味覚を失ったのだ。
「何を食べても、消しゴムや粘土みたいに感じるの。味がしないってだけで、噛むのも飲み込むのもつらいのよ。私、一花の苦しみを全然わかってなかったわ」
妻は味覚障害の辛さを俺に吐露した。
大切なものは、失ってはじめて気づくものだ。
命を支えるために栄養を摂取し続けなければならない俺たちが、そこに喜びを感じられなければ、毎回の食事は苦痛でしかない。
娘と同じ手術をと妻に頼まれたとき、俺に迷いはなかった。
病室のベッドの上で、頭に包帯を巻いた妻は、娘がむいた林檎を泣きながら食べた。
「おいしい」
それは、しあわせそのものだった。
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