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二人は今、取り戻した「食べる喜び」を存分に楽しんでいる。
「あぁ、このシチュー本当においしい。シャクシャクしたのが入ってるけど、これ何?」
「それね、実は梨。テレビではビーツを使ってたけど、近所に売ってないから代用したの。食感も似てるし、入れてみたら大正解」
「お母さん、すごい!」
「レシピって二人前で書かれてることが多いから、アレンジは常に必要なの。サワークリームが余っても使い道がないし、そのへんをうまく応用するのが主婦ってものよ」
ビーフシチューに梨、か。
俺はごくりと唾を飲み込んだ。
うまそうだと思ったからじゃない、逆の意味でだ。
どうか、食べられる味でありますように。
スプーンを持ち、覚悟を決めて、俺は茶色い液体にその先を沈めた。
俺の手術は、味覚を復活させたわけではない。
二人にちゃんと、説明すべきだっただろうか。
「思った味と違う」。誰にでも、料理を口にしてそう感じた経験があるだろう。人は食料を見ると、無意識にその味を予想する。自分の記憶から好みの味を思い浮かべ、それを期待して口に運ぶのだから、想像と実際の味が食い違うのは当然だ。
俺はそこに目をつけた。
破壊された味蕾は、脳の味覚野に情報を伝えることができない。だったら、脳に蓄積された「味の記憶」を再利用できないだろうか、と。
俺は妻子の脳に、神経回路の刺激を制御するチップを埋め込んだ。
食べものを前に、記憶から生まれた「期待する味」。それが電気信号となり、味蕾からの情報であるかのごとく味覚野に伝わるよう設定したのだ。
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