それでも比べちゃう

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それでも比べちゃう

 私は映画が好きです。ただ気に入った作品ばかりを繰り返し見るので、観た本数はあまり多くありません。また映画館に行くよりもレンタルや動画配信で鑑賞することが多く、「映画鑑賞が趣味」とは言いづらいところです。  私は狭く浅く映画が好きなのです。  世に名作は数多くありますし、人によって好みはそれぞれでしょう。私の中では「マイライフ・アズ・ア・ドッグ」(My life as a dog)が、最も心に残った映画の一本です。  同じ十代前半の少年を描いたものならば「スタンド・バイ・ミー」を推す人の方が多いかもしれません。思春期の少年たちの心情を見事に描写した佳作で、アカデミー賞などにノミネートされ、世間的にも高い評価を得ています。  同じ12歳の少年を主人公に据えたふたつの作品を比較して、優劣を論ずるつもりはありません。ただ前者の方が、私の胸により響きました。  実のところ、スタンド・バイ・ミーは主人公たちが「The Body(なきがら)」を探しに冒険へ出る経緯がどうしても理解不能です。だからクライマックスでも、自分の少年時代と作中の少年たちの違いばかり気になって、さほど心を動かされませんでした。  アメリカの映画を観たり、小説を読んだりしていると、登場人物の言動の理由や屈託が分からないことがあります。私の個人的な問題かもしれませんが、広大な土地で生まれ育った白人とは考え方や受け止め方など、何かが根本的に違うのかもしれません。  間違いなく言えるのは、衝撃的な事件の起きた2日間の回想よりも、劇的なイベントのない1年間をつづった少年の成長物語の方が好きだ、ということです。  私は最近、「ヒトは本能的に比べたがる生き物じゃないか」とひたすら考えていました。幸せを感じることも、幸せになりたいと願うのも、自分と他者との比較で生じる心の動きではないかと思えたのです。  前述のマイライフ・アズ・ア・ドッグでは、自分を犬に見立てている主人公は、「(犬としての)僕の人生は、あの犬(ライカ)よりましだ」と考えることで、不幸な境遇に置かれた自分を慰めようとします。あの犬とは、冷戦時代の宇宙開発競争でソ連の人工衛星(スプートニク)に乗せられた犬のことで、地球に帰還する手段を持たないロケットで打ち上げられました。  主人公はまず自分を犬としていて、他人(にんげん)とは比較しません。その上で、犬の中でもかなり不幸な犬と比べることで、やっと「あれよりはまし」と思えるのです。客観的にどうこうではなく、彼は自分自身の中で不幸の底にいます。  少年の名はイングマル。先日、雪乃かぜさん主催の「御伽噺からはじまる物語」のために書いた、「ものがたりをください」で、主人公の本名とあだ名は彼から取っています。  自分が幸せか不幸せかの基準が他人との比較によるものだとすれば、それに限らず貧富や美醜、頭の良し悪しなど、優劣のつくものはたいてい誰かと誰か(主に自分と誰か)を比較した際に生じるのではないでしょうか。だとすればあまり客観的な基準に基づく判断とは言えなさそうです。  幸福感や優越感を得たい人がいる――うちの長男の言葉を借りれば、「マウントを取ろうとしてくる奴がいる」ですが――場合、「自分に不足しているものがある」という認識が生じれば、まずはその分を埋めようとして行動を起こすでしょう。その結果が自分磨きだったり、対価を払うための労働だったりするのです。  比較によってモチベーションが生じることに関しては、なにも悪いことはありません。ただ人によっては、汗水垂らして労働することをよしとせず、他人を騙したり、金品を盗んだりという楽な手段で欲しいものを得ようと考えます。それはもちろん犯罪行為であり、悪いことです。  それでは犯罪をする人は皆、「悪人」なのでしょうか。けっして善人でないのは確かですが、その人の置かれた環境によっては悪意をもたずに犯罪行為をしてしまう者がいないとも限りません。他人と比較して自分が不幸であることに苛立ち、その差を埋めるために起こす行動の選択肢に、不法行為や迷惑行為が含まれてしまう場合です。  彼らは自分の行為が「他人からどう見られているか」や「他人がどれほど迷惑するか」を想像できなかったり、そもそもなにが悪でなにが善か基準を持っていなかったりするのかもしれません。  結論から言ってしまえば、それが自作「ものがたりをください」の主人公であるワンコです。彼は「自分の中に物語を持たない」がために、自分の行為の善悪が分からないし、自己を客観視することもできません。想像力も乏しいため、自分の行為と周囲への影響の因果関係が分からず、犯罪行為をすると警察に捕まって最終的には少年院へ送られるという将来の予測さえも出来ません。  これらの設定は、宮口幸治氏の「ケーキの切れない非行少年たち」から着想を得ています。その中で、非行少年に共通する特徴は「想像力の欠如」だけではありません。そこで小説としての分かりやすさを考え、「物語を持たないから」という理由を考え出したのです。  作品のラストに味志ユウジロウさんから、「(前略)実際にワンコのような少年が居た時、どれだけの大人が導いていけるだろうか。(後略)」とページコメントをいただきました。私の言いたかったことは正にそのとおりで、世にいるたくさんのワンコたちに幸せが訪れるといいな、と願いながら執筆したのです。  映画の話に戻りますが、私はスタンド・バイ・ミーを、主人公とクリスが物語終了後にそれぞれ自分の力で助かる――未来へつながる――話と受け取りました。対してマイライフ・アズ・ア・ドッグでは、主人公が周囲の人々に見守られつつ成長していく過程が描かれています。  乱暴なまとめ方をすると、前者は自力で助かることの出来る者だけに救いがあります。一方、後者は主人公の成長が彼だけではなく周りの人々にも救いをもたらすのです。  もしかすると大事なのは、他と比較して自分の価値を決めるのではなく、理想とする自分のイメージと自分を比較することなのかもしれません。もっともその理想像が特定の芸能人や著名人、金持ちなどだった場合、差はかえって大きくなるかもしれませんが。 (了) 2022・10・25
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