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オレの話を聞け
私はテレビやネットの画像はもちろん、字を読んだり音声を聞いたりしても頭の中に映像が浮かびます。なにかを覚えるときは、その映像を記憶しているようです。だからかもしれませんが、物事の概要とか流れとかは覚えやすく、数字などの情報を暗記するのは苦手です。
ちなみに私の妻は情報を映像化しないそうです。彼女はよく資格試験の参考書などを読んでいるので、それらをどう覚えているのか尋ねてみると、「大事な箇所は、文字が光ったり、浮かんだりして見える」と、答えが返ってきました。
「教科書の太字に蛍光ペンを引いたみたいな。だからそこだけを覚える」
ちょうどテレビで驚異的な記憶力を持つ女性捜査官が活躍するドラマが放映されていた時期で、私の脳内ではいくつもの単語や数字が彼女の周囲に浮かんでいる様子が映像化されました。
「すごいね。初めて読む文章で、そういうことが起こるんだ」
「私には映像化する方が難しいというか、やり方さえ分からないけど」
つまり人それぞれ、ということだと思います。すでに結婚して十数年が経っていましたが、お互いに初めて知った驚きの事実でした。
ちょっとしたことでも疑問を口にしてみると、会話の中から未知の世界が開けることがあります。
私は人見知りですから、若いうちは「誰にでも話しかけられて、なんでもかんでも遠慮なく聞くことが出来たら、人生はどれほど楽だろう」と思っていました。まだ20代で、早く仕事を覚えて一人前になることに懸命だったのです。その頃、こんなことがありました。
新幹線か飛行機かは覚えていません。定年ちかい上司のMさんと二人で移動していました。横並びの席での長い沈黙はさすがに息苦しいので、私は会話の糸口を見つけ出そうと、いろいろ話題を振っていました。
当たり障りないだろうと、SONYのVAIOを買った、という話をしました。
「なんだ。君も95、買ったのか」
それまでほとんど単語でしか話さなかったMさんが、急に食いついてきました。
後にウィンドウズが事実上の標準OSとなったのは、「95」こと「ウィンドウズ95」が一大ブームになったからです。ちなみにMさんはデスクトップの高級機を所持していました。
「ひとつ、教えてくれ」
私も専門知識があるわけではないのですが、とりあえず話を聞くことにました。
「パソコンの電源を入れるたびになんかのチェックが始まるんだけど、あれどうにかならないか。いちいち時間が掛かってしょうがない」
今日ではそもそも、機械式スイッチで電源を切る、という状況がまずないと思います。当時パソコンに不慣れな人は、「スタートメニューから終了する」という手順を失念することがありました。
「それならばすぐに解決出来ますよ」
豈図らんや、問題は解決しませんでした。原因は、Mさんが人の話を聞かないから、です。
私はゆっくりと丁寧に、パソコンを正常終了する方法を説明しました。相談者はうなずきながら聞いています。
「これで次からは、すんなり起動することが出来ますよ」
説明を終えると、Mさんが声を上げました。
「でも、タイマーで切れるだろ。メニューからシャットダウンなんて出来ない」
「え? なんのタイマーでしょうか」
お孫さんが3人いる、という上司は胸を反らしました。
「パソコンは目に悪い。だから電源タイマーを使って、2時間で切り上げるようにしているんだ。な、いいアイデアだろ」
目の前が暗くなったような気がしました。
「あの、電源タイマーはやめた方がいいですよ」
「なんでだよ」
私はめまいを覚えながら、「それはコンセントを引き抜くのと同じです」と説明しました。正常終了の意味や重要性についても再び、出来るだけ語りました。
「でも俺は、タイマー使うんだもの。ちゃんと起動しないのはおかしいだろ」
なんということでしょう。Mさんは電源タイマーの使用を止める気は全くないのでした。結果としてデータが破損しても、精密機械が駄目になっても、俺のせいじゃない。壊れやすいものを作るメーカーが悪い、という理論です。
つまり私の説明は全部、無駄だったのです。Mさんにとって「教えてくれ」というのは質問ではなく、ご自身の偏屈な主張を相手に聞かせるための、きっかけに過ぎなかったのでした。
およそ1時間後、私は無力感に打ちひしがれていました。
「もう、好きになさったらいいと思います」
人生であまり、口にしたことのない台詞を吐きました。疲れていましたし、絶望していました。苛立ってもいました。偏狭な人を相手に、丁寧語で説明し続けたせいだと思います。
そういうことが後に何回かあって、私はやっと「分からないことを他人に聞くのは、美徳とは限らない」と思い至りました。分からないことを分からないまま放っておくのは困り物ですが、他人の意見を受け容れる気がないのに聞くふりだけをするのは失礼だからです。
そのパソコンが毎日のように加えられるショックに、どれほど耐えられたのかは知りません。どちらかといえば定年後のMさんが、家族や近所の方々と上手くやっていけたのだろうかという方が気になっています。
(了)
2022・01・08
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