恥ずかしい

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恥ずかしい

 膝が痛いです。両方の膝です。昨日は左膝の曲げ伸ばしがつらかったのですが、無意識のうちに庇って歩いていたのか今朝は右の膝下に痛みがあります。  正月三日の朝ぼらけ、私よりもひと回りは年上と見受けられる方が、地下鉄の駅へと続く階段を駆け降りていきました。その横で手すりに手を伸ばし、体重をかけて曲げ伸ばしするのは左足だけというやり方で、一段ずつちまちまと降りていくと、自分がなんだか恥ずかしく感じました。  でも、なぜ恥ずかしいのでしょう。ちゃんと服は着ているし、奇声を発しているわけでも、悪いことをしているわけでもなく、誰かに「爺むさい」と指摘されてもいないのに。  ふだんは頼ることのないステンレス製の手すりは、ずっと触れていると指先から熱が奪われて、痛いほど冷たいです。次に外出するときは手袋を忘れないようにします。それにしても膝が痛いというだけで、ずいぶん不自由なもんだな、と思いました。そこら辺がどうやら、恥ずかしさを生み出している原因のようです。  人それぞれ生まれ育ちも違えば、宗教や思想、個人の嗜好があるので、なにを「恥ずかしい」と感じるかは一概には言えません。ですがたいていの「恥ずかしさ」は社会において、他人の目を気にすることにより生じるのだと思います。  例えをあげるなら、もし混浴の温泉に入ることになったら、私はやはり色々と恥ずかしく感じるだろうと想像しますし、少なくともタオルで前を隠さずにはいられないでしょう。  でもドイツの温泉保養地(バーデンバーデン)において、客はタオルで身体を隠すことはしません。これは文化というか、風俗習慣の違いでしょう。行ったことはないですが、裸体主義者(ヌーディスト)の集まる場所(ビーチ)もあるそうで、これはどちらかというと思想や信念で裸なのだと思います。  悪い例なら、裸にトレンチコートだけという変態さんは性的倒錯を起こした人で、やっていることは犯罪ですね。昔はちらほらいたストリーキングは、パフォーマンスか精神疾患のどちらか悩むところ。特定の宗教ではTシャツでさえ肌を人目に晒すから不謹慎だそうで、性差別の厳しい社会だなあと感じます。  裸を例に挙げたのは、老若男女に共通して分かりやすいと考えたからです。恥ずかしさの基準も色々ありますが、つまるところ人間は社会的動物であるから他人の目を気にして恥ずかしいと感じるのでしょう。  矛盾しているかもしれませんが、私はその結論に違和感を覚えました。そうすると私が階段を降りる自分の姿を恥ずかしいと感じたのも、他人からどう見られているかを気にしてのこと、ということになるからです。  不完全や不自由であること、障がいなどは恥ずかしいことではありません。なのに私が、自らの足の不自由を恥ずかしいと感じたのなら、日頃そういう目で他人を見ているのだということになります。それはいただけない。とても恥ずかしいことだからです。  また右膝に痛みが走り、私はぎくりとして足を止めました。今度は周りに誰もいないのに、やはり恥ずかしさを感じます。でもこの感じ、以前にも味わったことがありました。初めてぎっくり腰になった時の状態に、よく似ているのです。  腰を痛めたのは、もう10年前でしょうか。まず、そんなに肉体が衰えていたのか、と悲しくなりました。床を四つん這いで移動する姿は我ながら惨めで、他人に見られたら恥ずかしいだろうなと思ったものです。  でも一番強い感情を抱いたのは、整形外科で処方されたコルセットをはめて外出した時でした。外見はいつもの私ですが、中身は「腰くだけ状態」なので、とても不安でした。自分の腰の痛みより、「何かあっても家族を守れない」とか、「襲われたら抵抗できない」とか、悪い想像ばかりして、恐怖心に似た感情を抱いたのです。  その感覚に、足を引きずって歩く今の私の「恥ずかしい」気持ちは、とてもよく似ています。私の勝手な想像ですが、おそらく人は、自分の身体不自由や能力不足によって生じる恐怖心を、羞恥心と置き換えているのではないでしょうか。あるいは今より危険な状態に陥らないようにするため、予防として恥ずかしさが生じて、無茶な行動や目立つ行動をとらせないようにしているとも考えられます。だとしたら社会生活上のリスクを減らすために、自分の内に生じた感情に、もっと注目すべきかもしれません。  やっと下の階に着いて、ぎこちない歩みで改札へ向かいます。これから地下鉄に乗って出かけるのですが、家に戻るまでいったいいくつの階段を下らなければならないでしょう。  公共交通機関のバリアフリーをもっと進めるべきだと、強く感じました。健常者以外に我慢を強いる社会は、未発達の恥ずべき状態にあると言えるからです。  偉そうに述べましたが、これもまた自分が痛みを知って、初めて気づかされたことでした。 (了) 2022・01・04
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