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母は言わず
俺が産まれたのは寒い冬のことだったらしい。寒くて寒くて、雪が降るどころじゃないくらいの寒さだったらしい。
それを俺に教えてくれたのは、母でも父でもなくて、助産師だった人だった。
俺が産まれて何年か経った後。物心がついて周りを見るようになった頃。煩いくらいに俺はこの言葉を叫んだ。
「なんでおかあさんがいないの」
俺は母親を知らなかった。顔も、名前も。じゃあ、どうやってそれまで生きてこれたかって? 覚えてないよ。
でも、誰かが俺を助けてくれていたんだろうな。ミルクを与えて、おむつを替えて、寝かしつけて。それをしてくれたのは母親ではない。それだけは確かなんだ。
だから、俺は理解するまで泣き叫んだ。
「どうしておかあさんがいないの」
俺は、産まれてからずっと母を知らない。いや、違う。産まれたその瞬間にだって、俺は母の温もりを知ることができなかった。母になった女性の、務めを果たしてやりきった笑顔にさえ出逢うことはなかった。
俺の知っている母というものは、冷たくてかたい。そういうものだ。どろりとした赤い液体と、売っている肉よりも色味が悪くてかたい肉の塊。うん、生き物ですらなかった。と、思う。その時はもう既に。
俺の母は自分では子どもを産めなかった。身籠って、腹を大きくして、俺は彼女の胎内で優しく育てられたんだと思う。
誰もが漂っていた羊水の中で、俺は同じように膝を抱えながら。丸くなって。体温を分け与えられていた。
そんな気がする。
そのまま起きずに、ゆらゆらと夢の中で揺られていたら、誰も辛いことなんて知らずにいられるんだろうな。
きっとみんなも思ったことがあるはずだ。
産まれる前のあの場所へ還りたい。
あの温かくて、優しくて、何も知らなかった頃に戻りたい。
たぷん。たぷん。母の胎の中で揺られていたい。
誰だって、きっとそう思うんだよ。
まあ、俺は嫌だけどな!
言っただろ? 俺がいた母親の胎っていうのは冷たかったんだ。
冷え性とかじゃなくて、さ。
俺の母さん、俺が外に出る前に死んでたらしいんだ。
俺の母さん、俺が産まれる前に死んでたんだ。
俺は。
俺は。
産まれてくるのさえ、遅刻してきてたんだな。
俺は、今も昔も遅刻常習犯だ。
きっとこれからも、この遅刻癖はなおらない。
大事なときほど、遅刻する。
大切なことを知るのはいつだって一歩遅い。それが、俺なんだ。
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