特典

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 いやあ、全く酷い世の中になったもんですねえ。  とにかくおちおち道も歩けやしない。いつどこで頭のおかしな奴が刃物を振り回しながら襲いかかってくるか、わかりませんよね。ちょっと電車に乗って遠出しようにも、突然ガソリンでも撒かれて火を点けられた日には、どこにも逃げ場は無いですしね。そんな理不尽な死に方、本当に浮かばれませんよね。  大体、ああいう事件を起こす奴ってのは、大抵「もう、全てが嫌になって死にたかった」とか言ってますよね。死にたいのは勝手だけど、死ぬなら一人で死ねばいいんですよ。全く、なんで他人を道連れにしなきゃならないんでしょうね。要は、一人で死ぬのが怖いんでしょうね。でも、道連れにされる方はたまったもんじゃないですよね。結局、自分さえ良ければ、他人はどうなってもいいっていう独りよがりの考えが蔓延してるってことでしょうね。  まあ、それは前置きとしまして、私自身の経験をお話するというお約束でしたね。怪談を集めてらっしゃるとかで。なかなかいい話が集まらなくて苦労している?はは、ご苦労様です。こんな話、お役に立つかわかりませんけど、とりあえずお約束ですから、お話させて頂きます。  私が住んでいるのは、ごくありふれた二階建ての安アパートですが、二階には三つの部屋があります。私の部屋は廊下の西側の端にあたる203号室で、ここに住んでもう三年近くになります。一方、反対の端の201号の人は、私よりも古株の住人で、もう70絡みの吉田さんという爺さんですが、とても気さくで快活な方で、廊下なんかで出会うと、いつも元気に挨拶してくれます。今でも現役の警備員だそうです。  そして、真ん中の202号室は、1年くらい前に住人が代わったんですが、新しい住人は、30から40代くらいの佐久間という陰気な男性で、たまに出会った時、こちらが挨拶しても、返事もしません。仕事も何をやっているのか、よくわかりません。一日中家にいるような時もあるようで、そうかと思うと、夕方頃出かけて、明け方近くに帰ってきたり、生活パターンもよくわからない人でしたね。時には、こちらがもう休んでいる午前二時とか三時くらいに帰宅することがあるんですが、そういう時は普通は、周りの迷惑を考えて、なるべく音をたてないように配慮するもんでしょう?ところが、彼には全くそれが無いんです。帰宅後の生活音、靴を乱暴に脱いで放り出す音、着ていたものをばさっと脱ぎ捨てるような音、そしてお茶でも淹れてるんでしょうけど、食器をガチャガチャ鳴らす音とかが丸聞こえで、こちらとしては、ぐっすりと寝入っているところを起こされたのも一度や二度じゃないんです。どうしても我慢できなくて、壁をドンドン叩いてやったこともあります。ええ、何回かありますよ。だって、こっちも安眠を妨害されてるんですからね。もう、本当にそれこそ自分さえ良ければって奴ですよね。ああいう人間が増えてるんでしょう。嫌になりますよ、まったく。  そんな所に住みながら、それなりに平凡な日々を暮らしていた私ですが、ある日帰宅すると、玄関扉に備え付けの郵便受けに、何か入っています。取り出して見ると、それはありふれた白い封筒でした。宛名も差出人も何もなく、封さえされていない真っ白な封筒が一つ放り込まれているんです。  とりあえず、逆さにして振ってみると、二つ折りにされた一枚の紙がはらりと舞い落ちました。開いてみると、何やら文字が書いてあります。 「当選おめでとうございます」  几帳面な手書きの字体で、妙な黒っぽい色合いのインクを使って、紙の真ん中にその一言だけが書いてありました。他には表にも裏にも何も書いてありません。  何に当選したんだろう?そもそも自分は懸賞の類に興味が全く無く、宝くじさえ買ったことがありません。勿論、何かの懸賞に応募した記憶も全くありません。  何か新手の詐欺だろうか。あまりにも気味が悪かったので、私はとにかく無視を決め込むことにしました。手紙も封筒と一緒に屑籠に捨ててしまいました。  それから、三日程たったある日のことです。帰宅してみると、またも郵便受けに、白い封筒が入っていました。嫌な既視感に捉われながらも、逆さにして振ってみると、はたして今回も一枚の手紙が出てきましたが、少し文言が長くなっていました。 「当選おめでとうございます。近々特典をお届け致します」  依然として、わけのわからないことが書いてあります。特典だか商品だか商品券だか知りませんが、とにかく何の懸賞にも応募した記憶が無い私としては、当惑するばかりです。黒っぽい文字の色も、何故か乾いた血の色を連想させて、不気味な感じがします。腹立たしくなった私は、手紙と封筒をくしゃくしゃに丸めると、思い切り屑籠に放り込みました。  そしてそれから、二日目のことです。またもや、あの白い封筒が郵便受けに投函されていました。一層不気味な感じがしましたが、妙に気になってしまって、中味を確かめずにはいられません。取り出された手紙を見てみると、今度はこう書かれていました。 「お待たせ致しました。明日、特典をお届け致しますので、ご在宅願います」  何だ?勝手に変な手紙を送り付けてきて、挙句の果てに家にいろだと?こっちの都合も聞かないで、何様のつもりだ?その図々しさに、私はもはやあきれ果てていました。一体どんな奴がこんな手紙を書いているんだろう。そんなことを考えながら、私は、テーブルに放り出した手紙を呆然と眺めておりました。  その翌日、勿論私は普通に外出しました。はなから無視を決め込んでいたんですから、当然と言えば当然です。いつものように外出し、普通に予定をこなし、7時ごろに帰宅しました。  新聞受けを開けるときは、少し緊張しましたが、今回は何も入っていません。不在通知のような物もありません。考えて見れば、当たり前のことですが、やはり私は少しほっとした気分になりました。やっぱり単なるいたずらか、新手の詐欺か何かだろう。とにかく関わらないに限る。私はいつものように買って来たコンビニ弁当と缶ビールで夕飯を済ませると、少しだけテレビを見て、シャワーを浴びるとさっさと寝てしまいました。  ところが、その夜のことです。 「うぎゃあーっ!!」  隣の202号室から沸き起こった物凄い叫び声に、私はたたき起こされてしまいました。寝起きの頭ですが、今自分を起こした声は確かに隣から聞こえて来たものだということは、すぐに分かりました。その後は妙に不気味な沈黙が続いています。  何かあったんだろうか。日頃関わり合いになりたくない住人ではあるものの、万が一強盗でも入って刃物でも持っていたら……不安感が募ると同時に、私は、隣の状況を確認せずにはいられなくなりました。  そっと、扉を開けて廊下に出ます。隣室の扉は、何事も無かったかのように、静かに閉じられています。空耳だったのかな。自分が夢でも見ていたのかと思った途端、反対側の201号室の扉が開いていて、そこからびっくりしたように目を見開いた吉田さんがこちらを見ているのに気が付きました。彼も、やはりあの声が聞こえたのでしょうか。 「今、何か物凄い声が聞こえましたよね」 「うん、聞こえた。あんたも聞こえた?」  私は頷きました。やっぱり、夢じゃなかったんです。 「確かにこの部屋から聞こえましたよね」  私が確認すると、吉田さんも無言で頷きました。そして、そのままつかつかと202号室の扉に近づくと、新聞受けの投入口から中を覗きます。 「駄目だ、暗くて見えねえや。もしもし、佐久間さん、佐久間さん?大丈夫ですか?」  そう言うと、扉をどんどん叩きながら、大きな声で呼びかけました。ですが、中からは何の応答もありません。 「出かけてるんでしょうか」  私の言葉に吉田さんは首を振りました。 「今日は、俺は一日中家にいたけど、彼は出かけていないと思うよ」  そうこうしているうちに、一階の住人も何事かと起きだしてきました。やはりこの202号辺りから叫び声が聴こえたと言っています。結局、警察や救急車を呼ぶ騒ぎとなり、電話でたたき起こされた大家さんが合鍵を持って駆けつけてきました。  その結果、佐久間氏が布団の中で死亡していることが確認されたのです。  これは後日わかったことですが、結論的には、寝ている間に急性心不全をおこしたことが直接の死因と判定されたそうで、他には特に外傷のようなものもなかったようです。それにしても、あの恐ろしい叫び声。今でも私の耳にはっきり残っていますし、吉田の爺さんも聞いたと言ってましたからね。立ち会った大家さんの話でも、なにやら物凄い形相で死んでいたそうです。余程恐ろしい夢でも見たんでしょうか。まさか、それが"特典"ってやつだったんでしょうかね。でも、そうだとすると、やっぱり碌なものじゃなかったんですよね。  え?なんですか?”特典”は私が貰ったものじゃないか?……ああ、いや、失礼しました、あはは。それがですねえ。  実は、あの最後の手紙を貰った時、ふと思いついたんです。このしつこい嫌がらせを逃れるにはどうしたらいいか。そして考え付いたのは、ダメ元というか、半ば冗談みたいなつもりだったんですが、この立場を誰かに振ってしまったらどうか、と思ったんです。”特典”なるものが当たったのなら、その権利を誰かに押し付けてしまえばいいんじゃないか。そう思ったわけです。  私は、貰った手紙の左側の余白に、「特典の権利を譲渡します」と大きく書きました。そして、その手紙を封筒に戻し、隣の202号室の新聞受けに放り込んだというわけです。普段から迷惑かけられてるんだし、ろくに挨拶もしない失礼な奴だし、あいつが丁度いいと思ったんですよ。そう思いませんか?どうせ冗談なんだし、そのくらいのことしたっていいでしょう。ねえ。  特典の内容なんて今でもわかりませんし、知りたくもないですよ、ええ。まさか佐久間氏の死因と関係は無いでしょう。それとも、貴方は有ると思ってらっしゃるんですか?ねえ、そうなんですか?ええ、そうでしょう?そうですよね。彼は偶然、変な夢でも見て心不全を起こしたんでしょう。そう考えるのが常識ですよね。そうですよね。  まあ、とにかく良かったですよ。これからは毎晩の安眠が保証されますしね、ええ。反対側の201号の吉田さんだって、私と同じ思いをしてた筈ですから、彼だって喜んでるでしょうよ、あははは。  その吉田の爺さんですがね。そう言えば、ちょっと妙なことがあったんです。  警察やら救急車やら呼んで、大家さんが鍵を開けたら、佐久間氏が死んでいるのが発見されて一時は大騒ぎになったわけですが、ともかく遺体が搬出されて行った直後のことです。  とりあえず、我々住人たちは一旦部屋に戻ったわけですが、ずっと私と並んで立ち話をしていた爺さんが、別れ際に憮然とした表情でこう呟いたんです。 「まあ、うまくやったな」  うまくやったなって……どういう意味でしょう。  そもそも、あの手紙、誰が私のところに入れたんでしょうね…… [了]
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