仕事

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 会場のホールに入ると、すでに観客で埋まっていた。長期入院を強いられている子どもたちとその親が今日の観客だ。みな期待のこもったまなざしをまだ無人の舞台に向けている。舞台といっても特に一段上がっているわけでもなく、ただピアノとドラムセットが置かれているだけだ。これらはクリスマス会のラストを務めるジャズトリオのためのセットだそうだ。  俺はゆっくりと会場を見回す。点滴につながれている子、リクライニング式の車椅子に乗っている子、ニット帽をかぶっている子。そしてそんな我が子を慈しみの表情で見つめる親。かつてのショータもここにいたのだろうか。  いかんいかん、しんみりしているわけにはいかない。今日はこの子たちの飛び切りの笑顔をたくさん撮ってやるんだ。  活を入れようと、俺は両手で軽く両頬をたたいた。そしてなんとなしに視線をずらすと、思いがけない人物が壁際に仏頂面で立っていた。  香織さんが、しかもサンタ姿でそこにいる。  確かに今日は総合病院でのアルバイトの日だが、クリスマス会に来る予定はないと言っていたのに。だがいい。香織さんのサンタ姿は、きっと俺のためのクリスマスプレゼントなのだろう。  思わず香織さんに向けてカメラを構えようとすると、香織さんがいやいやをするように顔の前で手を左右に振った。俺は頭をぶるぶると左右に振り、笑顔で親指を立てた。笑顔にほだされて表情がゆるんだ香織さんの一瞬の隙をついて、俺はカメラを素早く構えてシャッターボタンを押した。  さて、お遊びもここまでだ。  俺は目を閉じる。再び目を開いてカメラのファインダーをのぞき込んだ時――。雑念は遮断され、俺はカメラと一体になる。 「みなさんこんにちは。消化器内科の貴公子、岡崎一翔です。今日だけはね、ちょっとだけ病気のことを忘れて楽しみましょう」  司会の男性医師の自己紹介にくすくすという笑い声が漏れた。何だか気障な仕草をする先生だが、どこか憎めない。俺はサンタ姿の岡崎先生や笑顔の子どもたちを撮った。 「では、トップバッター。『中瀬夫婦』です」  吉本新喜劇のオープニングテーマとともに、サンタ姿の女性とトナカイの着ぐるみを着た男性が出てきた。会場の子どもたちから「歌穂ちゃん!」という声が聞こえた。  男性は確か、心臓外科の中瀬先生だ。間の抜けた眼鏡のトナカイ姿が妙に似合っている。さっきの紹介で夫婦と言っていたので、女性は奥さんだろう。子どもたちの反応から察するに、小児科の看護師といったところか。ミニスカサンタの衣装が似合っている。 「え、えっと。僕たち夫婦でこんなことやらしてもらってるんですけど。じ、じつは医師と看護師なんですね」 「漫才師じゃなかったんかーい」 「え……」  ぽかんとした顔で固まる中瀬先生。奥さんのアドリブだったのか。 「この人ね、見ての通り、何のおもしろみもないんですよ」  くすくすと笑い声がするのは、おもしろみがないのは本当のことだからだろう。 「でも、見ての通り身長が高いから……」 「あっ」  唐突に中瀬先生が四つん這いになり、奥さんがその背中にまたがった。これは台本通りのようだ。 「こうやって乗ってみても安定感抜群!」 「って、ソリはないんかい!」  何とも微妙な空気に包まれる会場。だがこの手作り感満載なのがいいのかもしれない。  ことごとく滑りながらも何とか子どもたちを笑わせようとする中瀬夫妻、どう反応すべきかわかっていない子どもたち、引きつった愛想笑いを浮かべる親たち。三者三様の表情を俺は撮った。  それからも微妙なボケとツッコミが繰り広げられ、まばらな拍手とともに夫婦漫才は終わった。
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