原点

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 俺たちが注文したケーキセットが運ばれてきた頃を見計らい、中瀬夫妻は席を立った。 「どうぞごゆっくりお過ごしください」 「はい、ありがとうございます」  香織さんとふたりで、中瀬夫妻を見送った。  目の前にはショートケーキとフルーツやアイスクリームの載ったプレート。前に俺が訪れた時と同じかと思いきや、プレートの余白にはチョコペンで「HAPPY NEW YEAR & GOOD LUCK!」と書かれてあった。香織さんのプレートにも同じフレーズが書かれてあった。 「すごい。かわいい!」  まるで少女のように嬉しがる香織さんに、俺まで嬉しくなる。 「俺もこんなのは初めてだよ」  フォークを入れて口に入れる。どこか懐かしい味わいは、中瀬さんが店長だった頃と全く変わりがない。上にトッピングされてあるいちごは甘みたっぷりで、逆に甘さをおさえたクリームとのバランスがすこぶるいい。  同じように美味しそうに食べている香織さんのチーズケーキが気になった。 「ねえ、一口俺にちょうだいよ」 「えー。……真也くんも一口くれたらいいかな」  正月三日のケーキ店のイートインスペースは空いていて、貸し切り状態だ。それをいいことに俺はテーブルに両手をつき、身を乗り出して「あーん」と口を開ける。  香織さんに食べさせてもらったチーズケーキはとても濃厚だった。ワインなどにも合いそうな一品だと思った。  同じように「あーん」と口を開けた香織さんにショートケーキを食べさせる。 「あ、ショートケーキは甘さ控えめなのね。これも美味しいね」  ショートケーキも気に入ってもらえたようで嬉しい。 「でも、さっきのご夫婦。あたし惹かれるなあ……」 「香織さんもそう思った? 俺もそんなふうになりたいって思った」  何年後だろうか。ふとそう思う。同時に、俺は身体の真横に位置する大きな車輪に視線をやった。  車椅子とはいえ、今となっては歩くことのできた頃と変わらないほどの移動の自由を手に入れた俺。だが身体の調子に関しては今もなお気が抜けず、ほんの少しの体調不良が命の危険に直結するリスクを抱えた俺。現に熱中症を起こした時は、そのことを嫌というほど思い知らされた。  何年か後にそういう日が来るのだろうか。  いやいや、と俺は胸のうちで否定する。俺がいなくなった何年か後。香織さんが泣き暮らす何年か後。そんな未来はいらない。  交通事故で落としかけた命を救ってもらった今、俺はそれを大事にし続けなければならない。 「俺さ、ずっと元気で過ごせる気がするからさ。だから遠い将来、中瀬さんみたいに、引退したあとも楽しく過ごせるよ」 「そうね。ってか、そうでないと困る」  香織さんが泣きそうな、だがやわらかな微笑を俺に向けてくれた。 「ほら、アイスクリームが溶けるよ」 「ほんとだ。食べなきゃ」  溶けかけたアイスクリームをスプーンですくう。甘さ控えめなショートケーキに対し、こちらは濃厚なバニラ味。  飽きることなく、俺たちは最後まで食べ進めることができた。  ケーキセットを食べ終えた俺たちは席を立つことにした。  どかしてもらった椅子を香織さんに戻してもらおうと、席を離れる。すると見計らったように俺たちを席まで案内してくれた女性店員が現れ、「そのままでけっこうですよ」とにこやかな笑顔を見せた。 「ありがうとうございます」 「ごちそうさまでした」  口々に礼を言ってレジに向かう。  レジで伝票を出した時だった。 「お代はいただいております。中瀬さんからのささやかなお餞別です」 「えっ」  香織さんと顔を見合わせて絶句する。中瀬さんは、俺たちが拒否することを見越していたのだろう。レジの女性店員は笑顔で続ける。 「その代わり、飛び切り素敵な夫婦写真を撮影してください、とのことです」  その言葉を聞き、香織さんは俺の顔をのぞき込んだ。 「ありがたくごちそうになろうよ」 「そうだね」  また女性店員によるで外に出る。  いろいろな人に気にかけてもらい、また応援してもらっている俺は幸せ者だ。 「俺、何かやれそうな気がする」 「うん、真也くんならできるよ」  見上げた空は冷たく澄んでいる。だが優しく輝く太陽は、早くも春の訪れを感じさせるようだった。 <了>
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