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くんくんくん。
「お母さん。あの人なんで地面の匂い嗅いでいるの? 」
「しっ。見ちゃいけませんっ」
はっきり言って地獄だ。
何が悲しくて、人間が地面に這いつくばって匂いを嗅がなければいけないのだろう。いや、確かに僕はもう人ではないが、それでも心まで完全に獣になった訳ではない。きちんと人間なりの羞恥心は残っているのに。
「気にするなライカ君。私だって昔はああ言われたものだ」
「先生は元が狼じゃないですか」
「今は人間みたいなものだろ。君とそう変わらないよ」
そう言いながら、自分は嗅がないで仁王立ちしているのだからタチが悪い。
「お母さん。あの人耳と尻尾が生えてるよ」
「はいはいそうね。ほら行くわよ」
おまけに人間に戻ったら嗅覚が衰えるから、変身したままで外出。
幸いなことに、僕を怖がる人は誰一人としていなかった。ある人は好奇の眼差しで指差してくるし、ある集団はキャーキャー騒ぎながらカメラで写真を撮ってきた……怖がって逃げられた方が何倍もマシだったかもしれない。
ーー……なんかごめん。やっぱ変わろっか? ーー
「やめて。女の子がこんなことしてたら、本当にやばいことになりそう」
「お母さん。あの人何もない所に向かって喋ってるよ」
「危ないから近寄っちゃ駄目よ」
そこの親子よ。頼むからさっさと帰ってくれ。
アンジュの申し出を断りながらも、早く終わらせようとヴァルツ号の匂いを辿る。狼の嗅覚がここまで凄いものだとは思わなかった。目で見える世界よりも、遥かに多くの情報が入ってくる……余りに多くの匂いが混ざり合って、時折吐きそうになってしまうけれど。
「安心しろライカ。何かあったら俺が詳しく説明してやる」
「説明されるのも辛いんですが……あった。こっちです」
警部の言葉をやんわりと断ると、僕は路地を指さした。
ヴァルツ号は一体どうしたのだろう。この路地は人気もなく薄暗い。もしかして肉塊との戦いで怪我をして、人目のつかない所で休んでいるのだろうか。
「……見ろライカ君。こんなものが落ちているぞ」
すると先生が、しゃがみ込んで何かを拾った。
それは僕にとっては、それなりに見慣れたものであった。
「虹色の毛? もしかしてこれって……」
「毛だけじゃない。本当に微かだが、血の匂いも続いている……向かっている方向は、どうやらヴァルツ号と同じようだな」
この道の先に何かがある。
僕は小さく身震いしたが、覚悟を決めて暗い路地へと踏み出した。
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