【1】虹色と犬

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 昔は嫌がる先生を無視して、ジャッケルさんが尻尾に飛びついていたものだが。今ではすっかり先生の主張を通すために、彼の性癖が利用されている。 「ほらこれ。ワシは怖いから、ちっと席を外すよ」  そう言って、ジャッケルさんは「月の光」が入った瓶を手渡した。  中には淡い白に輝く小さな錠剤。これを一つ飲み込めば、一時的に狼人間(ルー・ガルー)は変身することが出来る。最も本物の満月の時と比べれば、幾らか力は落ちるらしいが……そこまで機にする必要はない、とは先生の談。 「さぁぐいっといけ。大丈夫。変な味はしないから」 「……はい」  改めて「変身する」となると緊張する。  肉塊に噛まれていた時は、殆ど本能のまま暴れて皆に大きな迷惑をかけてしまった。再びあの状態になるのではないかと、今更ながら不安になる。  それにどんな力が僕にあるのか、変身してみないと分からないのだ。もしも周囲に多大な影響を与える力だったら、このカジノにも被害が…… 「難しいことは考えなくていい」  先生がそっと声をかけた。 「私が側にいるんだ。何か起きてもなんとかするから心配するな」 「……先生じゃちょっと心配ですね」  むっと膨れて「なんだとこの野郎ぉ」と先生。  そんな彼女を横目に、僕は瓶の中から薬を一粒取り出した。 「それじゃ……」  目を閉じる。口を開く。一気に飲み込む。  体がほんのりと熱くなった。しかし肉塊に噛まれていた時のような無理矢理な変化ではない。髪や爪が伸びる時と似たような、殆ど違和感のない変化……自然で痛みや苦しみもない、穏やか優しい変身だった。 「……っ、どうですか? 」 「……うーん、思ったほど私に似なかったな」  目を開いた僕の前にいたのは、手鏡をこちらに向ける先生だった。 「とにかく見てみろ。割とイケているぞ」  僕は自分の姿を覗き込む。  頭頂からは三角の耳が二つ生え、周囲で音がするたびにぴくぴくと動いてしまう。髪は肩の辺りまで伸びて、元々の黒に明るい茶色がメッシュのように入っている。手を覆う毛皮は先生と似た黒だが、こちらにも明るい茶色が混ざっていた……アンジュの髪の色だ。 「ほらほら尻尾。尻尾見せてくれ」 「尻尾? ……うわっ、改めて見ると凄い違和感ありますね」  先生が催促するので、僕は自分で尻尾を抱えて眺めた。  太くふさふさとした尻尾はベースが黒、先端だけが茶色。普段は先生の腰で揺れているのを眺めるだけだったが、こうして自分に生えると少し怖い。 「うんうん。私の方がもふもふで良かった。これで君の方がもふもふしていたら、噛み付いた私の顔が立たないからな」  先生は満足げに頷いている。  さて。自分の姿を一通り確認したが、特別何かの能力があるような感じはしない。試しに腕を振ったり息を吐いたり、その場でぐるぐる回ったりしてみたが、僕自身にも周囲の環境にも、何一つとして変化は起こらなかった。 「……何もないですね」 「それだっていいじゃないか。『群れ』の連中があれだから忘れそうになるが、『狼人間(ルー・ガルー)になる』ことだって十分特殊能力だぞ」  考えてみればそれもそうだ。  僕を噛んだ先生だって、魔法じみた力は持っていない。そういえばツキは「人間を食べれば先生の能力が解放される可能性もある」と言っていた。だから一人も人間を食べていない僕に、何の力もないのは当然かもしれない。 「さてと。新しい自分を理解した所で、そろそろ帰るかな」 「そうですね」と答えようとしたその時。  僕の口から思いもよらぬ言葉が出た。 「……あれ、あたし何してたんだっけ」  普段の僕の声ではない。  若い女性の声。はきはきとした音の中に、柔らかさの混ざった声。 「なんだこの声……ってうわっ‼︎ 」  戸惑う僕の意識は勢いよく吹っ飛んだ。  全身が光に包まれる。体のつくりが変わっていくようなーーーー  ーーーーがつくと、あたしはここにいた。  長い悪夢から覚めたような爽やかさと、どことなく体を包む気怠さ。  そんなあたしの前で、見慣れた先生が目を丸くして立っていた。 「あれ、ラピス先生? あたしって確か、死んだんじゃ……? 」 「これは驚いた。意識は残っていると思ったが、まさか体ごと変わるとはね」  先生が手鏡をこちらに向けた。  人間だった頃のあたしと。だけど微かに感じる違和感。  真っ先に目に止まったのは、左目が強く光っていること。僕……違う。あたしの瞳は左右で違う色で、右はライカの、左はあたしの色。頭の上には三角の耳なんか生えているし、やたら重いと感じた腰には太い尻尾まで付いていた。 「……えぇ、また狼人間(ルー・ガルー)ですか? 」 「悪いねアンジュ。私が噛んだ」  先生はにこやかに笑いながら、あたしの頭をわしわしと撫でた。
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