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町の中に張り巡らされた水路を数多の小舟が行き交う。そんな舟の1つに男は乗せてもらった。
荷運びの船で、建物の裏を通る舟は静かに進む。客を相手にしている船頭とは違い、愛想はなかった。
日の当たらない場所も多く、肌寒い水路を進む。水の流れる音やどこかの建物や中から漏れ聞こえる声。そんなものにつつまれていると、喧騒が遠く感じた。
そんなのんびりとた舟の旅は、赤と白のパラソルが見えるまで。
少し、建物から飛び出だ鮮やかなパラソルはよく目立つ。きっと、いつものようにあのパラソルの下でコーヒーを飲んでいるのだろう。
「ここでいい」
男はパラソルの下で船を止めてもらう。ちょうどそこに隠蔽された魔法陣があり、魔力を流すと来訪を知らせるかのような鈴の音が響き、縄梯子が降りてくる。
船頭に数枚の銅貨を渡し、なれた様子で梯子を登った。
「おかえりなさい」
「ただいま」
笑顔で女は迎えてくれたが、すぐに難しい顔をする。
「どうかしたのか?」
「なんだか眠くて」
だからこそコーヒーを飲もうとしたら、ナビゲーターにちょっと試して欲しい錬金術があると、ノンカフェインコーヒーを錬成することになった。
今はその試飲中で、油断すると寝てしまいそうになっている。
「一緒に飲む?」
紅茶派だった男は、女に付き合いコーヒーを飲むようになった。
「家の中で飲もう」
眠たそうな女の肩を抱いて庭に面した部屋へ連れて行く。女をソファーに座らせてから店の方に顔を出しに行った。
「あれ、一緒じゃないの?」
「部屋に置いてきた。眠いらしい」
「身体が求めているなら寝させとけよ。女の身体は繊細だからな」
カウンター席に陣取る男の言葉に視線が鋭くなる。唐揚げのために求婚した男であり、妻子を置いて逃げ出した男だ。
仲良くできない男を放置して、食材を店長に渡す。渡し終わるのを待ってから、冒険者ギルドの職員が依頼の話をしてきた。
受諾は本人に確認してからになるが、おそらく断らない。
依頼書の写しを預かり、確認しに部屋に戻る。
部屋のソファーで女は横になっていた。アイテムバッグからブランケットを取り出し、かける。
そばのテーブルには、湯気を立てるカップが置かれていた。それは女が好んで使うカップではなく、男のために使われるカップで、コーヒーだけは入れてくれたらしいと知る。
静かで、穏やかな、ゆっくりとした時間。女と触れ合える距離になるまで知らなかった時間の使い方。カップに手を伸ばし、1口嚥下する。
悪くない。
男の顔に微かな笑みが浮かぶ。そのまま女を愛で続け、目覚めの時を待つ。
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