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「事実ですが、それが何か」
「許されるとでも」
「誰に許しを得る必要があるのですか。私はもう大人ですよ。それに芸術を志した時点で何も期待されてないのは知っています。反対を押しきってフランスへ留学を決めた時に二度とこの家の敷居をまたぐな、とおっしゃったのは親父殿ですよ。おかげで生まれて初めて金で苦労しましたけど」
「そのお前が、ピアニストをやめて帰国した。そろそろ家のことも考えてくれ」
「別に家のために辞めたわけではありません。私はビジネスには向いていませんし、芸術で金儲けしようなんて考えられません。次の理事長をお考えでしたら……」
ニヤつきながら話の動向を伺っている大河と背筋を伸ばして目をつむっている――。
「諒河なんて如何ですか?」
急に火の粉が降りかかった諒河は、ゆっくりと目を開けた。
帰国して久しぶりに連絡を取ったふたりは随分と大人になっていて驚いた。特に諒河は昔から聡明で頭が良い。父親は司法書士で継ぐ仕事ではなく、理事長になるにはうってつけの人材だ。
「……優河兄さんは、全てを放棄なさるのですか」
石神の勝手な指名に、物腰の柔らかな諒河は苦虫を潰したような顔をしていた。
「放棄も何も、親父殿に勘当されている身としては権利がない。ここに呼ばれたのが不思議なくらいだ」
「諒河はまだ学生だ。で、相手は誰なんだ」
「知ってどうなさるのですか。学生の頃のように相手に嫌がらせでもしますか」
「何の事だ」
「知らないとでもお思いですか。時間の無駄です、帰らせて頂きます」
「待て、まだ話は済んでいない」
「いずれ彼を連れてフランスへ帰ります。二度とこの家には戻りませんし、理事長を継ぐつもりはありませんよ」
石神は畳にしっかりと両手を付き、額をそこへ据えた。
「才能がある方です。彼の輝かしい未来のために、これ以上の詮索はご勘弁くださいませ。親父殿」
同性と恋に落ちた、そんな信じがたい話が親戚中に知れ渡り、良い気味だった。
「綺麗な顔立ちの石神家には感謝をしています。フランスでマダムの若いツバメになれましたし、命拾いしましたよ。ご存知だと思いますが」
父親の引き留める言葉を無視し、石神は立ち上がった。そんな石神を諒河が庭まで追いかけてくる。
「優河兄さんのお相手は井上 翔太君ですか」
「あ?」
庭の玉砂利に足を取られ、ローファーが片方ぬげた大河が少し遅れてやってきた。まるで知っているかのように翔太の名前を口にした諒河に石神は目を向ける。
「お前らか、チクったの」
「優兄。男とヤルってどんな感じ? マジ、キモいんだけど」
「答えてください。このあいだ部屋にいた方は井上 翔太君ですよね」
「諒河、あれは女だって言っただろ」
「あの子は中学生だ」
「ギャァァ! 優兄、変態」
「大河。少し黙っていてください」
「そうだ、ガキは黙ってろ」
大河の間違いに乗っかってみたものの石神は溜め息を吐きながら車へ乗り込みエンジンをかけた。
「優河兄さん、あの方の名前を教えてください」
「知ってどうするんだ」
「力になります」
「それは頼もしいね」
「翔太君のためなら」
「じゃぁ、次の理事長よろしくな」
「そ、それは」
手を軽く上げ、ゆっくりと走り出す。翔太の名前を知っていた諒河の表情を見つめながら石神は、もう二度と見ることはないであろう生まれ育ったあまり良い思い出がない生家を目に焼きつけていた。
《続》

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