明日に向かって

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明日に向かって

由加里が結婚するらしい。彼女とは左程親しくもない葵にも招待状が届いた。 「なんでわたしにも招待状?」 近頃、人の幸せを気持ちよく喜べない自分がいて、時折うんざりする。指先に挟んだ招待状を放り投げ、虚ろな瞳でキッチンの椅子に腰掛けた。 葵は2年前、実家の自宅敷地内にコンテナ製のトリミングサロンを設置した。資格は持っていないが、実家の犬を何頭もトリミングしてきた実績だけはある。手先も器用で評判がいい。しかし噛み癖があり、他では扱えない犬などが多数を占めるのだが。 昨年、十代の頃から付き合っていた彼氏と別れ、いまはひとりだ。彼氏は葵と別れた直後に、彼女より五歳も若い女と結婚した。 「あったま来たなあ、もう」 上着を脱いで、長い髪を結び、エプロンをつけ、彼女は料理に取り掛かった。毎日、朝昼晩と自宅で料理をする。極力、外食はしない。 「わたしと別れて半年もしないで結婚してさ、その数か月後に子供が生まれるってどういうことよ」 洗面器ほどの大きさのサラダボールいっぱいのサラダを食べながら愚痴をいっている。自家栽培の野菜で作る葵命名「菜園サラダ」は毎日、食べる。 「食べないと、野菜が余っちゃうのよ」 三食、白御飯もきっちり食べる。 「米も作りすぎたかな」 葵の両親は彼女が十代の頃に他界していていて兄妹もいないので、ひとり暮らしが長い。田舎で家の敷地だけは大きく、その家の裏手にある大きな畑で野菜や米を栽培している。鶏も平飼いしているので、卵と鶏肉には困らない。もちろん自分で締める。外食をしない理由も、野菜などを収穫していることが理由だ。隣近所との付き合いもなく、食材を分ける相手がいないのだ。ちなみに従業員は雇っていない。 「時には、合鴨や雉も食べたいな」 筍と鶏肉の煮物を食べながら、葵は愚痴を言い続けた。最近、愚痴が多くなった。結婚を約束していた訳ではないが、高校時代から交際していた彼氏に裏切られたのだ。当然といえば当然。 「いつから、わたしのことが嫌いになったのだろう?」 箸の先にポテトサラダをつけて、それを口に加えた。彼女はポテサラにプチプチ海藻を入れて食べるのが好きだ。 「いつまでも、一生一緒にいられると思っていたのに、なんでだ!」 箸を突き刺したのは、トマトとキュウリの和え物。 元カレの照彦は葵とは同級生だった。卒業間近に告白され、嫌いなタイプではなかったので付き合った。彼は笑った顔がとても可愛いく、一見おとなしそうだが、剣道部に所属しており、剣はかなりの腕前だった。そして彼は良くモテた。 「しかも、うちの店のトリマーだなんて、安っぽいドラマみたいだな」 そう、照彦は事もあろうに、葵の店の従業員に手を出したのだ。葵は彼女を良く可愛がった。採れたて野菜は勿論のこと。使用しなくなった洋服や高級ブランドのバッグなども、彼女が望めば惜しげなくあげた。 「それが重荷だったんだってさ。趣味が違うのに、わたしのお下がりを無理やり着せられて、大量の野菜を家にストックするのに耐えられなかったって泣くんだもんね、あのブス。かわいい、そんなの欲しいっていってたじゃない」 かぼちゃと豚肉の甘辛炒めを白いご飯の上に乗せ、大きな口を開けて食べた。 照彦の妻の由美は、小柄で小悪魔な美女だった。長身でサバサバした葵とは対照的である。 「照くんが医者だから結婚したかったのかな?あの女、お金持ちと結婚したいっていってたしね。照くんの実家は病院を経営してるしね。こんな北海道の田舎だけど、一応ね」 全てを食べ終え、食器を片付けると、葵は風呂に入り、それからヨガをして、ビールを1缶だけ飲んだ。テレビは観ない。YouTubeをテレビ画面に接続して観るのが日課だ。 「わたしは、不幸だな」 寝る前に必ず、この言葉をつぶやいて寝た。 半年後、葵は由加里の披露宴に出席する為、東京に来ていた。夏真っ盛りの街を五分歩いただけで汗が噴き出した。 「暑すぎるし、こんな格好じゃ恥ずかしい」 あれほど愚痴っていた結婚式なのに、葵はドレスを新調していた。それは、友人のすずから、「出会いがあるかもよ」とそそのかされたからだ。 新婦とかぶらないように、葵は黒いレースのドレス生地を選んだ。そもそも葵は黒が好きだった。家の中や、店は水色がベースだが、外出着の殆どが黒だった。闇にまみれて安全だと、信じていたからだ。寧ろ暗闇では返って危険だとは思わなかった。祖母の好きな時代劇に出て来る忍者から勝手に学んだのだ。 「やっと着いた」 帝国ホテルを見上げながら、首の汗を拭った。 「葵」 すずが手を振りながら走って来た。ホテルのラウンジで待ち合わせたのだが、エントランス前で出会う事が出来た。 「あっ、かわいいじゃん。その服、葵らしいよ真っ黒で」 すずは、薄いピンクのドレスを着ていた。色白の肌によく似合っている。 「すずも可愛いよ」 すずが腕を組んで歩こうとするのを葵が制しながら、ふたりは並んで歩いた。 会場に入って驚いた。まるで大物演歌歌手のディナーショーでもはじまりそうな荘厳さだ。 「しゅ、趣味悪っ」 すずは顔を歪めてそういった。 「まあ、とにかく座ろうか」 1000人は入る会場で席を探すのは一苦労だったが、最終的に友人が手を振って場所を教えてくれた。ひとテーブルに6人。葵のテーブルはみんな、昔勤めていた会社のメンバーだった。新婦の由加里も同じ会社で働いていた。由加里29歳、再婚子供なし、相手は診療外科医だと聞いた。 葵たちは最前列の真ん中で、新郎新婦の手前に座っている。式がはじまり、暫くすると、隣のテーブル、葵の真後ろにだれかが座った。椅子の背が当たり「すみません」と謝られた。聞き覚えのある懐かしい声、葵は素早く振り返った。 「なんであんたがいんのよ」 「ごめんなさい。ああ、葵ちゃん、いたんだね。良かった会えて。あいつね、大学の友人なんだ。新郎」 「会えてって、同じ市内に住んでるじゃないのよ」 突然の照彦の登場に、複雑な心境だったが、それほど嫌でもない。しかし顔は渋面を作っている。 「赤ちゃん生まれたんでしょう」 「知ってたの、知ってるよね、そりゃ」 ふたりは横顔を近づけて話していた。他の面々は新郎新婦の登場に夢中になっている。 「可愛い?」 「どうだか、生まれたばかりだし、俺の子かどうかもわからない」 葵は照彦の顔を見た。彼は少々、太って見えた。 「冗談だよ」 「そう」 離婚という文字が浮かび、数秒間、喜んだ自分を恥じた。 「太った?」 「食べ過ぎかな」 「しあわせなんでしょうね」 「ストレス太りってこともあるよ」 「仲良くしてるの」 「ふつう」 仲が良いってことか。葵は馬鹿馬鹿しくなり、椅子を引いて、前を向いた。 「ねえねえ見て、あの人」 すずが顔を近づて来て、近くのテーブルにいる男を小さく指さした。 「お腹空いているのかな?」 大口を開けて、料理を次から次に押し込んでいる男を見て、葵はいった。 「あれって、由加里の元彼なんだよ。ううん、違うな昨日までデートしてた彼氏。いまでも付き合ってるんだ。二股不倫。しかし良く呼べたよね」 「っていうか、良く来たよね。心苦しくないのかな?」 「だからやけ食い。それか、ご祝儀の元を取る戦略。見苦しい」 すずは、両手で口を押えて笑い出した。葵は新郎を見た。若くて誠実そうな男性だった。決して悪くない。少なくとも、不倫相手の結婚式に出席し、大食いを披露する下劣な男よりは。 式が終わり、みんなと別れた葵はホテルを出て、来た道を引き返していた。トリミングの予約があるので、きょうの飛行機で帰らないといけないのだ。 「葵」 後ろから名前を呼ばれた。照彦の声だった。 「なんでしょう?」 振り向きざまに葵はいった。夕方の街の中で見た照彦は、式場で見た時よりもダサく見えた。お腹は出てないが、以前に感じていたセクシーさは消えていた。 「二次会、行かないの」 「行かないよ」 「なんで?」 「逆になんで?」 腕を後ろに回した葵は、照彦に向かい真っすぐ立っていた。 「久しぶりに会えたし、一緒に酒飲みたいなって」 「なんで?」 「いやっ、なんでって、ともだ……」 「友達なんかじゃないよ、わたしたち」 葵が言葉を遮ると、照彦は頭を掻き、首を捻っていた。葵はそんな彼に非難の目を向けている。 「わたしね、照くんに裏切られて捨てられても、照くんとすごした年月は大切に思っていたんだよ。いい思い出がたくさんあったから。でも」 葵は無理やり笑顔を作っていた。額から汗が流れて瞳の中に入り、流れ落ちた。 「友達にはなれないんだよ。わたしは照くんの彼女だったんだから。結婚したいと思っていたんだからね。だからもう、わたしを傷つけないで」 「ごめん」 照彦は腰を折り、深く頭を下げた。 「もう良いよ」 「ごめん。傷つけるつもりなんてなかったんだ」 「知ってるよ」 「えっ」 照彦は顔を上げた。好きだった面影が、葵の心を締め付けた。 「誰も悪くないことも知ってる。だから」 葵は顔の汗を掌で拭った。そして今度は本気の笑顔を見せた。 「心から、おめでとう。しあわせになってね」 頭を下げ、照彦を見ないで、駅に向かい走り出した。 新しい日々を、汚さず生きるために。
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