一月の桜だけが知っている

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一月の桜だけが知っている

 世界が閉じる音とは、穏やかなさざ波のことを指すらしい。 「鳥の声も、虫の音も、なにもしない。すこし、寂しいね」  そう言ってカンナギが襖を開け放った先、見えるのは水面だけ。睦月の白く霞んだ空の下、風に煽られた水面が、屋敷の濡れ縁にとぷんと押し寄せた。  山の頂に建つ屋敷からは、普段、麓の青々とした野や、小さな花の咲く広場、活気のある町並みまで見渡せたのに、今はすべて水に呑み込まれてしまった。その水が、もうじきこの屋敷も覆おうとしている。この光景を見て、今いる場所が山の上だなんて誰も思わないだろう。  カンナギの緋色の袴から垂れる帯が風に揺れるのを眺め、アオは笑った。 「寂しいもんか。俺とアオがいるんだから、それだけで十分だろう」 「それもそうだね。でも、みんなには申し訳ないことをしたな。一度、世界が閉じてしまうなんて」  水面が揺れて、一段水嵩(みずかさ)を増した。  この屋敷が沈むまで、あとどれくらいだろう。 「平気さ。カンナギは心配しすぎなんだ。みんな、すぐに蘇るんだから。町の人間はけろっとしていたよ」 「――それもそうだね」 「これは滅びではなく、清めの儀なのである」  アオが厳かな声を発した。 「って、長老たちも言ってた。カンナギが気に病むことじゃない。世界にとっては祝うべき日だ。不浄が消えるんだから」 「でもアオ」  カンナギが突然泣きそうな顔になって、口をはさむ。 「アオにとっては、紛れもなく、滅びの日だろう」 「そうだな。でもやっぱり、俺にとっても祝うべき日だよ。だって俺一人が滅びるなら、それは証拠になるからさ。偉大なる主から、カンナギを横取りしたっていう証拠に」  アオはにこりと笑って、また一段嵩を増す水面を眺めた。アオとカンナギの犯した罪のため、着々と沈みゆく世界が、広がっていた。
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