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私は、母に助けられてばっかで生きてきた。でも、周りには過保護とばっかり煽られた。私はその時思春期真っ只中だっから、そのことに対して、なんとも振り切れない感じを抱え込んでいた。なんで過保護と言われなければならないのだろうと言う疑問や、まず根本に、過保護がどうしてこんなにも悪いイメージか定着しちゃってるのだろうと考えることも多々あった。そんな答えを必死に探し求めてる時にまたも誰かさんによって考えないことが増えてしまった。
「将来の進路や夢を決めてください、もしこの時間に終わらなければ今週末までに書いて私に提出しておいて下さい……」なんて言葉が先生の口から放たれた。配られた紙には四角の枠が描いてあっていかにも囚われた人間社会のように見えてなんだか、自分の可能性を枠決めされてるように感じた。
私は、子供の頃お母さんと言ったプラネタリウムが好きだった。光り輝くそれらが私たちの持ってる夢や希望のようでならなかったのだ―私はよくお母さんになりたいって言ってたなぁ―。それは突然私の目の前に知らん振りをして社会の常識だけど何かと言わんばかりのめんどくさい大人のようにこちらへ近づいてきた。私は、心狭ばまされたあの日、不意に夜空を見上げた。でも、そこにはあの子供時代のような光り輝くそれらは無かった。これが私の心に深く突き刺さったののだった。私はこの時、現実とはいつか見ないといけない人生最初の大きい関門であると思った。「神様よくこんな罠置いていったなぁ…」とかなんとか呟いたのだが、よく考えれば、これは人間自ら作り上げたのかもとも思えてきた。何してんだいくぞと言うお父さんの声に押されて、急いで歩き出した足と反比例して考えは何処かへ置いてきてしまった。
また授業中暇になってしまった。私はこんな時よく考え事をして暇を潰していた。私は、暇つぶしにはこれが一番最適だと思っている。理由は一つ、まだこの世には答えにたどりついていないまたは、ほぼ不可能である疑問が溢れかえってっているからである。今日の題材を決め議論に入る。まあここは普通に過保護のあり方についての途中から始めようと決めた。なんでこんな捉え方になってしまったのかを再度考えてみたのだが今日はまだ自分の中の答えにはたどりつかなかった。こういう時はいつも開き直るという術を使うことを決めている。なので今日も、「なーんだ。みんな私が羨ましいだけじゃん!」と、一人頭の中で吹き出しを描いてみた。世の中全てこんなもんでいいのだ。だってそうしないと社会に疲れて埋もれてしまうから……。
やっぱり母が与える影響は偉大だった。何故なら私の土台は母であるし、私の尊敬の的だったから。だって私に一番寄り添ってくれたのは母だけだった。あの時も母だったらどうしたの?と優しい声で言ってくれただろう。
「お母さん、やっぱり夢はお母さんになることにする」と今度は声に出してみた。開き直るのもいいけど、名声を挙げるのも大切だと思い成長した木曜の夜だった。
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