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「ほら、あんた達もいつまでも友達同士で呑んでないでもう帰りなさいよ」
馴染みの居酒屋の、気の好い女将が僕たちのテーブルの空いた皿を片付けながら言った。
「2人ともそれぞれ家庭を持ったんでしょうが。早く帰ってやらなきゃ怒られるよ」
テーブルの上の、僕の左手薬指の銀色の指輪を人差し指でつついて、初老の女将はニヤッと笑った。
ご主人の料理の腕と女将の人柄で、さほど広くない店内はいつもぎゅうぎゅうに賑わっていた。
「わかった、わかった。コレ呑んだら帰りまーす」
向かいの席に座っている「友達」がビールジョッキを持ち上げて女将に応えた。中身は3分の1ほど。
僕のグラスの中身は残り半分になったロックの梅酒である。実家の祖母が毎年梅酒を作っていたからか、時々無性に呑みたくなる。
皿に残っていた唐揚げや焼き鳥を片付けて、ジョッキもグラスも空になって、僕たちは店を出た。
アルコールで火照った肌に夜風が心地いい。
「な?オレの言った通りだっただろう?」
得意気な表情で、彼は僕を覗き込む。街灯に照らされて、彫りの深いその顔の陰影は濃い。
角を曲がると住宅街に入る。街灯が減って少し暗くなった。
彼はその冷たい白色のLED電灯に自分の左手をかざしながら、
「誰もオレのこの指輪とお前のがペアだなんて思わない」
そう、僕の耳元に顔を寄せて囁くように言った。
胸がざわりとしてその顔を見ると、微笑みの中に陰りが見えた。
ーペアリング買おうぜ
そう言われた時は驚いた。
ーそんなの買っても着けられないよ
僕がそう応えるのなんてお見通しだったんだろう。
ー大丈夫さ。男物のリングなんてどれも同じようなデザインだ。今度会議の時にでも見てみろよ。皆お揃いに見えるぜ。ということは、だ。逆もまた然り、という事さ
その言葉の真意を測りかねて、僕は彼の瞳を上目に見返した。彼は僕の左手を取り、その薬指を太い親指で辿りながら、
ー同じ指輪をしていても、似たデザインの別物だと思うのさ。ヒトはそういうもんだよ
と言った。自信あり気なのに淋しさの混じった声だった。
詮索されたい訳じゃない。誰彼構わず話せる間柄でもない。
だけど。
この人は自分のものだ、という証さえもそうは見えないのは、やっぱり何だか切ない。
彼の言葉に「そうだね」と頷きながら僕は唇を噛んだ。
街灯と街灯の間の暗がり。
彼の手が、僕の手に触れる。
「まあでも、オレ達には分かってるから、いいよな?」
再び耳元で囁かれてくらりとした。
同時に急激な喉の渇きを覚えた。
「オレさ」
突然強く肩を組まれた。
「お前のその唇舐めるの、すっげ好き」
「え?」
「なんだ、無意識か?それは最強だな」
クスクス笑う彼の歩調が速まった。僕の肩を抱いたままぐいぐいと進んでいく。
マンションのエントランスを足早に抜けて、エレベーターのボタンを連打する彼の左手。
もどかしい。
今度は意識して唇を舐めた。
エレベーターのドアが開いた。
「…お前さ」
押し込まれるように乗り込んだエレベーターの壁に追い詰められる。
「オレを煽った責任は取ってもらうぞ」
壁に手を突いた彼に見下ろされて脚が震えた。
再びドアが開いて、僕たちは走り出しそうな勢いで廊下に出た。
彼がポケットから部屋の鍵を取り出す。
チャリチャリと鍵が鳴った。
足音が廊下に響く。
互いの左手の薬指に光る指輪。
いつもの廊下がやけに長く感じた。
了
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