第一章2「終わりを望む声」

1/1
前へ
/30ページ
次へ

第一章2「終わりを望む声」

 前髪の一部が白に染まった青みがかった黒髪に、クロスグリ色の切長の瞳。十人中十人が声を揃えて美少年だと言う優れた容姿を持つ人物、レンは転生者である。  創作物によっては、転生者は珍しくないパターンもあるそうだが、レンが知る限り、この世界で異世界からの転生者、召喚者の話は一度も聞いた事がない。  つまるところ、誰かにこの事を話した事が無いというわけで、もし話したとしても現在のレンの境遇を完全に理解できる人間は、この世界にはただの一人も存在しないということだ。  明刻(めいこく)五時。そんな彼の一日は、朝日が完全に昇る前から始まる。                    □◇□◇□◇  ヒュンッと、鋼が朝の澄んだ空気を切り裂く音が広場に響く。綺麗に手入れされた刀身は、朝日を反射して光り輝き、美しく洗練された軌道で(つるぎ)は軌跡を描いていく。  黒を基調とした動きやすい薄手の上着に細身の身体を包んで、見えない敵と剣戟を交わしているのは、中性的な見た目の美少年――レンだ。  レンは起きてから直ぐに軽装に着替え、宿屋から一番近い広場へと足を運んでいた。日課である早朝の鍛錬を行うためだ。  彼は毎日欠かさずこの場所で、剣と魔の両方と向き合っている。  レンが振るう剣は名家に伝わる宝剣でも、魔剣、聖剣といった特別な(つるぎ)の類でもなく、ただただ普通の何の変哲のない鋼の(つるぎ)。  それでも、特別な力を宿していなくとも、名匠が鍛えた(つるぎ)でなくとも、この剣を使いこなせるようになるのに、長い時間は掛かった。 「――ふっ」  短い呼吸(こき)と共に素早く一歩踏み出し、上段から振り下ろす。  その一閃は相手の頭から股下まで駆け抜け、一刀両断。  レンは次の仮想の敵へと剣を向ける。  こうして、朝のルーティーンを繰り返している間は何も考えずに済むので、この日課をこなしている間だけは、レンの心は平静でいられた。  だが、ふと、自分に武を叩き込んでくれた女性の言葉が、鮮明に脳裏に浮かんだ。 「………チッ」  鼻じらんで口の中で舌を弾き、頭を掻きむしって雑念を追い払う。思い出したくもあり、思い出したくもない。  そんな、どうしても矛盾してしまう気持ちにさせる記憶を追い払い、再び剣を振るう。 「はぁ」  振るったものの、ため息を吐くレン。彼が振るったその剣筋は僅かにブレてしまっていた。集中できていない証拠だ。  雑念が、思い出が、()()()()()、レンの胸中を一瞬で埋め尽くす。 「――ッ!」  ガンッと鈍い音が広場一帯に鳴り響いた。レンの額から鮮血が(ほとばし)る。  ジンジンと痛む拳と額。思い切り額を殴りつけ、再び雑念を振り払った。  痛む額と拳、出血するほど強く殴りつけたのだから、当然、殴った方も、殴られた方も、どちらも相応に痛む。だが、額の傷は()()()()()()、痛みも直ぐに引いてしまった。 「もしこれが、任意での発動だったら……」  そこまで口にして、レンは残りの言葉を呑み込んだ。ifの話をしたところで、現実は変わらない。なんら生産性のない話題だ。  この事については、過去、何度も検証を重ねてきた。その結果、不可能だと、どうあがいても意味などないと分かったではないか。  故に、その方法を未だに毎日探し続けている。それでも、探し続けて三年もの月日が経った今でも、その方法は見つからない。 「クソッ」  苛立ちを声に出して吐き出し、固い地面を蹴りつける。地面は浅く抉れ、土塊と雑草が遠くの方まで飛び散った。  平時であれば、多くの人がいる広場であるが、今はまだ早朝。よって、この場にはレン一人しか人はおらず、彼を咎める者はいない。 「……雑念を消そうとしてたのに、思考が別の道に逸れてたな」  一房(ひとふさ)分白く染まってしまった前髪を弄り、今度こそ雑念……と、苛立ちを消そうと、目を瞑り深呼吸をする。  体内のマナを感じ取り、全身に流れを作って循環させていく。  ここ最近、今までの速さに慣れてきた為、今日からはもう一段スピードを上げる。  全身に力が(みなぎ)り、それと同時に負荷がかかっていくのを沸々と感じる。 「ふぅーー」  腹の下に力を込めて、ゆっくりと長く息を吐いた。剣の柄を握りしめ、幻の敵を思い浮かべる。  いつだって、剣を斬り結ぶのは己が創り出した想像上の敵だ。  時には、自分の倍以上の巨躯を持つ魔犬。  時には、大空から一方的に襲ってくる怪鳥。  時には、足の一振りでグチャグチャに潰してくる巨狼。  時には………、 『本当に強くなったわね、レン君』  そこで幻影が割り込み、聴こえるはずのない声が、脳内に木霊した。 「っ!?」  目を見開き、思考に空白が生まれる。優しく呼びかけられたのに、心胆の奥底から怯えが顔を出して、全身の血の気が一瞬で引いていく。  その幻影が誰なのかも、その声が誰のものかも知っている。  ただ、相手の顔だけがベールに包まれたかのようで見えない。見えないのに、微笑んでいると何故か直感が(ささや)いている。  その微笑みが、ひどくレンの心を引っ掻いて、掻き乱し――、 「――しぃっ!」  一瞬の空白の後、怯える心を意志の力で無理やり捩じ伏せ、レンは本気の刺突を相手目掛けて放っていた。  現在自分が出来る最高の一撃を、相手の胸元目掛けて一直線に突き放つ。  空を切り裂き、高速で迫る切っ先。当たれば、胸に大きな風穴が空くだろう強力な一撃を前に、その幻影はただ微笑みを深くして、 『でも、まだまだ。私にその刃は届かないわ』 「なっ!?」  ふわりと、緩やかに影は移動し、その剣先は体のどこにもかすりすらしなかった。  影はそのまま一瞬でレンの耳元まで近づいて、 『フフフ、貴方はまだ弱いまま。貴方がそんなだから、あの子達は……』 「黙れ」  レンは影の声を遠ざけるように、耳元を手で振り払い、影の声を遮った。  だが当然、そこに実体などある訳がなく、影はレンを嘲笑い、糾弾する。 『いいえ、黙らないわ。貴方は弱かった、だからあの子達は死んだ。全部、全部、貴方のせい。貴方の罪」 「黙れと言っている」  語気を荒げて『声』を拒絶する。再び腹の底から苛立ちが湧き上り、歯軋りをしながら髪を手で強く掴んだ。 「あいつらが死んだのも、俺が悪いのも、全部、俺が、一番、よく、分かってる」  言葉を区切り、語調を強くし、『声』を掻き消す。  そうだ、この事については自分が一番よく分かっている。誰に責任があるのかも、誰の罪なのかも。  自分が彼等を殺したような物なのだから。  そんな単純な事、わざわざ他人に指摘されるまでもない。 「だから、いちいち指摘すんな。これは俺の罪だ。たとえ恩人のあなたでも、これだけは譲らない」  レンは目の前に来ていた影の顔を、これでもかと思うほど睨みつける。  目の前で揺れる影の顔は未だに見えない。その表情も、今ではどんな顔をしているのか感じとれない。 『――そう。それなら、どうして貴方は……』  最後に口の端を吊り上げて、何か言おうとしたかのように見えたが、その先の言葉が聞こえる前に、影は雲散霧消した。 「……はぁ」  短くため息を吐き、全身の筋肉を弛緩させる。今更になって、どっと疲れと、冷や汗が出てきた。  なんとなく、最後に何を言おうとしたのかは、レンには分かった気がした。 「その為に、今ここにいるんですよ」  ここ、『魔術都市』アベリアスの中央図書館には、膨大な魔術に関する資料、学術本が存在する。  魔法、魔術に関する希少な文献――その中でもレンが探しているのは()()()()に関する情報。  使い手が世界でも片手で数える程しかおらず、未だに多くの謎に包まれている魔法。  更には、六百年前の大災厄により、失われた魔法体系もあるという。  その研究も進められ、ある程度は一般にも公開されているが、重要な物は全て王城で管理されている為、一般人には知る余地がない。  故に、一般人である自分にできる限界点は、この都市の図書館を漁ることなのだが――、 「この国で有数の蔵書量を誇るここですら、未だに俺が求める物は見つからないんですよ、アイリス先生」  だらんと腕を下げたまま、先程とはうって違う気の弱い声でそう言った。  あの金色に輝く髪も、宝石のように美しかった翡翠の瞳も、この目には映らなかったが、間違いなくあの人だ。  こうして、目の前に現れるのは何度目だったか。百を超えたあたりから数えるのはやめてしまった。 「やっぱり、一番俺のことを許せないのは、あなたですよね」  たとえ育ての親だとしても、自分の名付け親だとしても、惜しみない愛情を注いでくれていたとしても、許せないものは許せないのだろう。  だから、こうやって目の前に何度も現れては消えるのだろう。  アイリス・フリーゼ、現在も行方不明なままの、自分を育ててくれた孤児院の院長は。 『ええ、だから……』  その声が再び聞こえた時、レンは自分の首を吹き飛ばした。
/30ページ

最初のコメントを投稿しよう!

6人が本棚に入れています
本棚に追加