第一章3「ファーストコンタクト」

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第一章3「ファーストコンタクト」

 時刻は暗刻(あんこく)の五時。夕日が冒険者ギルド内を赤く照らす中、『氷結の王子』はいつものように、ギルドの端っこの席で本を読んでいる。  そこの席は彼の定位置となっており、今では誰も座ろうとしていなかった。  ガヤガヤと賑やかな声が、自慢話が、酒杯で乾杯する音が、ギルド内に響いては消えていく中『氷結の王子』の周辺だけ異質な静けさが漂っている。  それは、彼が纏う負のオーラと雰囲気が何人たりともその場に近寄らせないのもあるが、彼がこのギルドに初めて入って来た時の出来事が最もな要因だろう。  当時彼は十四歳、冒険者登録をしたばかりの少年が威圧しただけで、彼をパーティーに誘った男を失禁、及び失神させ、その時その場にいた者全てが肝を冷やした。  その後も彼に声を掛け、パーティーに誘った者は何人かいたが、その尽くが失神させられた。  故に、彼がこのギルドに姿を現している時、彼の周囲だけ妙な緊張感に包まれている。  しかし、その異質な空気もこの三年のうちに、この都市を拠点として活動する冒険者達にとっては当たり前の事になっていた。  何の変哲もない一日の終わり際。そんなおりに、ギルドの扉が音を立てて開き人が一人入って来た。夕日が逆光となり、その人のシルエットだけ浮かぶ。  扉が閉まり、その人物の姿が露わになると騒がしかったギルド内の空気が変わり、静まり返った。  コツコツと、少女が足を進める音だけが響く。  その人は目が覚めるような美少女だった。男性は間違いなく、同性の女性ですら思わず見惚れてしまうような美貌。  ギルド内にいるほぼ全ての冒険者が、彼女の姿に目を釘付けにされる。  色白で透き通った肌に、編み込みの入った真っ白でストレートの髪が背まで伸びている。その肌と髪はまるで、何者にも踏まれていない新雪のように綺麗だ。  宙を舞い、多くの人を優しく撫でる粉雪を連想させ、儚くも美しい雪の結晶のような少女。  どこか儚げな雰囲気を纏っており、その容姿は可憐の一言に尽きるが、サファイアのように碧く輝く瞳の奥には強い意志が宿っている。  服装は白を基調とした簡素な旅装に、純白のローブを羽織っており、肌の露出は少なく地味目だが、そんな物は彼女の魅力と魔貌の前には関係ない。  身長は百六十五センチより少し高いか。そして、その十七、八歳程に見える美しい少女の耳先は、少しだけ尖っていた。  冒険者なんて荒っぽい職業に就いているのが不思議な程に、その少女は見目麗しく綺麗だった。  彼女はギルドの中を見回して少しだけ『氷結の王子』がいる席に目をを止めたが、そのままクエストボートの方に長い足を向ける。  特に興味を惹くクエストが無かったのか、何故か誰にも聞こえない小声でブツブツと誰かと会話をしながら、今度は先程目を止めていた『氷結の王子』がいる奥の席へと足を運ぼうとした。  だが、その途中で男性の冒険者が彼女の背中に声をかけた。多くの男性冒険者が腰を浮かす中、ソイツだけ数瞬速い。ソイツは二十代半ばの優男だった。 「ねえ君、よかったら僕と食事でもしない? 僕いいお店を知っているんだよ」  爽やかな笑顔で典型的な誘い文句を言う優男。声をかけられた少女は振り返って、その優男の姿を見た。そして、 「ありがたい申し出ですが、お断りします」  彼女は柔らかく微笑みながら、透き通った声で丁重に、しかしそれでいてすげなく優男の誘いを断った。  そして『氷結の王子』がいる席に向かおうとする。が、その優男は諦めが悪いようで、彼女の肩に手を伸ばしながら言った。 「そんな事言わないでよ。ね、ちょっとだけでいいからさ」  優男の手が少女の肩を掴みそうになる瞬間、彼女は動いた。振り向きざまに男の伸びた腕を掴み、引っ張る。 「よーいっしょっ!」 「へ?」  可愛らしい掛け声と共に足に力を込め、少女は身を捻る。優男の口から間抜けな声が漏れ、その時にはソイツの身体は宙を舞っていた。 「かはっ」  優男の視界が三百六十度周り、ドンッという重鈍な音と共に優男は背中から床に叩きつけられた。  所謂一本背負い。華麗に決まり、優男は床に仰向けになった。かなりの勢いで投げられた為、優男は軽く咳き込む。優男は何をされたのか理解が追いついていない。  咳き込んでいる優男の視界の上、少女は涼しげな顔でパンパンと手をはたきながら、 「私がこの三年間でどれだけの数の男性に誘われたと思いますか? 貴方のようなチャラくて軽薄な人の対処法は、とっくの昔に習得済みです」  薄く微笑み、凛とした声音でそう言った少女はもう二度と振り返ろうとせずに、奥のテーブル席に向かっていく。  次の瞬間、ギルドの中は大爆笑に包まれた。なんと受付嬢までも、堪えてはいるが笑い声が少しだけ漏れている。彼のパーティーメンバー達は苦笑していた。 「あっはははは! なっさけね〜! 大の男があんな華奢な女の子に投げ飛ばされるなんて、見た事もないぜ」 「イヤ〜、見事な投げ技だったな。良かったじゃねーか、あんなに可愛い子に投げてもらえてよ〜」 「プッ、ダメだ。笑いが止まらなね〜。どうしてくれんだよ! 酒を噴いちまったじゃねーか!」 「いけませんよ、私たちは笑っちゃ。くっ、フフッ」 「分かってます。でも、あれは……ちょっと……笑わずになんか……いられませんよ……ププッ」  やっと自分の身に何が起きたのか理解する優男。そして、周りからそんな事を口々に言われた優男の顔面は、たちまち熟れすぎたトマトのように羞恥で真っ赤に染まっていく。  優男は黙って立ち上がり、ギルドから足早に去っていった。  その様子を見て、更にギルド内に笑いが巻き起こるのだった。                     △▽△▽△▽  朝から妙な夢を見たり、嫌な事が立て続けに起きたりしたものの、それ以降は特に何もなく、普段通りにクエストをこなし、レンは冒険者ギルドで読書に没頭していた。  今朝方、首を吹き飛ばしたが、やはりいつも通りその痕跡など跡形もなく残らず元通り。傷跡すら残らないのは、肌を傷物にされないという点で女性にとっては有用な気もするが、自分にとってはひどく憂鬱な案件だ。  そして、今朝見た夢に何かしらの意味があると思っていたが、それもただの思い過ごしだったようだ。  予言、予知、未来視など、いくらここが異世界だからといって自分にそのような力などないのだから。  ――あるのは、望んだわけでもない呪いのようなこの力だけで。  レンはただ毎日、死んでいるかのように同じ事を繰り返す。今日もまた今までと同じように過ごし、同じように終わるのだろう。それが、今自分に許されている行動だ。  多くの冒険者達の笑い声がレンの耳に入ってくる。レンは先程の様子を視界の端に捉えていた。一人の少女が大の大人の男を豪快に投げつけた光景を。  よって、彼等がどうして笑っているのか、その理由について想像は難くない。  だが、そんなどうでもいい事に興味なんか湧くはずもなく、レンはページをめくる手を止めない。  ページをめくり、理論と論理で出来た魔法という大海原を思考という名の船で漕いでいく。字を追うレンの眼の動きは素早く、ページを次々とめくっている。  その常に読書をしている理由は、ひどく後ろ向きな感情からきているのだが。  しかし、レンの読書を邪魔する不貞の輩が彼の視界に乱入してきた。 「ねえ君、少しだけ聞きたい事があるのだけれど、いいかな?」  優しく寄り添うように、その人物はレンに声をかけてきた。その声は他者を優しく包みこむように穏やかで、声を聞く者を安心させる。  が、その声はレンの心をささくれさせただけだった。  声をかけられたレンはのっそりと本から顔を上げ、半眼で声の主へと顔を向ける。  声をかけてきたのは、先程一人の冒険者を投げ飛ばしていた少女だった。  少女は、顔にかかった絹のような白い髪を指で耳にかけ優しく微笑みながら、中腰でこちらを覗き込んでいる。 「――っ」  その少女の、蒼穹をそのまま閉じ込めたかのような碧い瞳を見て、動揺がレンの全身を駆け巡った。  少女の容姿が人並み外れていたから……ではない。彼自身にもハッキリとした理由は分からない。  ただ、その瞳の奥の光に見覚えがあったのか。彼の最愛の人のと、その光が似ていたからなのか。 「………何を聞きたい」  動揺を押し殺し、本を閉じてから低い声でそう応じた。  うろんげな視線を少女に向けるが、当の彼女は特に気にした様子もなく、一呼吸置いて目線を合わせてから唇を震わせる。 「ありがとう。それじゃあ、お言葉に甘えて。私は、君がどうしてそんな"目"と"表情"をしているのか、それを聞きたいの」  少女がそう問いた瞬間、ピシリッと、その場の空気が氷ついた。誰も魔法など使っていない。レンが放つオーラが、周りにそう錯覚させたのだ。  不穏な空気がレンの周囲に立ち込み、レンは不躾な質問をしてきた少女を()めつける。  このギルドで初めて見る顔、故にどこか別の場所からやってきたのだろう少女の顔には、凍りついた笑顔の下に、『失敗した』と分かり易い焦りと怯えが生まれていた。  レンは彼女の言葉を聞いて直ぐさま椅子から立ち上がり――、 「話は終わりだ」  少女を上から見下ろし、苛立ちを隠そうともせず早口でそう言って、その場から立ち去ろうとする。当然だろう。レンにとっては、会っていきなり自分の()()の事を聞かれたも同然なのだから。  少女の方はというと、予想していた事と違ったのか、呆然とその場に固まったまま。  そして、何故か少女が立っている場所からは、少女のものではない溜息が聞こえた気がした。
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