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第一章4「エルフの少女と狼精霊」
石像のように固まったままの少女を尻目に、レンは歩く足を止めない。
今日は厄日だ、そうに違いない。二度もあの人の声が聞こえて、思い出したくもない遠い記憶も夢に見た。
あの夢はアイツが現れる事を示していたのかもしれない。
イレギュラーな存在がこうやって関わってくるのが一番鬱陶しい。
そんな事を考えながら、レンにしては珍しく乱雑にギルドの扉を開けて外に出た。
眩しい陽光を浴びせられ、目を細めて少し立ち止まる。
日の光に目が慣れるのを待っているところで、背後からバタバタと音が聞こえた。
「ちょっと待って! 勝手に話を終わらせないで!」
煩わしげに振り返ると、随分と慌てた声でこちらに話しかけてきていて、先程の白い少女が扉を勢いよく開こうと――、
「きゃっ」
少女の短い悲鳴が響き、扉の向こう側で何かに思い切りぶつかって潰れる音が聞こえた。
何か――というか、足の裏で押さえつけた扉の裏側にぶつかったのだろうが。
「ふんっ」
鼻息を立ててレンは振り向き、通りに向かって歩く。いい気味だ、今の仕返しで腹の虫もある程度収まった。これで、追いかけてるのをやめてくれれば万々歳。
――なのだが、
「ちょっと、ひどいじゃない。そんな風にしなくたっていいのに」
今度は扉をそろそろとゆっくり開けて、おでこをさすって安全を確認しながら出てきた少女はレンに文句を言ってきた。
その文句に対し、レンが取った行動はというと――、
「えっ、無視!? ちょっと、本当に待ってってば!」
無視、それは至高にして最上の相手への不敬。自分はお前なんかに興味も、話す価値もないと示す最上級の侮蔑。
そんなレンの態度に対し、少女は驚きの声を上げた。
普通、初対面の相手に取る態度でも行動でもないだろうに、レンに悪びれた様子は見受けられない。
少女の声などそれこそ無視して、スタスタと通りを歩いていく。
「ああっ、もうっ、こうなったら……」
少女は一度瞑目し、躊躇いを覚えながらも魔法の行使に踏み切る。
半ば無理矢理にでも話をしようという意思があるのか、後方――少女からマナの気配が膨れ上がるのを感じた。
「怪我させちゃったらごめんね」
謝りながらも風の魔法を行使する少女。突風が突如としてレンの前方から吹きつける。その力の本流は、自分の歩みを妨害しようとするが――、
「嘘っ!?」
驚愕に目を見開き、再び驚きの声を上げる少女。少女のほうも本気で魔法を放った訳ではなさそうだが、足止めくらいは出来ると思っていたのだろう。
勿論、一般人や並みの冒険者程度なら十分に足止めができるだけの威力ではあった。ただ、その程度の威力ではレンを止めることができなかったというだけのこと。
レンはスッと目を細め、軽く腕を振り同程度の風の魔法放っただけ。二つの魔法はぶつかり合って相殺され、レンの前髪を揺らすだけのそよ風が辺りに吹いただけだった。
もう一度振り返り、少女の顔を目に映す。しつこい少女だ、次にその顔を見たら見つからないようにと心にとどめ、レンは空間魔法を――、
『まあまあ、そう邪険な態度とらないで、ちょっとくらいこの子と話してくれないかな?』
「ッ!?」
使おうとしたその時、少女のものではない低めの女性の声がその場の空気に割り込み、構築していた術式が形を崩し魔法は発動しなかった。今の不自然な現象を引き起こした下手人を探そうと辺りを見渡すが、第三者の声の主の姿は見当たらない。
少女が慌てて、長い髪に片手を突っ込む姿があるだけだ。
「ちょっ、ベルっ!? 口出ししなくていいって言ったのにっ。それに、なんで声までだしてるの!」
『でも、今のままじゃ彼に逃げられてたよ。やっぱりボクの見立て通り、彼、只者じゃあないみたいだし』
ひそひそと小声で会話をしているため、何を話しているのレンには聞こえないが、どうやら先ほど邪魔をしてきた人物(?)は、少女の知り合いのようだ。レンはつかつかと少女の元へと歩いていく。
「あのっ、えっと……」
先程まで自分に声をかけていたのに、少女はあわあわとしどろもどろだ。そんな少女にレンは淡々と話しかける。
「気が変わった、少しだけなら話してやる」
無理解から理解。キョトンとした表情からほっと安心したように顔色を変化させ、少女は胸をなでおろした。
「よかった、それならギルド内で……」
「いや、ここじゃダメだ」
少女の声を遮り、彼女が振り返って冒険者ギルドへと入ろうとするのを引き留める。レンのほうも少し少女に――というより、少女の白髪の中に潜んでいるだろう存在に興味が沸いた。
そして、先程のあからさまに動揺していた態度を見れば、ここでは無理だろう。
「えっと……どうしてもここじゃダメなの?」
おずおずと、あまり気乗りしない声で少女は訪ねてきた。どうしてもさっきの存在のことをごまかしたいのだろうか。
「ああ、俺のほうも少し聞きたいことができた。さっき聞こえた声の主について、ちょっとな」
少女の秘め事を暴くかのように目の細める。淡々としたレンの物言いに、少女の表情が分かりやすく引き攣った。
「声? えっと、あの、なんのこと? 何にも、ほらっ、聞こえなかったと思うんだけど」
「流石にそのごまかしは苦しいぞ。明らかに俺に向かって話しかけてきたんだから」
手をパタパタさせて、あくまでもしらを切りとおそうとする少女だが、ごまかし方がへたくそすぎる。そんな少女の希望とは裏腹に、ご本人が認めてしまった。
『うん、流石にそれじゃあごまかせないよ。ボクの方からバラしちゃってごめんね、でも結果オーライじゃないかな?』
「むう、ベルったら……仕方ないかぁ。それで、何処に行くの?」
不満げに、しかし可愛らしく唇を尖らせていた少女だったが、仕方がないと肩を落として諦め、レンに行き先を問う。
「この都市の中央図書館。お前、この都市に来たのは初めてだろ? ついてこい」
『おーけー、ほら彼について行こう』
レンの問いに対し少女は首肯で答え、髪の中から了承と少女に催促する声が聞こえた。少女が後ろをついてくるのを確認して、レンは図書館がある方向へ足を運んでいった。
▲▼▲▼▲▼
『魔術都市』アベリアスの中央図書館、蜘蛛の巣のように中央へと収束していく通りの先には都市庁舎があり、図書館はその都市庁舎のすぐ隣に建っている。
茶色のレンガが規則正しく並べられた、すぐ近くの都市庁舎よりも立派な造り。貴族の屋敷、もしくは地球の大学を彷彿とさせる図書館だ。
その蔵書量はここ『クロッス魔導王国』に存在する図書館の中でも有数と言われており、この国を代表する図書館と言っても過言ではない。余談ではあるが、この都市の観光名所にもなっている。
実のところこの図書館の歴史は浅い。元々実験的な意味合いで建設された図書館であり、古文書などの六百年前の『大災厄』以前の書類は保管されていない。
そもそも、その時代の多くの文献は消失してしまったのだが。
だが、最新の魔術の研究は『魔術都市』と銘打ってあるだけに、この都市自体で盛んに行われており、それらの研究成果、データはこの図書館に集積されている。実は、レンも密かにこの都市で行われている研究――特に空間魔法に関する研究に協力していたりする。
協力――と言っても、それは空間魔法の術式の実際のデータ取りを行って、そのデータ(手書き)を渡しているだけなのだが。
そういった経緯や、この図書館に通い詰めているということもあって、この図書館に入るのは顔パスだったり、図書館内部にある研究室のうちの一室がレンのためにあてがわれていたりもする。
「ここだ、入れ」
初めて見る広大な図書館だったのだろう少女は、レンにあてがわれた一室の研究室に到着するまでの間、物珍しそうにきょろきょろと図書館内部を眺めていた。
そうして、レンに声を掛けられ少女は我に返った。ドアノブに手をかけて、少女を部屋の中に入れる。レン自身もこの研究室自体は頻繁に利用しているわけではなく、この部屋に入るのはかなり久しぶりだった。
自分自身もその存在を半ば忘れかけていたが、二人きりになれて、尚且つ誰にも邪魔されないという場所としてこの場所を思い出したわけだ。
とまあ、彼自身もその存在を忘れかけていたので当然といえば当然だが――、
「けほっけほっ、あの、すごく埃っぽいのだけれど」
『うーん、確かにそうだね。ボクはともかく、キミたち人間にとっては大分健康に悪いんじゃないか?』
可愛い顔をしかめて少女は空を舞う埃を手で払い、少女の同伴者もそれに同意し、まるで人間ではないかのような物言いをした。その言にますます疑念が深まる。
だが、取りあえずはこの埃っぽい部屋をどうにかしよう。二人の言う通り、この部屋は長らく使っておらず掃除もしていなかったため、空気が悪い。
「それもそうか」
そう言いながら、レンはパチンッと指を鳴らす。すると、ひとりでに閉じられたカーテンと窓が開き、部屋中につもりに積もった塵や埃は全て空中にかき集められひとまとめにされて外に捨てられた。
開かれた窓からは真っ赤な陽光が差し、室内をさわやかな風と空気が駆け抜ける。
『わあお、随分と繊細な魔法の使い方をするねえ、キミ。こんな風な使われ方をすれば、たいていの場合細かい埃なんて風に捕われないですーぐどっかにいっちゃうのに、それすらないなんて』
風の魔法を応用して一瞬で部屋の埃を除去した手際に、謎の人物が感嘆の意を示す。実際、今の作業で宙を舞った埃など皆無に等しく、瞬く間に部屋の埃っぽさは綺麗さっぱりなくなっていた。
しかも、それだけでなく――、
「それに、机とか家具まできれいに磨かれてる。これって、今の風に水分まで含ませてたみたい」
と、少女は机の上を確かめるように指でなぞる。――その姿は姑の嫁いびりのようにも見えるが、少女の容姿が容姿なので何となく様になっている。その声もただ驚嘆があるだけなので、いびるといった印象もこれっぽっちも受けないが。
その少女の感想をよそに、レンは椅子を二脚用意して少女に座るよう勧めた。勧められるままに少女は椅子に腰を下ろし、レンはその反対側のに腰を落ちつかせる。
「で、そろそろ姿を見せてくれてもいいんじゃないか?」
座るなり開口一番、レンは瞳の奥に暗い影を落としている死んだ魚のような目を鋭くして少女を見る。レンの言葉に少女は肩をすくめ、
「なるべく他人にはベルの存在を知られたくないの。だから、この子の事は誰にも話さないって約束して」
そう前置きして、レンがそれを承諾すると、少女は長い白髪の中から一匹の掌サイズの直立する狼を摘まみだした。
「さっきはこの子が失礼を働いたようですまなかったね。ボクの名前はベル。ボクはまぁ、あれだ、精霊というやつだよ」
牙をむきだし苦笑いをして、少女に首筋を摘ままれたままのなんとも格好のつかない状態で、精霊を自称したその存在はレンに自己紹介したのだった。
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