真夜中の一角獣退治

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 だんだん森が見えてきた。  森の中では肉眼は役に立たないが、ここには魔法使いと魔法使い見習いが揃って四人もいる。ジョエルは口笛を鳴らした。 「いたよ。あの大きな木の影」 「了解。はいっ!」  アイヴィーは、絨毯を操縦しながらも、次の古紙の魔方陣を取り出した。そこから取り出したのは、金色に光る鱗粉だった。 「あのう……これは?」 「妖精の鱗粉。妖精自体を出したら、今はジョエルの砂鉄が蔓延しているから死に至るから、鱗粉だけ出したの。これで見えるようにできるから!」  そう言ってアイヴィーはさらさらと妖精の鱗粉を振りかけていくと、今まで木陰で隠れて見えなくなっていた輪郭が、たしかに見えてきた。  こちらに怯んだように嘶くものの、インブリウムは蹄をゴリゴリと木の幹に擦り付けているようだった……砂鉄を全部取られてしまっては、さすがに打つ手はない。砂鉄がまだ残っている内に、夢の中に逃げ隠れられてしまう前に、決着をつけないといけない。  その中、アルマは絨毯から身を乗り出した。 「ちょっとインブリウムと話を付けてくるわ」 「はあ!? ちょっとアルマ、まさか飛び降りる気?」 「大丈夫よ。これくらいだったら私の魔法で怪我なく降りれるから」 「もう! この子ったらすぐに無茶やる! そんなことばっかりやってたら、その内ほんっとうに危ない目に遭うからね!」 「……アイヴィー、あなた私の家族? 心配し過ぎだわ。大丈夫よ。じゃあ!」  本当にそう言い残して、アルマは絨毯から「てい」と飛び降りてしまった。  あまりにも安易な自殺に、思わずルーサーは身を乗り出すが。同時にアルマがあまりにも軽やかに地面に降りていくことに気付いた。 「えっと……これ、どういうことで……?」 「魔法で風を起こして、体に纏っているの。言葉で言うのは簡単なんだけれど、四大元素のコントロールって本当に難しいから。さしずめ、アルマは風妖精の力を引っ張り出して出力は妖精に任せて、コントロールだけしているんでしょうね」  口で言うのは簡単だが、やれと言われたら難しい。実際に勉強したてのルーサーですら、その作業が途方もないということがわかる。  彼女がインブリウムを追いかけて飛ぶ様は、人の思い浮かべる風妖精そのものだった。 (綺麗だと、簡単に言っては駄目なんだろうな)  安易な言葉は、憎悪の対象である妖精を研究し続ける彼女には届かない。  再会してまだそこまで日が経っていないものの、彼女自身を支える造詣の深さと高いプライドを考えれば、難なく想像がついた。  一方、風を纏ってインブリウムに追いついたアルマは、妖精言語で件のインブリウムに話しかけていた。 【あなた、今まで誘拐した女性はどこにやったの? ニコヌクレイクの人たちは知っているの?】 【また来たのか、いい加減にしつこいな】 【しつこくて結構。それで、あなたが食べた人たちはどうしたの?】  インブリウムの悪癖で、女性の夢を淫夢で満たした上で、彼女たちの精神力を食べ尽くすというものがある。  あまり長いこと精神力を食われ続けたら、彼女たちの心が完全に空っぽになり、生ける屍になってしまう。  それにインブリウムはブルンと鼻息を立てた。 【貴様も乙女だな】 【あら、私まで食べる気? ケイトさんを食べ損ねたから】 【魔法使いの夢は食べたところで苦くてまずくてかなわないから食べようと思ったことがないが……貴様は妖精の匂いが濃い……食べればさぞかし美味いのであろうな?】  妖精は人の心がわからない。  なおかつ一角獣には女性など餌のひとつにしか思っていないのだから、余計に理解しようとすらしていない。  だからいともたやすくアルマの逆鱗に触れるのだ。  アルマは獰猛に笑った。 【ええ、ええ……もう食べたいなんて思えないようにしてあげる】  アルマは風を解き、いともたやすくインブリウムを引き寄せた。  本来ならば、魔法使いは一角獣に近付く際は、警戒して鉄のひとつでも持っているものだが、今の彼女は本当になにも持っていない。  角で突けば一発で絶命する、貧相な体。まだ成長途上で手足ばかり長くて肉がない。栗色の髪を揺らして笑う様は人間からしてみれば愛らしいのだろうが、一角獣の趣味には合わない。  魔法使い特有の苦い匂いがなにもしないのに、インブリウムは蹄を木に擦り付けた。  あれだけ取れなかった砂鉄がやっと取れたことを確認し、アルマに近付くと、彼女はスコン、と眠りに落ちてしまった。 【たやすいな、なにを企んでいるのやら】  本来ならば、ここでひと突きして殺すのが妥当だが、一角獣はたとえ魔法使いであっても、乙女は殺さない。そう本能ができている。  だからこそ、たとえまずくとも夢を食らう。  淫夢のひとつでも見せて、彼女を乱せば幾許か甘さも出るだろう。そう思って、インブリウムは彼女の夢に入っていったのだ。 ****  人の夢は精神世界。  精神世界は広げれば妖精郷へも通じるとされている。  ちなみに妖精学者の多くは、この妖精の故郷たる妖精郷へ向かう研究をしているが、人間の精神は肉体に縛られている。肉体ごと妖精郷へと渡る術が見つかっていないというのが、今の妖精学での見解だった。  しかしインブリウムはそんな人間の事情にはさして興味を持たなかった。  そんなことを考えずとも、インブリウムは妖精郷と人間界を自由に行き来できるからである。  だからアルマの夢に入ったのだって、少しつまみ食いするくらいの意味しか持ち合わせていなかったのだ。  彼女の夢は全体的に霧がかっている。その中をインブリウムは怪訝に思いながら走っていた。 【人間は、もっとわかりやすものが好きなはずだが、なんだこれは】  人間は物欲に弱い。  先日さらう手はずを整えていたケイトだって、一角獣の角をばら撒いていたら、それを必死な顔でかき集めていたというのに。彼女はなにも見つけられない。  いや。だんだん霧が晴れ、なにかが見えてきた。 【……なんだこれは】  それは石像だった。いや、それは妖精にとってもっともおそろしい光景が広がっていた。  妖精は、名前を与えられたら石化する。二度と空を飛ぶことも許されず、精神世界から妖精郷に渡ることすらかなわなくなる。  だだっ広い草原に、ゴロリゴロリと転がっているのは、紛れもなく妖精の像ばかりだったのだ。 【褒めてほしいくらいだわ。これが夢で済んで】 【……貴様、まさかこの夢を見せるために、体を貸し与えたというのか!?】 【ここは夢よ? 私は精神世界においては妖精よりもよっぽどか弱いわ? でもね、私も一度妖精郷に渡ったことがあるから、精神世界を完全にコントロールはできなくても、見たい夢を選ぶことくらいだったらできる……普段はそもそも夢なんて見れないようにしているから、こうしてわざわざ夢を見て、インブリウムを招待するなんて滅多にないんだから】  アルマの言葉は淡々としている。そしてその淡々とした声色が、インブリウムを追い詰める。インブリウムは大きく嘶き、脚でブルンブルンと地面を蹴った。  この女の夢から逃げないとまずい。そう直感したのだが。アルマはクツクツと笑う。 【妖精は精神世界だと強くなり、肉体に縛られる人間はどうしても弱くなる。だからこそ、悪魔や妖精に脅かされたら、手も足も出ないと……そう思っているわね。でも、精神世界で無防備なのは、本当に人間だけかしら? 侮っているほうが負ける。それは当たり前のことじゃないのかしら?】  彼女の言葉は流暢だ。まるで妖精そのもののようだ。  妖精は狡猾で人間の心を踏みにじる。それは目の前のアルマによく似ている。  アルマは口にした。 【あなたに名前を付けたいって、ずっと思っていたの】 【止めろ】  インブリウムはダラダラと冷や汗を流した。  この夢を淫夢で満たし、その夢の味見をして立ち去ろうとしたのはどこの誰か?  彼女は淫夢にとらわれることなく、ケタケタ笑いながら、妖精を石化させ回る夢を見ているじゃないか。そもそも。  人間が精神世界で歩き回れるなんておかしい。笑いながら妖精を唯一確実に殺せる方法を持ち出すなんておかしい。  この女は、様子がおかしい──!!  インブリウムは踵を返した。 (この夢から出るか)  そもそも精神世界で石像を並べられるのだ。イニシアチブが妖精にある場所で石像にされてしまったらかなわない。  そう判断して逃げだそうとするが。アルマはケタケタ笑いながら、インブリウムのたてがみを掴んだ。文字通り毛が逆立つ。 【先に行方不明になった女性陣の居場所を教えなさいよ】 【さ、触るなぁぁぁぁ!!】 【教えてくれたら、見逃してあげる。教えてくれないのなら、この場で名を付ける】 【い、言うから……言うからぁぁぁぁぁぁ!!】  アルマに口を割らされたインブリウムは、這々の体で逃げ出した。  元々ニコヌクレイクは都合がよかったのだ。どこもかしこも一角獣を祭り上げ、ユニコーンのふりをしたら簡単に食事にありつけたのだから。  ところがどっこい、今回は妖精言語を操る魔法使いがいたではないか。しかもインブリウムが混ざっていたことまでばれてしまった。  もう二度と、あの村では食事は摂れない。  一角獣すら敗北に処すあの女が、インブリウムからしてみればおそろしくて仕方がなかった。
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