優しい想い出にとどめを刺す

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優しい想い出にとどめを刺す

 風がすごい勢いで駆け抜けていく。  アルマがコリンナを乗せた箒のスピードを上げているからだ。箒で乗る魔法自体、古典過ぎてマイナーなため、現代では趣味の一環で覚えるしかない。後ろに乗せているコリンナは目を回していた。 「は、速い……! 怖い!」 「あんまりしゃべらないでちょうだい。舌噛んでも責任取れないから」 「は、はいっ……!」 「それにしても……あなたたちはオズワルド近辺出身なの?」 「え、はい。一応……ですけど、どうして……?」 「イーヴァが墓場にいるってことは、そういうことなんでしょうね。コリンナ、あなたはイーヴァが未練ある人って知っている」 「えっと……」  箒に乗ってプルプル震えていたコリンナが、少し黙ってから口を開いた。 「……共通の友達が死んだんです。イーヴァ、彼のこと好きだったんで」 「そう……」 「嘆いてはいたんですけど、もう三年も前のことなんで……諦めがついたと思ってたんです。まさか……死霊術に手を出すくらいに、思い詰めていたなんて、思ってなくて……」  おそらくは、コリンナとイーヴァだと件の人物に向ける感情が違ったのだろう。  ふたりはどれだけ仲がよくても、所詮は他人だ。互いの大切なものの重さまで、常に計り続けることはできない。 「そうね。時間が経ったら、できる限り想い出にするのが普通だわ。未練たらたらのほうがどうかしている。でもね」  箒はだんだんと、拓けた場所へとふたりを誘った。  緑の芝生に墓石が並んだ場所へ、近付いていっている。  それらを見ながら、アルマはコリンナに向けてというよりも、己に向けてぽつんと漏らした。 「忘れることを決めるのは自分自身だから。忘れられない、忘れたくないと思ったら、忘れられないのが人間だから……誰かが正しい間違っていると言っても関係ない。決めるのは自分自身だから……」  それはアルマにとって自虐でもあった。  誰もかれもに忘れられて、自分から全てを奪った妖精のことを忘れることなんてできなかった。妖精を殺せただけで、誰も彼女のことを思い出せていないというのに。  イーヴァを止めようとするのは、ただの自己憐憫に彼女を付き合わせるだけなのかもしれない。それでも。  まだ一般人に毛が生えた程度の魔法使いでは、死霊術なんてそもそも制御不可能だ。  アルマはそう心に刻み、コリンナに尋ねる。 「あなたたちの友達のお墓、ここで合ってる?」 「合ってます。合ってます……キャッ」 「ちょっとスピードを上げるわ。振り落とされないようにね」 「は、はいっ…………!!」  風を切り、髪をかき乱され、ふたりは飛んでいく。  目指すはイーヴァと、彼女の友達の墓前だ。 **** 「ユニコーンの角の粉末、ひとつまみ……」  イーヴァはトールの墓前で、ノートを広げながら、持ってきた魔法薬を墓石に撒いていた。ノートには、禁書棚から盗み読んだ死霊術……霊との交信方法を書き写していた。  交信方法に必要な魔法薬を、話したい相手の墓石に振りかける。  単純作業ではあるが、一般人出身であるイーヴァが魔法薬の材料を集めるのは至難の業であった。なんと言っても、魔法薬を買うコネがないため、授業の実習中にこっそりと持ち帰ることくらいしかできなかったのだ。  ばれない程度にノートをちぎってそこに包み、ポケットの忍ばせる。気の長くなる時間、なんとか魔法薬集めに奔走して、やっと全部集め終えたのだ。 「赤い石、ひと粒。月下美人の香油、三滴……あとは話をしたい人の遺髪……」  イーヴァは震える手つきで魔法薬をかけ終え、最後にトールの髪を取り出した。イーヴァの実家は理容院だ。そこでトールが来たときに、はしゃいでその髪を集めていたことがあったが、まさかそれが彼の形見になるとは思ってもいなかったし、それのおかげで今こうして、彼と対話をすることができる。  イーヴァは最後に髪の毛を墓石にかけようとした……そのとき。  いきなり光の鱗粉を振りかけられ、驚いて手を止めてしまった。 「イーヴァ止めて…………!!」  そう悲鳴を上げたのは、コリンナだった。  驚いて見上げた先には、箒に跨がった見ず知らずの先輩とコリンナが空を飛んでいたのだ。 「コリンナ……どうして」 「イーヴァさん、だったわね。お話は全部伺ったわ」  そう言いながら箒の高度を下げ、コリンナを降ろして先輩がスタスタとやってくる。そして光っているものに声をかけた……よくよく見れば羽が生えていて手足が伸びている。妖精だった……。 「レーシー、彼女。術は」  妖精はなにかを言っているが、イーヴァにはなにも聞き取ることができなかった。  妖精と話を終えた先輩が、黙って彼女を見る。  森の賢者を思わせる、知的な光を帯びた翠の瞳だった。 「そう……ねえ、イーヴァさん。あなたは即刻それを止めて、すぐにオズワルドに戻るべきだわ。今だったら見逃せるし、なにも起こらなかったってことで済むけれど。これ以上なにか起こったら大変なことになるわ」 「なにを言って……」 「ねえ、イーヴァ。止めよう? トールは死んだけどさあ……トールは、きっとイーヴァに死霊術なんて使って欲しくないと思うよ? だってあれ、霊との対話ができるかどうか、わからないんでしょう?」  それにイーヴァは黙り込んだ。  そうなのだ。たしかに禁書棚の本を書き写して、その通りにしたが。  魔法が貴族や豪商でなければ続けるのは難しいというのは、器具や道具を揃えるのが難しいだけではない。途方もない時間をかけて、本当にわずかな結果が出る出ないを調べる学問だからというのが大きい。  同じ魔法薬を撒いたからと言って、その日の天気、湿度、温度、星の位置……。本の通りにきっちり同じにするには、魔法を少し囓った程度の素人では不可能なのだ。だから魔法学院が存在しているし、魔法使いの一族たちが幼い頃から叩き込むのだから。そんな一長一短で学べるものではない。  頭ではわかっているし、基礎教養で何度も何度も口酸っぱく講師や教授から教えられた。でも、イーヴァの気持ちは納得することを拒んでいた。 「それでも……わたしはトールに会いたい……」  子供じみた感傷であったとしても、イーヴァはそれを手放すことができなかった。  しばらく黙っていたが、やがて先輩は溜息をついた。 「……そうね。理屈じゃないものね。誰かを想うっていうのは。でもね、イーヴァさん」  先輩は淡々と語る。  いかにも真面目そうで品のよさそうな顔をしている。幼い頃から魔法を叩き込まれた、生粋の魔法使いの態度。言動。  ……もしイーヴァにその知識があったのなら、誰にも邪魔させなかったのにと、彼女はただただ歯がゆかった。  イーヴァの気持ちはよそに、先輩は続ける。 「自分で自分の思い出を、わざわざ汚す必要はないのよ」 「……あなたになにがわかるんですか」 「ええ、わかるわ。私も、自分で初恋を台無しにしたことがあるから。よくもまあ、自己満足のためにそれだけ恥ずかしい真似ができたなと思うほどに」  先輩は淡々とした中で、あまりにも俗っぽいことを言い出したので、イーヴァは少しばかり拍子抜けした。  てっきり生まれたときから魔法使いだった人たちには、既に婚約がまとまっているものだとばかり思っていた。先輩は続ける。 「私の場合は相手が生きてて、たまたまお人好しだったから許してくれたけれど。あなたの場合は自分の想いを共有する相手もいない中、ひとりで後悔を抱えないといけなくなるのよ。自分で自分の思い出を汚してどうするの?」 「……自慢ですか?」 「そんな訳ないでしょう」 「でもわたし、耐えられないんです」  イーヴァは震える手で、トールの髪を握った。 「彼の匂いを、彼の声を、彼との思い出を、どんどん忘れていくのが。どんどん思い出せなくなっていくのが。周りが幸せにしていると、わたしが幸せを感じていると、ぱっと思い浮かぶんです。どうしてトールは今ここにいないんだろうって」  その髪を、イーヴァは一気に墓石にばら撒いた。  それに気付いた先輩は「レーシー!!」と悲鳴を上げるが、どうなるのかはイーヴァも知らないし、興味がない。 「……わたしはただ、告白がしたいだけなんです。たったそれだけで、どうして迷惑がかかるなんて思うんですか?」 「一応聞くけれど、その髪は本当にあなたの好きな人の遺髪?」 「そうですよ? ちゃんと禁書で読みましたから」  金色の鱗粉が辺り一面に広がっている。レーシーが飛び回っているからだ。  その中で、先輩は堅い声を上げた。 「だとしたらこの魔法は失敗だわ。コリンナ! あなた箒で飛べる!?」 「えっ!?」  いきなりの指名に、コリンナは大きく肩を跳ねさせて、先程彼女と乗ってきた箒を渡される。そしてイーヴァをコリンナのほうに押し出す。 「一応……アルマさんが見せてくれましたから……見よう見まねで……」 「ならそれで飛んでいって、ルーサーを探してちょうだい! ルーサーは私の友人たちを呼びに行っているはずだから! イーヴァと一緒にすぐにオズワルドに戻って!」 「えっ!? ええっと……アルマさんは……?」 「今ここで、これを食い止められるのは私しかいないでしょう?」  彼女に箒を渡されたコリンナは、困った顔で彼女の背中を見ていたが。  どうしてイーヴァを彼女に引き渡したのか。どうしてここに優等生のアルマが残ると言ったのか、すぐにわかった。  ……墓石が、カタカタと鳴っているのだ。 「トール……!」  思わずイーヴァが飛び込みそうになったが、アルマが手を広げて制止した。 「あれは、あなたの恋の相手なんかじゃない」 「で、でも! この墓はトールのもので……!」 「魂は、今のところどんな魔法でも複製も完全再現も召喚も、できていないのよ」 「え……でも……」  やがて、墓石がガッタンッと起き上がったとき。なにかが出てきた。  甘い腐敗臭を漂わせ、皮膚がところどころ破れてウジ虫が湧いている。そして目は落ちくぼみ……それはとてもじゃないが清廉潔白だったトールと同一人物とは思えない「なにか」だった。  アルマはなにかを言ったが、それはイーヴァたちには聞こえなかった。  途端に彼女はなにかを纏い、「なにか」と戦いはじめた。  光が、硝煙が、火花が舞う。  イーヴァはそれに腰を抜かして座り込みそうになったが、寸でのところでコリンナに掴まれた。 「コリンナ……」 「イーヴァ! アルマさんが戦っている間にオズワルドに戻ろう!?」 「で、でも……わたしのせいで、先輩が……それに、あれはトール……」 「違うよ! あんなのトールじゃない! トールじゃないよ!」  そうコリンナが言うが、イーヴァにはわかっていた。 「なにか」にへばりついた髪の色は、イーヴァの持ち出した彼の遺髪と同じ色をし、同じ癖毛をしている。  自分のせいで、トールの遺体が「なにか」に変貌してしまったのだ。  イーヴァが涙を流している中、コリンナが彼女の頬を叩く。 「しっかりして! 帰ろう! ここのお墓全体が冒涜されたら……リビングデッドだらけになったら……町もオズワルドも大変なことになっちゃう!」 「え、ええ……!」  ふたりは箒に跨がり、そのまま飛び立った。  アルマの無事を祈りたいが、普通科の生徒が飛ぶ箒ほど怖いものはない。ふたりがかりで必死に箒を操りながら、オズワルドへの空を目指すのだった。
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