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妖精学者のご令嬢
アルマが在籍しているのは召喚科に当たる。
召喚科は使い魔の研究を行うのが基本で、魔物の研究を行う者、魔獣の研究を行う者と幅広く在籍している。
彼女は書き終えたレポートを携えて、ひとつの部屋の前に立っていた。
「教授、いらっしゃいますか?」
「ああ……入っておいで」
「失礼します」
部屋はアルマが与えられた個室と同じく、本と紙で埋め尽くされている。
ひとつ違う点は、あちこちに怪しげな模様の刻まれた木刀、変わったポーズを取った人形、なにを押さえるために使うのかわからない幾何学模様の入った文鎮などなど、部屋の調度品にしては統一感のなさないものがあちこちに乱雑に転がっている点である。
その中で、アッシュグレイの髪にたっぷりと髭を蓄えた男性がにこにこしながら座っていた。通常、魔法使いというものは服の上にローブを纏っているものだが、彼はシャツにパンツとラフな格好をしていた。シャツは袖を捲り上げ、パンパンに筋肉が詰まっているのがわかる。
アルマが入ると、彼はちょうどリュックサックに荷物を積めているところであった。
ジュシュア・テルフォード。テルフォード教授というと妖精学の権威で、魔法使いなら誰でも知っている人物である。一般人出身の普通科の生徒たちですら、教科書として彼の本の購入を勧められるため、一度は目にしている名前だ。
「教授、レポートです。出かける前に間に合ってよかったです。
「ああ、アルマ! 君もずいぶんとレポートを出すのが早くなったもんだね……どれどれ、すぐに読んでしまうよ」
「よろしくお願いします」
教授は丸眼鏡をかけると、アルマが羊皮紙に書き上げたレポートを次々と読み上げていく。
「なるほど、妖精の魔法は妖精郷に干渉して行使しているという仮説か……面白いね」
「はい。仮説を実証するには、どうしても妖精郷に行かなければなりませんが」
「たしかに……今のところ、妖精郷へ人間が自主的に行く方法は発見されていないからね……面白い。アルマ」
「はい、教授」
「さすがにふたりっきりで教授は寂しいね。お父さんと呼びなさい」
「さすがに学院内でお父様と呼ぶのは、他の生徒に示しが付かないのでは」
「はははははは……まあ、たしかにそうだね」
娘は栗色の髪。父はアッシュグレイの髪。癖毛の娘に対して、父の髪は短く刈り揃えているとはいえども真っ直ぐだ。似ているところがまるでない。
強いて言うなら、ふたり揃って妖精学のとりこだというところだけが、ふたりを親子たらしめているものだった。
「最近学園生活はどうだい?」
「どう……とおっしゃられても、どうと答えれば?」
「友達はいるかい? さすがに恋人は私にレポートを出して【良】を取れる相手でなければ難しいけどねえ」
「……教授のレポートで【良】は、相当の学者でなければ難しいですよ。でも、そうですね……」
アルマは目を伏せ、考える。
「友達はいますよ。恋人は……まだ興味はありませんね」
「そうか、それはよかった」
特に後者に対しては思うところがあったのだろうか、ジョシュアは力いっぱい頷くのに、アルマは苦笑を浮かべながら「ただ……」と髪を揺らした。
「なにかな?」
「最近……と言いますか、今日気になる生徒を見かけました」
「……まさかアルマ、ひと目惚れかい? あれだけ妖精学にしか興味を示さなかった君が?」
「……教授、うろたえ過ぎです。違いますよ。なんだかどう見ても呪いがかかっている生徒が普通科にいるようなんです。あれだけあからさまなのに、誰もそれをおかしいと思っていないようだから、それこそ妖精のしわざなのかもと思って見ていました」
「なんと……」
ジョシュアは少し考え込むように、丸眼鏡を外すと、眼鏡ケースにしまい込んでからリュックサックに突っ込んだ。
「私はもうしばらくしたらフィールドワークに向かうから。今の時期でなければ観察できない現象があるからね。君のことだから、きっとその生徒が気になることだろうけど、うかつに関わるんじゃないよ」
「ですけど、彼このままじゃ大変なことになりませんか?」
「ああ、もちろん。妖精に呪われた人間が大変な目に遭わなかったことはまずないからね。だけれど、皆が皆、僕や君みたいに妖精について詳しい訳ではないのだから。自分で対処できると慢心しないように。もしその生徒の名前がわかるようならば、普通科の講師にも連絡を入れておくけれど」
「……名前までは、わかりませんでした。私も窓から様子を見ていただけですので」
「アルマ、君のことだから気になって気になって仕方がないかもしれないけれど。再三再四言うけれど、うかつに首を突っ込むことだけは止めておくんだよ?」
「……わかりました、教授」
「レポートの採点は、帰ってきてから行うからね。これに関しては熟読が必要だから」
「ありがとうございます」
こうして、アルマはジョシュアの部屋を後にした。
アルマが召喚科に在籍して行っているのは、妖精の研究だ。妖精も種類はさまざまいて、アルマが使い魔にしているレーシーのように害のない者から、人間の子供を連れ去ってしまう者、沼に近付いてきた人間を引き摺り込んでしまう者まで数多く存在している。
人間であったら、魔法を行使する場合、力のある言葉で発声……俗に言う呪文の詠唱を行わなければならないのだが、妖精は呪文の詠唱を必要とせずに魔法を行使する。
現在アルマが行っている研究は、妖精の魔法はどうやって発現しているかであった。
「彼、私のいい研究対象だし……私も気になるんだけれど」
そうアルマがぽつんと漏らしたとき。
ドタドタドタと走る足音が聞こえてきた。魔法使いは貴族や豪商などの出が多く、基本的に埃の立つ走り方をしない。だとしたら普通科の生徒なんだろうかと、足音の先を見て「あ」と彼女は声を上げた。
窓から眺めていた青年である。必死に歯を食いしばって走っていた。
「あなた、廊下は走るものではないわ」
「す、すみません! 追われてて……」
「追われて? 誰に?」
「悠長に話している間は……」
彼が最後まで言い終える前に、「ルーサー!!」と黄色い声が飛んできた。
可愛らしい女の子たちが、頬を蒸気させて潤んだ瞳で、ルーサーと呼ばれた青年を追いかけてきたのである。
アルマは「なるほど」と呟いた。
「あなた、呪われているのね」
「せ、先輩は……なんともなりませんね?」
「そうね、あなたにかかっている呪いは受け付けないのかもね。行きましょう」
そう言ってアルマはルーサーの手首を掴んで、走りはじめた。
廊下を走るのは貴族のすることではない。アルマも理解はしているものの、研究対象が自分から寄ってきたのだから、彼を逃がす気は毛頭なかった。
なによりも、彼女は腹を立てていた。
涼しげな目元にも言動にもおくびにも出してはいないが。それらはジョシュアの教育の賜物だ。魔法使いは顔に思考を出してはならないと。
****
ラナが「私、次の授業はあっちなの」と別れた途端に、女の子たちに取り囲まれてしまった。
「やっとラナがいなくなったわね」
「待ってくれ、どうして皆……落ち着いて……? ねえ?」
「私と一緒にペア授業を受けましょう!」
「いや私とよ!」
「私と!」
目の前で女の子たちが、互いを押しのけてルーサーに近付こうとする。
(もう、本当に勘弁して……!!)
毎回毎回見せられる女の子たちの修羅場は、普通過ぎるルーサーにはつらいものだった。残念ながら図太くない彼は「やめて僕のために争わないで!」みたいな冗談は、口が裂けても言えなかった。
そんな訳で、逃げ出したのである。
当然ながら追いかけてくる。
「ひぃ……! なんのためにここに来たんだよ、僕は……!!」
自分の呪いについてわからないかと、図書館で本を読もうとすれば邪魔をされる。
本で調べられないなら聞こうと魔法使いの先生たちに話しかける前に、女の子たちに手を取られて先生たちから遠ざかる。
ルーサーが呪いについて調べることさえも、彼にかかった呪いは邪魔をするのである。
いい加減、女の子たちの甲高い声が、彼にはつらくなってきていた。
そこで、目の前にふわりと森の匂いのする女子生徒が歩いていることに気付いた。思えば、彼は必死になって逃げ回っていて、普通科の校舎から廊下を渡って別の校舎に紛れ込んでしまったみたいだが、ここがどこなのかわからなかった。
やがて彼女は足音で気付いたのか、「あ」と声を上げてこちらに振り返ってきた。
「あなた、廊下は走るものではないわ」
そのひと言に、ルーサーは胸がじぃん……と熱くなった。
彼女の声は甲高くなく、落ち着き払った声だった。
栗色の髪で少々癖がついて跳ねているが、澄んだ翠の瞳は、毎日追いかけ回されて疲れ切った彼にはよく聞いた。
どうも彼女には、ルーサーのかかっている呪いは効いていないようだった。
おそらくは、自分たちと違って正規の魔法使いなのだろうと安心する。
(ずっと魔法使いとしゃべることすらできなかったけど……やっとこれで助けを求められる……!)
ラナと以外、まともにしゃべることすらできなかったルーサーにとって、目の前の先輩はありがた過ぎた。
「す、すみません! 追われてて……」
「追われて? 誰に?」
「悠長に話している間は……」
どうにか逃げないといけないが、ようやくしゃべることができた第一魔法使いから離れがたく、ルーサーはちらちらと廊下を見ていたが。
やはりそうは問屋が卸してはくれないようだった。
「ルーサー!!」
「ひぃ……!!」
女の子たちもまた、ドタドタとこのどこの校舎かわからないところまで走ってきたのだった。
それにも、目の前の先輩は顔色ひとつ変えず、自分と彼女たちを比べて眺めていた。
「なるほど。あなた、呪われているのね」
「せ、先輩は……なんともなりませんね?」
「そうね、あなたにかかっている呪いは受け付けないのかもね。行きましょう」
そこで手を取られたとき。
なぜかルーサーは内心「あれ?」と思った。
彼女に手を引かれて走る中、なにかが頭によぎりかけた。
幼い頃に、女の子と一緒に町の中で元気に走り回っていた想い出だ。だが、その記憶は霧がかったように曖昧で、登場人物は全てもやのように形をなしていなかった。
(目の前の先輩は……初めて会ったはずだよな?)
一緒に廊下を走る中、ルーサーは脳裏に一瞬浮かんだイメージに、ただ首を傾げていた。
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