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オズワルド内は騒然としていた。
恐怖で立ち尽くしているのは普通科の生徒ばかりで、残りの学科の生徒たちは「今までの勉強の成果を見せつけるぞ」とばかりに祭りの準備期間のような空気を醸し出しているのが異様であった。
使い魔たちにより普通科の生徒たちは【こちらに避難してください!】と各校舎に設置された呪い避けの部屋へと避難誘導されていく。
その中、箒で中庭に不時着した生徒がいたのに、一瞬周りは驚いたように振り返った。
「いったぁ……昔の魔法使いってすごいね、箒で軽々と空を飛べたんだからさあ……」
茂みに突っ込んだおかげで、なんとか骨折はせずに済んだものの、ローブに小枝が刺さって痛い。どうにかプルプル首を振りながら、コリンナとイーヴァは箒から降りた。
辺りが騒然としている上に、なにやら飛んでいる。どう見てもそれは死霊だ。イーヴァはそれに顔を青褪めさせている。
「……わたしのせいで、オズワルドが」
「うーん、イーヴァ。たしかに禁書が原因だと思うけど、こっちは教授も講師も凄腕の先生たちもいるからなんとかなると思うよ。それより先輩! 先輩はひとりであれと戦ってるんだから、先輩のほうどうにかする方法考えないと」
「え、ええ……でも……どうやって?」
残念ながら普通科の授業では、まだ死霊との対峙の仕方なんて習わない。
そもそも魔法使いの家系でもない限りは、死霊との対峙方法なんて身につかないのだから、墓場に置いてきたアルマを手伝うにはどうすればいいのか、とんと検討が付かなかった。
その中「コリンナ! イーヴァ!」と声をかけられ、ふたりは振り返った。ルーサーがずいぶんと薬草臭くなっていた。
「どうしたのルーサー……先輩たちに言ってきたんじゃないの?」
「先輩たち、死霊と戦いに行ってしまって……それより、アルマは?」
「それが……」
コリンナの説明に、だんだんとルーサーの顔から表情がなくなっていく。だが。
ルーサーは碧い瞳を凜とさせて、ふたりに言った。
「今、先輩から聖水のつくり方を教わったから。材料もかき集めてきたから、つくるの手伝って」
「え……! でもわたしたち、聖水のつくり方なんて、授業でもまだ……」
イーヴァはうろたえて、視線をうろうろと彷徨わせていたが。コリンナは既に覚悟を決めて、ルーサーと同じくキリリと唇を引き結んだ。
「行こう、イーヴァ。ルーサーを手伝ってつくろう。あれを先輩に持って行ったら、あとは先輩がなんとかしてくれるよ!」
「で、でも……私たちで、本当に調合が……」
イーヴァは自分がやらかしたことが原因で、学院内があまりにも大変なことになってしまっているのに、既に尻込みをしてしまっていた。
たったひとりを思っての行動が、これだけの規模の人々に迷惑をかけているというのに、良心の呵責で身動きが取れなくなっていたが。
それでもコリンナは彼女の手を掴んだ。
「大丈夫! ひとりでやるんだったら時間がかかり過ぎて、先輩たちの役に立たないかもしれないけど……三人でやるんだったら、なんとかなるよ! ルーサー、行こう!」
「うん。薬草は全部採ってきたから、あとは水さえあれば……」
「食堂に行こう! そこで調合も火も水も確保できるし!」
「……うん、行こう!」
既に食堂も戦場になってしまっているが、呪い避けの部屋で作業をするには、薬草が臭過ぎた。皆で手分けして薬草を抱えると、そのまま走り出したのだった。
****
食堂。
ジョエルは鉄のペンダントを指に引っかけて、ペンダントに魔力を注ぎ込んでいた。
ダウジング。元々水脈を探し当てるのに使われていた占いは、魔法が精密化されて以降は、索敵に使われるようになっていた。特に錬金術において、土地に刻まれた竜脈を探ることは必要不可欠な行為として、ダウジングはより一層研ぎ澄まされたものとなっていた。
そんなジョエルは、禁書から溢れ出た死霊の流れを探っていた。
「うん……下水道に集まっているね」
「ゲゲェ。あんなくちゃいところで戦うのなんてヤーダー」
ジョエルのダウジングの結果に、アイヴィーはへそを曲げたものの、自体はそれでは済まない。既にあちこちに配置された錬金術師たちにより索敵が済み、死霊と戦いはじめている。
アイヴィーは死霊対策として、既に召喚陣から魔道具を一式召喚しているものの、下水道に降りるのを嫌がった。それにジョエルは困ったように笑う。
「うーん、できれば俺も行きたくないけどさ、行かなかったらどうしようもないじゃない。それか図書館に行って直接禁書を封印する? そっちのほうがたしかに確実だけれど、今頃図書館司書も発狂しているんじゃないかな。禁書と禁書が反応して暴走しているだろうし」
「ううううう……そっちはもう、教授に任せたほうがいいじゃない」
「そりゃねえ。一冊二冊ならともかく、そう何冊もの禁書の暴走なんて、俺たちじゃどうすることもできないし。ああ、来たよ」
「オッケー」
途端に下水道から湧き出た死霊により、マンホールが浮かぶ。そこへアイヴィーは魔道具の極東札を貼り付けた。途端に死霊が音を立てて消える。その光景に、ジョエルは軽く口笛を吹いた。
「すごいね。なにを召喚したの?」
「極東の札よ。極東には、魔法で住んでいる人たち全員の健康管理をするほどの魔法使いたちが跋扈してたんですって。死霊も出たらさっさと祓ってたのよ」
「そりゃすごい……よっと」
アイヴィーの極東札から逃れるようにして出てきた死霊に、ジョエルのペンダントが突き進む。魔力を帯びたペンダントの切っ先は、死霊すら切り刻む。
しかし湧き出ているこれらをどうにかしないと意味がない中。
「すみません、ちょっと厨房借ります!!」
先程追い返したはずのルーサーが、女子生徒ふたりを伴って、大量の薬草を持って戻ってきた。それにアイヴィーが「こらー!」と声を上げた。
「戻って来ちゃ駄目でしょ!? 早く呪い避けの部屋に……」
「いやあ、君その子たちは? クラスメイト?」
「はい……コリンナとイーヴァです……」
金髪と銀髪という正反対の印象だが、姉妹のように似た雰囲気を漂わせているふたりは、揃って頭を下げると「すぐに聖水をつくって、アルマ先輩に届けます!」と言って、走って行った。
走って行った普通科三人を見て、アイヴィーが頭を抱えた。
「もーもーもーもー!! あの子たち守って戦わないといけないあたしたちの身にもなりなさいよー!!」
「ハハハハハハ」
「ちょっとぉ、なにがおかしいのジョエルは……!!」
「いやねえ……やっぱり俺はルーサーのことをまだ低く見積もり過ぎてたなと思って」
「……どういうことよ? あの子かなり普通の子じゃない。典型的な普通科の」
「そうかい?」
そう言いながら、ジョエルはペンダントでまたも死霊を薙ぎ払った。アイヴィーも極東札を貼り付けて回りつつ、彼のほうをじっと見る。
「こんな状態で普通なのは、まあ普通じゃないよねと思っただけだよ」
「だからぁ、もっとわかりやすく言いなさいよぉー」
「見たこともないものがうようよ跋扈している中、俺たちみたいにそういうものにばかり触れていた魔法使いだったらいざ知らず、魔法と縁遠い一般人は、平常心を保てないって話さ。でも彼はそうではなかったね?」
「……パニックに陥って、震源地に突撃するのは、平常心とは言わないわよ?」
「君も辛辣だねえ……手順の複雑なものを異常事態に見たとしても、熱に浮かされた状態だとまず無理だと判断して投げ出すんだよ。でもまあ、彼は」
ジョエルはそっと厨房に走って行った三人の方に視線を送った。
それぞれがアルコールランプ、調理器を出し、秤で薬草を計りはじめたのを見て、ジョエルは笑う。
「薬草園から採ってきたものは、全部俺が書いたものと一緒だったし、この状態できちんと計量してから聖水をつくろうとしている。もうそこまでできるのは一般人のくくりではないよ」
そう言いながら、ペンダントはまたも死霊を切り裂いた。
「魔法使いの領分だ」
****
墓地。
そこが火を噴き、その煙に巻かれながら、アルマは「なにか」と戦っていた。
アルマが火妖精の力を使って「なにか」を焼き尽くそうとするたびに、「なにか」が墓石を投げつけてくるので、彼女は避けるしかなかった。
本当なら熱くて喉が渇いているのだから、水妖精の力を借りて喉を潤したいのに、水では墓石は防げない。必然的に風で相殺して、直撃を防いでいた。
辺り一面焼けただれ、煙だってひどい有様だ。どうにかレーシーに墓地一帯を見張ってもらっているから、一般人が墓地にまで訪れていないが。
「なにか」が一体だからどうにかアルマでも食い止められるのだ。これ以上増えたら、彼女でも防ぎようがない。
「ほんっとうに……いい加減にしなさいよ」
そもそも妖精の力を重ねがけするのは、魔力が削られるのだ。これ以上の重ねがけは精神を蝕み、最悪廃人と化す。
だからアルマも火妖精と風妖精の力を重ねがけするに踏み留まっていた。
燃やそうとすると邪魔される。拘束しようとすると抵抗する。遺体を焼いて回ったのが幸いしたのか、これ以上「なにか」が増えないことだけは僥倖だったが。アルマもだんだん、煙に巻かれて熱で体が火照って、頭の回転が鈍くなっていることを実感していた。
(死霊祓いでもいたら、こんなの苦慮せず一発でおしまいだっていうのに)
残念ながらアルマは死霊祓いの素質はほとんどない。だからこうして苦戦を強いられているのだ。
死霊では妖精のような名付けがほぼ意味をなさない。妖精は名付けを行うことで力を失うが、死霊は元々人間なのだ。人間に名付けを行ったとしても、せいぜい返事をするのが関の山だし、そもそも「なにか」は本来のトールですらないのだから、名付けで正気を取り戻すという展開も期待できない。
だから風でかまいたちを起こして転ばせる。身動きしづらくする。
燃やそうとしても拘束しようとしても駄目なら、それくらいしか今のアルマにはできることがなかったのだが。
「うう……」
煙を吸い過ぎて、だんだん彼女も意識が朦朧としてきた。
(教授だったら……もっと上手くやれたでしょうに。私、駄目ね……)
魔力はまだ限界を迎えていないものの、彼女の肉体のほうが既に悲鳴を上げて、立っているのもおぼつかなくなったとき。
彼女は誰かの腕に抱き留められた。
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