夢の旅路はまだ遠く

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夢の旅路はまだ遠く

 アルマは夢を見ていた。  彼女にとって夢を見るということは、妖精郷へと渡る術を見つけるための手段であり、過去を振り返ることではないのだが。  翠色の瞳に涙をいっぱいに溜めて、必死で本を読んでいるアルマの姿があった。  同年代の魔法使いならもうわかることも、寝物語でメイドたちから聞かされるおとぎ話も、彼女にはわからず、魔法使いの家系の通う学校では、アルマは落ちこぼれだった。  隣に住んでいるジョエルだけは親切に面倒を見てくれたものの、彼は錬金術師で、自分は妖精学者の養子だった。あんまり一緒にいると、家に鉄を持ち帰ってしまい、テルフォード教授の持って帰ってきているサンプルを破壊してしまうので、できる限り彼とは要件だけ話すようになっていた。  それでも彼女にはなぜか妖精の言葉がわかったし、正確な発音で話すこともできた。妖精学から少しずつまた少しずつと勉強をしていって、学校を卒業する頃には最高成績を修め、彼女を落ちこぼれと言う者も、彼女をテルフォード教授の養子として見る者も、誰もいなくなった。  アルマには夢が、いや野望があった。  妖精郷へもう一度行きたい。自分が取り替えられたときになにがあったのかを知りたい。彼女は妖精郷に連れて行かれたはずなのに、なぜかなにも覚えておらず、彼女にとっての一瞬は人間界では一年だったという事実しか思い出せない。  大切な幼馴染に、自分のことを思い出して欲しい。  もう既にあの頃と自分はすっかりと変わってしまい、それは彼女の自己満足だとわかっている。あれだけ淡くて綺麗な想い出は、もう彼女の胸の中にしかないことはわかっている。家族に忘れられても、友達に忘れられても、町の人に忘れられても、もう仕方がないことだと諦めるしかなかったけれど、アルマはルーサーだけは諦めることができなかった。  妖精に人間の気持ちはわからない。  他のものは泣く泣く諦めることができたのに、彼だけは諦めきることができない。  アルマはもしかしたら、自分は妖精になってしまったのではないかと不安に駆られて、テルフォード教授に相談したことがあったが、優しい養父はあっさりと言った。 「君は間違いなく人間だよ。もし君が必死で執着しているものがあって、それは妖精とは違う別のものだよ」 「別のもの?」 「そうだね。もしそれがなんなのか気付いたら、お父さんに教えてくれると嬉しいな」  そう言って優しい養父が笑った。  もう会えないと思っていた幼馴染には、ひょんなことから再会した。彼にかけられた呪いを解いたり、校外学習で騒動に立ち会ったりいろいろあって、もうアルマにだってその感情がなんなのかは気付きつつあるが、認められなかった。 (こんな感情に、名前なんて付けられないわ)  自分の汚泥のようにこびりついた感情に、綺麗な名前なんて付けられないでいた。  やがて。彼女の夢がふつりと途切れたことに気付いた。  彼女を夢から呼び戻したのは、あれだけ目眩が起きて身動きが取れなくなったほどに熱かった体が触れた、ヒヤリとした感覚だった。 ****  食堂。  厨房の外では、激しい戦いが起こっている。  死霊が暴れ回り、それを魔法使いたちが必死で反撃していたのだった。  激しい音や光、使い魔のいななき。それらはコリンナの腕を止め、イーヴァの身が竦んだが。その中でもルーサーの腕はよどみなく動いていた。 「月桂樹の葉、ローズマリーの枝、ラベンダーの香油、バラの花びら、真珠の粉、妖精の鱗粉、人魚の鱗……」  精製水の中に入れられた材料を煮て、濾して、そこにクリスタルを砕いて投げ入れていく。甘い高級感漂う香水の匂いは、クリスタルにだんだん吸い込まれていき、色付いていたはずの液体が透き通って、もう水にしか見えなくなってきた。  最後にそこに攪拌機を通して魔力を混ぜ込んでいき、完成した。 「できた……」  ルーサーは出来上がった聖水を慎重に小瓶へと移し替えていった。 「あれだけ材料を抱えていたのに、出来上がったのが小瓶一本分だなんて」  イーヴァの言葉に、コリンナは「そうね」と苦笑する。 「でも、これでアルマを助けられる……僕、これをアルマに届けに行くから」 「箒!」  ルーサーが聖水の入った小瓶を制服のポケットに突っ込んだところで、コリンナはアルマから借りっぱなしだった箒を差し出した。 「これ……コリンナは飛べたけど、僕飛べるかな」 「気合いで飛んで! こんな状況で、聖水つくれたルーサーだったらいけるでしょ! 私たちだけじゃ、先輩に申し開きできなかった! これ返してきて」 「わかった」 「ルーサー」  そこで当事者……というより、今回の事件の犯人になってしまう……のイーヴァは声をかけた。彼女はすっかりと脅えきってしまい、それがルーサーには気の毒に思えた。  彼女はなにも、死んだ人を生き返らせたい訳ではなかった。ただ死んだ人に、最後に自分の想いを伝えたかっただけで、それでよかった。学院ひとつを巻き込む気なんてこれっぽっちもなかったというのに。  イーヴァはなにかを言いかけて止まってしまったのを見て、ルーサーはやんわりと言った。 「多分アルマはそんなことじゃ怒らないよ。彼女、優しいから」 「……謝って済む問題じゃ、ないのに……」 「大丈夫だよ、イーヴァが申し訳ながっていたって伝えれば、きっとわかってくれるから。じゃあコリンナ、箒ありがとう。アルマに返してくるよ」 「頑張って!」  イーヴァは心底申し訳なさそうに所在なさげに、コリンナは元気よく声援を送る中、ルーサーは箒に乗った。  今まで魔道具を使っていた先輩たちのことを必死で思い出しながら、魔力を箒に流し込む。 (お願いだ、アルマがたったひとりで戦っているから……せめて、聖水のひとつくらい届けたいんだ……!!)  必死で飛ぼうとしているルーサーの元に、死霊が飛んできた。が、それはすぐに銀色のテグスで弾かれて爆ぜてしまった。  ジョエルだった。 「行っておいで」 「……ありがとうございます!」  箒に魔力が満たされる。ルーサーの体重ひとつを丸ごと抱えて、しがみつく彼を墓地へと誘っていった。  それを見送りながら、ジョエルは軽く口笛を吹いた。それを極東札を貼りながら、心底アイヴィーは呆れ返った顔をして見つめている。 「……本当に、聖水をつくったっていうの? この状況で普通は集中できないわよ?」 「アハハハハ……本当に、アルマが彼のことを大好きな訳だよ」 「どういうことよ?」  スパンッと音を立てながら、極東札を貼られた死霊が消滅していく。ルーサーが飛んでいった先を見つめながらジョエルは目を細めた。 「彼女、多分最初は彼に忘れられたことにショックを受けていたんだと思うよ。俺が知っている限り、彼女泣きべそ掻きながらずっと机に齧り付いて勉強していたし。テルフォード教授すら到達できていない妖精郷の往復を目標にしている時点で、彼女もどうかしてるんだから」 「はあ? 話が飛び過ぎて意味がわからないんだけど」 「ルーサーもアルマと同じだ。一度目標を決めたら、脇道逸れずに真っ直ぐに突き進むんだよ。魔法使いなんて、たいがいそんなもんだ。ふたりとも、魔法使いの家系出身でもないのに、考え方がとことん魔法使いに向いているんだよ」 「まあ……理屈はわかるけど。要はふたりとも似たもの同士ってことね?」 「そうだね。そういうことだ。それに、あそこのふたりも」  そう言いながらジョエルは必死に呪い避けの部屋まで逃げようとしているコリンナとイーヴァを見た。  迫り来る死霊に、コリンナは必死で手先に魔力を込めて、ビンタしたのだ。彼女はイーヴァの手を繋いで必死に走っているため、自分がどれだけすごいことをしたのかわかっていない。  それをコリンナは「あー……」と声を上げた。 「今年の普通科どうなってるの。あの子完全に死霊祓い向けじゃない」 「そうだね。そろそろ普通科も転科相談が出回る頃だけれど、彼らがどこの学科に移るのか楽しみだよ……うん。そろそろ禁書棚に教授たちも到着しただろうから、死霊だらけもそろそろ落ち着くね。あとは、アルマのほうか」 「まっ、ルーサーが間に合ったらどうにかなるでしょ。あの子もルーサーがいたら、多少は無茶を控えるから」  家業を継ぐために魔法使いになる。それが基本的な魔法使いの考え方なため、好きなことを成し遂げるために魔法使いになる。向いていることをするために魔法を学ぶ。それは彼らにとっては羨ましいことであり、眩しいことだ。  好きなことを好きなようにする。それの難しさは、誰もが知っていることなのだから。 ****  箒にしがみついて必死でルーサーは飛んでいた。  やがて、黒煙が立ち上っているのが目に入り、墓地がすごい勢いで燃えているのが見えた。 「うう……これって……」  できる限り黒煙を吸わないようにと、ローブを口元まで引き寄せたルーサーは、視界が最悪な中、必死でアルマを探した。やがて。  その黒煙で満ちた大気の中で、炎とは違う輝きがあることに気付いた。アルマの使い魔のレーシーだ。 【──……】  なにかを言っているが、残念ながらルーサーにはレーシーがなにを訴えているのかがわからない。ただルーサーは思ったことを口にした。 「アルマは? アルマの元に行きたいんだ」 【──……!! ──!!】 「こっちへ来いって? 教えて」  レーシーは羽を羽ばたかせてルーサーの裾を掴むと、箒の先端に止まって指を差してから、飛んでいった。ルーサーは黒煙の奥底へと箒を飛ばしていった中。  大量に割れた墓石、暴れ怒る人の形を取ろうとした得体の知れない「なにか」と対峙しているアルマの姿が見えた。これだけ黒煙を被っても、炎にまみれても、彼女は風と炎を纏って空を飛び、必死で抵抗しているようだった。  腐臭の漂う「なにか」を見て、ルーサーは先程つくった聖水の小瓶を手に取った。 「……チャンスは一度だけだ」  たったひと瓶しかつくれなかった以上、これを使って倒すしかない。たったこれだけの聖水で足りるかはわからないが。  普段妖精相手には圧勝しているアルマだが、「なにか」との戦いは不得手なのだろう。彼女は顔を真っ赤にさせて、ふらつきながらも、それでも懸命に戦っている。これ以上彼女を戦わせることはできなかった。  ルーサーは聖水の小瓶の蓋を取り、小さく言葉を唱えた。 「水は火を消し、火は風で燃え上がり、風は土を割り、土は水を吸う……水は輪廻のはじまりで終わり」  授業で習いたての魔法であり、持っている魔道具の力をほんの少しだけ増幅させるもの。元々足りない力を、魔力で補うもの。  今はそれこそが必要だった。  ルーサーは「なにか」に聖水を振りかけた。 「────…………!!」 「なにか」は声ではない声、音ではないなにかで大気を震わせてから、消滅した。  それと同時に、アルマがよろめくのが見えた。  それに慌ててルーサーは箒を飛ばすと、タイミングよく彼女を抱き留めたのだ。  普段は頼りになるのに、彼女はあまりにも軽い。 「……ごめん、アルマにばっかり頼って」  どれだけ頼りになる彼女でも、ルーサーの中では霧がかって思い出せないけれど、たしかに約束をしたはずの、女の子だった。  その記憶は全て妖精に塗り替えられてしまい、本当の記憶じゃないのが、ただただ悔しい。
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