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そして学院の日々は続く
あの一件から数日が過ぎた。
オズワルドはあまりにもいつも通りの光景が広がっている。
石化した妖精が何日もかけて崩れたのと同じく、騒然としていたのも最初の二日ほどで、すぐに日常へと戻ってしまった。
アイヴィーは相変わらずクーシーを足下に連れて召喚科で魔道具の召喚に明け暮れているし、ジョエルは錬金術で今日も鉄の匂いを纏わせている。他の校舎、他の学科でも、いつも通りの授業が行われているようだった。
オズワルドではたびたび騒動が起こる。魔道具の暴走だって、古代魔法の復活だって、妖精のやらかしだって、一般人からしてみれば非日常でも、魔法使いたちにとっては日常だ。死霊が学院内を蔓延したのだって、最初の二日こそ祭りのような空気だったものの、結局は「いつものこと」で済まされてしまったのだ。
起こした張本人にとっては切実な問題ではあったが、魔法使いたちにとっては「よくあること」とひとくくりにされてしまう。本人としてみればたまったものではないだろうに。
騒動の発端となったイーヴァはというと。
彼女は学院内で起こった騒動で申し訳なくなり、学院に自首した。
優等生でもなければ講師、教授でもないのに禁書棚に入った彼女は、こってりと絞られた。彼女は反省文を羊皮紙十枚を書いてどうにか釈放されたが、反省室に閉じ込められている間にヘロヘロになってしまっていた。
禁書棚の様子は、前にも増して図書館司書の監視が強くなった。今では優等生でも、教授の許可証がない限りは棚に近付くことも閲覧することもできなくなっているらしい。
そのことをルーサーはアルマに言うと、アルマは「そう」とだけ答えた。
墓地から連れ帰ったアルマは、ひと晩寝込んだだけで、もうケロリとして個室で元気に論文を書いている。抱えている間体重が驚くほど軽くぐったりとしていたというのに、すっかりと森の賢者の風格を取り戻してしまっていた。
栗色の髪、森の賢者を思わせる翠色に瞳、いつも通りのアルマであった。
あまりにもいつも通りだったのでルーサーは拍子抜けしながらも、彼女が出してくれた紅茶を飲みながら、話を続けた。
「僕はイーヴァはもしかしたら退学になるんじゃ……と心配してたんだけど、反省文だけで済んだんだねえ」
「というより逆よ、逆。学院の生徒だからこそ、反省文だけで済んだのよ」
アルマはゆったりとカップに口を付けてから、教えてくれた。
「一般人に魔法を教えるのは、魔法の危険性を覚えて帰ってもらうこと、禁術法に引っかかるような魔法に近付かないように自衛手段を持ってもらうためだもの。学院内に普通に禁書があるんだから、どこかで絶対にそれに関わることになるんだもの、当然でしょう?」
「そういえば、前も禁書棚に入ったところで怒られるだけだって言ってたけど……そういうことだったんだね」
「ええ。それで、今日の用件はイーヴァの報告だけだったのかしら?」
アルマに尋ねられ、ルーサーは「ええっと……」と口にした。
今日、アルマの個室にお邪魔したのは、彼女のお見舞いだけではない。普通科のその後についての報告もあった。
「普通科だと、そろそろ転科の話があるけれど、イーヴァはもうしばらく残ることになったんだ。まだ彼女も好きな人に告白したいっていうのを諦め切れてはいないんだけどね」
「あら……死霊だけじゃまだ足りなかったかしら?」
そもそもの発端は、イーヴァの死んだ幼馴染の未練から来たものだったが。
アルマが首を傾げていたら、ルーサーが「うん」と答えてくれた。
「どちらかというと、彼女は多分占星術のほうに進むんじゃないかな。さすがに彼女も怖かったみたいだし、見知らぬ先輩と好きな人の遺体が戦うっていうのを見せられて、相当反省したみたいだから、別の方向で死者と対話する方法を探してみると」
「そう……」
「あとコリンナは、解呪師の勉強をはじめるって。呪術科のほうに転科が決まったんだ」
「あらあら……彼女は向いてると思ったわ」
そう言ってアルマが顔を綻ばせるのに、今度はルーサーは首を捻った。
「そうなの? たしかに彼女、死霊だらけの中、イーヴァとふたりで呪われることもなく呪い避けの部屋まで逃げ切れたとは聞いていたけど」
「だって、あなたにかかっていた妖精の呪い、彼女には全く効いてなかったじゃない。彼女、解呪の才能があったんだわ。だから死霊祓いができた」
「あ、ああ……」
アルマに指摘されて、ルーサーは納得した。
正規の魔法使いたち以外が軒並み効いていた妖精の呪いに、一般人のはずのコリンナだけ全く効かずに普通に接していた。彼からしてみると、呪いにかかって追いかけてくる女の子たちが怖過ぎる中、数少なく普通に安心してしゃべれる子だったから、それには納得できた。
「そういえば、ルーサー。あなたは結局もう転科するの? しないの?」
「ええっと。一応転科届はもう書いたんだ。あとは教授に出せばいいだけなんだけれど」
「どこに?」
アルマが首を傾げていたら、ルーサーは自身の制服のポケットに入れていた折り畳んだ転科届を見せてくれた。
それを見て、アルマが何度目かの「あら」という声を上げた。
「魔女学科にしたの……」
「うん」
魔女学。もっとも古典的な魔法を学ぶ学問であり、今だとそのほとんどは古びた魔法使いの家系の人間ばかりが、大して新しくもない魔法を捻り出している。
あまりにも意外な転科に、アルマが目をパチンとさせている中、ルーサーは笑みを浮かべた。
「本当は僕も妖精のことについて学びたかったんだけれど、なかなか嫌悪感が拭えなくて……」
「仕方ないわね、あなた長いこと呪われてたんだもの。苦手になってもしょうがないわよ」
「でも、君のことをもっと知りたかったんだ。だったら、古典的な魔法から知るのがいいんじゃないかと思ったんだ」
それはルーサーにとっては当然のことだった。
魔法使いたちは、非常事態に慣れているが一般人はそうじゃない。
魔法使いだと当たり前に知っている基礎教養も知識も一般人には欠けている。だからこそ、オズワルドのような魔法学院が存在するのだし、ルーサーもそこに通っているのだから。
だからこそ、魔法使いになったアルマのことは、ルーサーからしてみると遠くて手の届かないところに行ってしまうんじゃという錯覚に陥るが、しゃべると彼女はあまりにも彼女なのだ。
一般人ではない。魔法使いでもない。万能ではないけれど、賢者になりきれない女の子。
つくづく「なにか」と戦う彼女を見て思い知ったのだ。ルーサーは彼女にばかり頼るのは駄目だと。でも彼には彼女を助けるためのなにもかもが足りない。
だからこそ、勉強でそれを補おうと、そう思ったのだが。
彼の率直な言葉に、アルマはポカン、と口を開いた。普段冷静な彼女があまりにも呆けた顔をするので、ルーサーは慌てて手を振る。
「だ、駄目だったかな……!? ごめん!」
「駄目なんて……駄目なんて言ってないでしょう?」
普段は冷静に言葉を紡ぐ彼女の声が、乱れている。そして、彼女は本当に珍しく殊勝な声を上げた。
「……私、あなたの知っていたラナでは、もうないわよ?」
「うん。知ってる。だって僕も、君とのことを全く思い出せないもの」
「……そうね、それは仕方ないわ。取り替え子の記憶の上書きはどうやって解除すればいいのか、未だに研究が続いているもの」
「でも、アルマのことは、オズワルドに通っていたら知ることができるだろう?」
ルーサーの言葉に、アルマはまた虚を突かれたように口を大きく開いてから、やっと笑った。それは普段よく見る理知的な笑みではない。
もっと少女のような……かつてラナと名乗っていた頃のような、あどけない普通の女の子の笑みだった。
「……そうね」
****
かつてラナ・プラムローズという少女がいた。
幼馴染とネモフィラの花畑で結婚の約束をするような、少しませているだけの普通の少女。
それは妖精の取り替えにより脆くも崩され、日常も、家族も、友達も、なにもかもが奪われてしまった。
たまたま出会った妖精学者のテルフォード教授に拾われ、彼女は新しくアルマ・テルフォードになった。
なにもかもを奪われた彼女は、魔法使いになった。
一般人には程遠く、魔法使いにはまだ及ばない、中途半端な存在。
それでも彼女には今、友達がいる。居場所がある。──好きな人がいる。
彼女の愛しい日々は、これからも続く。
第一部<了>
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