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エインセルの物語
ひとまずアルマとルーサーは、家族で住んでいる民家を中心に回った。
しょっちゅうオズワルドの学生たちが通っているせいか、礼儀正しく接すればどこの家も親切だった。
ときには焼きたてのビスケットやスコーンを分けられ、ストーブの前で話を語ってくれた。
「この辺りではエインセルの話は寝かしつけに使うものなんですよ」
「そうだったんですか?」
ルーサーはあのエインセルの親子のことを思い返し、素っ頓狂な声を上げる。それに語ってくれた女性は「ええ」と笑う。
ふくよかな女性の胸には、三歳ほどの子供。遊びたい盛りだが、雪の積もる外ではなかなか遊び回るにも難があり、こうして家の中に篭もりっきりで、拗ねて昼寝をしてばかりだった。
「はい、エインセルに会ったら『エインセル』と返して家に帰らないといけない。もしも返事を怠り、家に帰らなかったら、エインセルの母親に殴られても仕方がないと、そう子供に言い含めるんです」
「なるほど……」
ルーサーはメモを取り出す。どうもこの辺りの人々は、エインセルが人を燃やすところまで怒らせることがないようだった。
アルマは「最後に」と尋ねる。
「これって知らない人の場合はどうなるんですか?」
「そうですねえ……外から来る人は、なかなかエインセルの逸話を知らない方もいらっしゃいますし、ときおり呪い避けの小屋にまで運ばれていってしまう方もいらっしゃいますね。それを見せて、子供たちにはああなったらいけないって教えるんです」
「なるほど……ありがとうございます」
そうお礼を言ってから、アルマとルーサーは宿へと戻る。
「なんというか……村の人たちは普通に知っている話だけれど、どうして外の人たちにわざわざ教えなかったんだろうね? エインセルの注意事項を教えていたら、彼らは燃やされずに済んだんじゃ」
「おおかた、村人だってそこまで悪い人間じゃないわ。礼儀がしっかりしている場合だったら、普通に親切に教えてくれたでしょう? 私たちだって外から来た人間なのに逸話集めに協力してくれたし」
「そういえばそうだね……ならあの人たちは……」
「ここに住んでいる人たちを怒らせてしまったから、教えてもらえなかったんでしょ。彼らからしてみれば、この村は遊び場で、村人たちは自分たちをもてなさないといけないって、人間扱いはしていない様子だった。だからしっぺ返しを食らったのよ」
「なるほどなあ……でも、アルマ」
「なあに?」
「妖精って、妖精郷にいるのと、普通に地に根付いているのといるって教えてくれたけど。結局アルマは、地に根付いている妖精に対しては甘いの?」
話を聞いていても、アルマは妖精郷にいる妖精は絶対に殺そうとするが、エインセルに対しては殺意も悪意も向けなかった。前にも尋ねた質問だったが、ルーサーにとっては重要な話に思えた。
ルーサーに尋ねられて、アルマは栗色の髪に少し指を突っ込んだ。
「そうねえ……甘くはないと思う。ただ、妖精郷の妖精たちと違って理屈がわかるから」
「理屈……」
「妖精郷の妖精たちは、基本的に自分たちが気持ちいいことしか考えてない。だから人間界に現れたとしても、他人の人生を弄んだり、それが原因で不幸な人が増えたりしても、本当になんとも思わないわ。でも、地に根付いた妖精は違う。彼らは彼らの理屈に沿えば、特に攻撃もしてこないし、特に目立った悪いこともしないもの」
「なるほど……」
魔の法律を押しつける。それが魔法使いだとジョシュアからルーサーは教えられた。
法が通じる相手にとっては魔法使いはある程度温厚に対処できるが、それが全く通じないから、無理矢理押しつけて屈服させないといけないのが妖精だ。
エインセルと仲良く生活できているとは、ルーサーもお世辞にも思わない。ただ、この地に根付いているあの親子妖精は、確実にこの地の治安維持に役立っている。おそらく共生というのはこういうことを言うのだろう。
「まだまだ知らないことばかりだなあ……」
ルーサーのポツンと漏らした言葉に、アルマはクスリと笑う。
「いいじゃない、ルーサー。あなたには今、伸びしろしかないのだから」
「そうかな。皆に追いつけるかな」
「あら、追いつきたいの?」
「うーん、どうなんだろう?」
ルーサーはオズワルドに入学するまでは、まだなんにも成していない人間だった。オズワルドに通って、それからどうなりたいのかは、あまり考えてはいなかったが。
アルマはおそらくはこのまま妖精学に身を投じて、妖精郷の探索に人生を注ぐ。その隣に立つにはどうしたらいいだろうと、ルーサーも自然と背筋を伸ばして考えはじめたのだった。
「まず、僕は根本的に知識が足りないから、魔女学でもっと魔法を知らないといけない」
「そうね」
「それから、君の役に立つことを考えないと」
「あら? 私はルーサーについて、役立つ役立たないで考えたことなんかないけれど」
「……え?」
ルーサーは思わずアルマを見ると、アルマはほんのりと頬を赤く染めていた。なにも寒さのせいで血行が集中しているだけではないだろう。
「……私は、一緒にいてくれるだけで、それでいいから」
「……うん」
アルマの人生を思えば、ルーサーの悩みもちっぽけかもしれないが、おそらくはアルマはそんなこと思わない。
どうしたらふたりで歩いて行けるか、オズワルド卒業までに考えないといけない。
手はじめにフィールドワークのレポートを書き上げながら、ルーサーはそう考えるのだった。
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