取り替え子の成れの果て

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取り替え子の成れの果て

 アルマ……ラナは、幼少期、ごくごく普通の少女であった。  特に美しいと持てはやされることもなく、特に可愛いと評判でもない。ただ、普通に家族に愛され、友達に恵まれ、町で暮らす一般市民としては、ごくごく平凡ながらも温かい環境ですくすく育っていたが。  それは唐突に。それこそ花畑で花を摘むようにあっさりと。終わりを迎えた。 「イーチ、ニー、サーン……」  かくれんぼうをしている。どこかに隠れないと。ラナは栗色の髪を揺らして、鬼のルーサーから隠れていた。森の茂みで、ただ座っていた。  彼はいつか見つけてくれるだろう。幼馴染の男の子と一緒に遊ぶお転婆でどこか甘えた少女。それが当時のラナであった。  しかし、待てど暮らせど、ルーサーだけでなく、友達が誰ひとりとして探してくれない。 「あれ? 皆?」  どうして誰も探してくれないのだろう。いい加減座り疲れたラナは立ち上がったが。そのとき、なにか光るものが通り過ぎていったのが見えた。 【────……】  羽音と一緒になにかが聞こえる。しかし当時のラナにはなにを言っているのかがわからなかった。ラナは歩き回ったが、なにもわからなかった。  そのとき、ラナの感覚では、数刻ほどしか歩き回っていない感覚だったのだが。  おかしいと気付いたのは、彼女が歩き回ってしばらく経ち、やっと森から抜け出したときだった。  普段見慣れているポプラの木の葉の色がおかしいことに気付いた。春は柔らかな緑色をしているはずなのに、秋のように鮮やかに色を染め上げている。 「え……?」  彼女はびっくりして、町へと駆けていった。  なにかがおかしい。なにかが違う。先程まで春の光景だったはずなのに、町の少女たちは収穫祭の話をし、並ぶ屋台は秋の果物を売っている。おまけに。 「ラナ!」  名前が呼ばれ、驚いて振り返ったが。  ルーサーは見たこともない少女と一緒に歩いていたのだ。  美しい銀髪に、夕暮れの紫を嵌め込んだ瞳の美しい少女は、とてもじゃないが人とは思えなかった。 「ルーサー!」  ラナは思わず呼び止めるが、驚いたように彼は振り返ったものの、困った顔をして彼女を見ていた。 「誰?」 「え……」  いつものルーサーの声色ではなかった。本気で困っているような、よそよそしい色。困り果てているルーサーに隣の少女は不思議そうな声をかける。 「知り合い?」 「ううん……初めて会ったと思う」 「人違いですよ?」  彼女はそう言って、ルーサーと一緒に立ち去ってしまった。  ラナはそれを愕然として見送っていた。  家まで帰って、ドアに手をかけようとしたとき。家族には驚かれてしまった。 「どこの子だい? ここは君の家じゃないよ?」 「え……だって……私の家で……」 「違いますよ? あなたは誰? 迷子なら、自警団に届けないとね」  両親はふたりとも、他人の子のように接する。  ラナはびっくりして家を飛び出してしまったが。誰もかれもが、ラナに対してよそよそしい態度を取る。  お使いで出かけたことのある店主も。隣のお姉さんも。自警団のおじさんたちも。  皆が皆、ラナを迷子だと思って、親切に家に送り届けようとするものの、ラナの家族は知らないと言うのだから、もうあそこに戻ることはできない。 「ヒッグヒッグ…………」  とうとうラナの涙腺は決壊した。  少しかくれんぼしていただけだというのに、季節がいきなり変わったり、自分のことを誰も知らないと言ったりする。いったいなにがどうなっているのか、彼女にはさっぱりわからなかった。  逃げ回って気付けば町を離れてしまった。彼女はなにも持っていないのだから、野宿することもできない。そしてもうすぐ日が暮れるというのに、ご飯だってない。涙だって、さんざん泣いたせいでもう枯れてしまい、目がしぱしぱする。  彼女は途方に暮れて、森を彷徨っていると。柔らかな匂いが漂ってきて、驚いてその匂いのほうへと歩いて行った。その匂いを漂わせていたのは、森の少し拓けた場所。そこに木を組んで焚き火をしている大人がいた。漂っていた匂いは、焚き火でなにかを焼いている匂いだった。白いものが棒に刺さっている。 「よしよし、そろそろ焼けたかな……おや、お嬢さんこんばんは。迷子かな?」  そう優しく声をかけられた途端に、ラナは返事の代わりに「グー」と腹の音を鳴らしたのだ。途端に彼女は顔を赤らめさせた。  親切な男性は、そのままラナに焚き火で焼いていたなにかを差し出してくれた。 「お腹が空いているのかな? 迷子……にしては様子がおかしいね?」 「どうして?」 「途方に暮れた顔をしているからね。よかったらお食べ。お腹が空くとろくなことを考えないからね」  焼いたそれは、ひと口食べると伸び、蕩ける。「焼きマシュマロは初めて食べたのかな?」と教えてくれた。その優しい甘さにほっとし、気が緩んだのか、またもラナはポロポロと涙を溢しはじめた。 「みんな、私のことを知らないって言うの……お父さんもお母さんも、私のことを知らないって」 「おや。どうしてかな?」 「私が……いけないのかな……かくれんぼうで隠れてたけど……誰も探しに来てくれなかったの。おかしいな、変だなと思って、出て行ったら……春だったのに、秋に変わってて……みんな……」  ラナは泣きながら、自分に起こったことを一部始終話した。  自警団の大人も、町の人々も、親切だったがラナの言葉を本気には捉えてくれなかった。しかし、目の前の大人は黙って彼女の訴えを聞いたあと、「ふむ」と言いながら、小瓶からなにかをラナに振りかけはじめた。 「……ふむ。やっぱり。君は妖精に連れさらわれていたんだね」 「え……?」 「ほら。これは妖精の鱗粉を調べる薬なんだけれど、君には鱗粉がたっぷりかかっている。火に照らしてごらん。発光しているだろう?」 「あ……」  大人が振りかけた薬のせいで、ラナはすっかりと発光した粉まみれになっていた。 「……みんなが私のことを忘れちゃったのって」 「おそらくだけれど、妖精に連れさらわれたときに、君は妖精に成り代わられてしまったんだね。誰か君以外で君の名前を呼ばれていなかったかい?」  そう尋ねられ、ラナは自分の代わりに明らかに人離れした少女が、さも昔からいたかのように町に溶け込んでいた事実を思い出す。  彼女は小さく頷くと大人は言った。 「取り替え子は、妖精の元から人間界に戻ってきても、いきなり家族の元に戻っていっても周りに忘れられてしまっているから、なかなか元のように戻れない。君の場合もおそらくは」 「私……もう帰れないの?」 「そうだね……うちにおいで」 「おじさんの元?」 「そうだよ。おじさんは、これでもすごい魔法使いなんだよ」  そう言いながら、大人はようやく名乗りを上げた。 「私はジョシュア・テルフォード……ちょっと妖精に詳しい魔法使いだよ。君が元の家族の元に戻れるかはわからないけれど、君が自分のことを守る方法は教えてあげられると思う。でもそうだね……君にも名前が必要になるだろうね」 「私、ラナよ? ラナ・プリムローズ……」 「その名前は、妖精たちに知れ渡っているから使っちゃ駄目だ」 「どうして……?」 「君は妖精に好かれやすい。だから君は連れさらわれて、君が思っているよりも長いこと閉じ込められていたんだから。だから名前を変えて生活なさい」  こうして、ラナはラナではなくなった。  ふたりで名付け辞典を見て、ぱっと出てきたアルマを、彼女の新しい名前とした。  アルマ・テルフォード。新しい名前を得て、天下の妖精学者の元に引き取られた彼女の往き道は、並大抵のものではなかった。  魔法使いたちが当たり前に知っていることを、引き取られたばかりの彼女は知らない。あちこちに飛び回る魔法や呪いの対処法がわからない。  なによりも彼女は、妖精に好まれるような魔力をうっすらと持っていたのだから、妖精に再びさらわれないように、妖精よけのアイテムを身につける必要があった。  普通の町で幸せに暮らしていた朗らかだった少女は、だんだんと笑わなくなっていった。  必死で勉強し、中等部に上がる頃には、どこの魔法使いの子息でも身につけていないほどの知識を蓄えていた。そして彼女は、自分に成り代わった妖精の殺し方について、模索するようになった。  テルフォード教授は、何度も彼女に口酸っぱく言った。 「妖精は人の想い出を乗っ取って、人ひとりをいなかったものにしてしまえる。殺したところで、奪われたものが元に戻るかはわからないよ」  そんなことわかっていた。  チーズを溶かしたところで、元のおいしい牛乳には戻らない。  それでも納得できなかった。  名前も、家族も、故郷も……好きな人も奪われてしまったのに、そこにのうのうと暮らす妖精を、許すことなんてできなかった。  だから彼女は、オズワルドに入学し、個室を借りれるほどに優秀な成績を修めるようになった矢先。、新入生の中に、かつての幼馴染と一緒に、宿敵が紛れていることに気付いたとき、彼女は運が自分に味方したのだと思い至った。  戻ってこなくても。返してもらえなくても。奪われたものを全部奪い取ることはできる。  ──取り替え子のなれの果ての人生は、それはそれは悲惨なものだと、彼女だって知っていたが、諦められるほど達観することもできなかったのである。 ****  ルーサーは、驚愕した顔でアルマを見ていた。  アルマは唇を動かすと、ラナはビクン、と身を震わせた。 【ラナ・プリムローズなんて名前、あなたにはもったいないわ】  妖精言語を、妖精にはくっきりと聞き取れるほどに、アルマは流暢に操る。 【──。あなたにはそれがお似合いよ】 「ああっ……!」  アルマがそう告げた途端に、ラナの体は強張った。ルーサーは驚いて彼女を見つめる。  ピシピシ。どんどんと彼女の皮膚が変色していくのである。それは、土の色をした……いや、彼女がどんどん、石に変貌していくのである。 「あの、アルマさ……いや、ラナ? いったいなにを……」 「妖精を殺すにはね。名前を付ければいいの」 「え……?」  ラナは助けを求めるように、ルーサーに手を伸ばそうとするが、彼女の動きよりも石化のほうが早い。やがて、彼女は完全に石像と化し、沈黙してしまった。  ルーサーは、唖然と石化してしまった彼女を見つめる。  それに対して、アルマは冷たい視線を送る。 「妖精に名前を奪われたから、名前を奪い返した……それだけ。妖精に名付けをしても、ただ名前を付けるだけじゃ、死なないわ。妖精言語ではっきりと付けない限りは」 「……殺す必要は、あったんですか?」 「……そうね、ないわ。私がすっきりしたかっただけだもの。でも、なにも返ってこないわ」  アルマは今、目の前で少女が石化したというのに、平然とした顔をしている。  ルーサーは困り果てた顔で、彼女の横顔を見ていた。彼女があれだけ妖精についての見聞を深めているにもかかわらず、妖精に対しての愛着が全くない理由が、やっとわかったような気がする。  ……彼女は、奪われたものを取り戻せないとわかっていてもなお、復讐に走ったのだと。  アルマはぽつんと漏らした。 「……私、思い出せないもの。一年間も妖精郷に連れ去らわれていたはずなのに、いったいなにをしていたのか」 「……ラナは、本当に、妖精にさらわれて?」 「さあ? 教授がそう教えてくれたけれど、全く覚えていないの。なにがあったのか。でも私、妖精の言葉をはっきりとわかるし、真似してしゃべったら驚かれたわ。私だって、さらわれる前は妖精の言葉なんてわからなかったのに……最低でも一年は妖精と接しなければ、そんなことできないと。私、やっぱり妖精郷に行かないといけないみたい。あと、ルーサー。言っておくけど」  アルマは目を細めて、彼にきっぱりと言った。 「ラナはもういないの。今の私は、アルマ・テルフォード。妖精学者の娘で、妖精嫌いの魔法使い……あなたももう二度と妖精に目を付けられたくなければ、せいぜい勉強することね」  そう言い捨てて、彼女はルーサーを置いて立ち去ってしまった。  ルーサーはその場で立ち尽くし、かつて好きだったはずの少女が石化したのを見つめていた。それは少しずつ崩れていることに気付く。  本当だったらもっと悲しまないといけないはずなのに、悲しめない事実に気付き、ルーサーは愕然としていた。 「……どうして、こうなったんだろう」  ルーサー・サックウェルには好きな女の子がいた。  よく笑い、よく心配し、少々上から目線だった女の子。  しかし、ひとりは石化し、崩れて消えかかっている。もうひとりは、名前も立場も捨て去り、家族や知り合いからも忘れら去られてしまった。  ルーサーだって、彼女のことを全く思い出せないのだ。このいきなり襲いかかってきた喪失とどう向き合えばいいのか、今の彼にはわからないでいた。
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