リコヌクレイクの校外学習

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リコヌクレイクの校外学習

 アルマが自身の名前と人生を奪った妖精と対峙して、既に一週間が経過した。  妖精の出現に石化。一時期は騒然としたものの、魔法に関するトラブルが起こるのはオズワルドでは日常茶飯事だった。沸き立ったのは最初の三日間だけで、すぐにその話は鎮火してしまった。 「あらまあ……まさか一緒に歩いてた後輩が、あなたの幼馴染だったなんてねえ。ねえ、ジョエル、あなた知ってたの? そのこと」  食堂で不機嫌にミルクスープを飲んでいるアルマを前に、アイヴィーはいつものようにフィッシュアンドチップをジンジャーエールとセットでいただきながら尋ねると、ジョエルは「ははは」と笑う。こちらはブラッドプディングをスプーンですくっているところだった。 「知ってた……と言いたいところだけれど、テルフォード教授がいきなり平民の女児と養子縁組して、隣に引っ越してきたくらいしか知らないかな」 「ふうん……でも、幼馴染に自分が本物だって知らせてどうだったの?」  アイヴィーに話を振られたアルマは、いつにも増して愛想がない。 「……別に。ただ可哀想ねって思っただけだわ」 「可哀想って……あのルーサーって子?」  アイヴィーに尋ねられ、アルマは頷きながら、ミルクスープにパンを浸した。それを咀嚼する。 「可愛い幼馴染だと思っていたのが、実は自分に呪いを掛けた張本人の妖精であり、本当の幼馴染は可愛げのない私だったなんて、可哀想以外になにが言えるの」 「……普通ここ、もうちょっと自己憐憫に浸るところじゃない?」  妖精の取り換え子の結末は、大概は悲惨なものである。アルマのように復讐に走れるほど知識も能力も得られるのはごくごく稀な話であり、そのほとんどは教会に押し込められて、全てを奪われた人生を呪いながら一生を終える。  だから自己憐憫に浸ることなく、ふてぶてしいアルマはそもそもおかしいのだ。 「別に妖精を殺したことについては、私なんの後悔もないのよ。すっきりした」 「そこまで言い切れたんじゃねえ」 「でも、なにも返してもらえなかったもの。ルーサーは相変わらず私のことを思い出さないし、私だって一年も妖精郷にいたはずなのになにも思い出せない。ただ元凶を殺せただけで、なにも終わっちゃいないのよ」  アルマはそう言いながら、小さくなったパンのかけらを口に押し込むと、一気にミルクスープで流し込んだ。それを眺めていたアイヴィーが「まあ……」と言う。 「それは、ルーサーに伝えてあげるべきじゃないの? あれからしゃべったの?」 「いいえ、ちっとも。普通科は普通科の授業があるし、私は私の課題があるもの。いちいちなんの用もないのに、会いに行く必要はあるの?」 「友達に会いに行くのに、いちいち理由って必要?」  アイヴィーに言われて、アルマは言葉を詰まらせる。彼女の態度に、隣でブラッドプディングを食べていたジョエルはニヤニヤと笑った。 「俺も会いに行ったほうがいいと思うけどなあ。君、興味がない人間についてはすぐ忘れるのに、珍しく長ったらしい言い訳垂れ流してるの、気付いた?」 「…………っ」  アルマは皿の残りを全部食べ終えると、さっさと食器を片付けに向かう。 「……からかわないで」 「はいはい。でももうちょっとしたら、全科全学年合同の課外学習でしょう? 顔を合わせたら気まずいだろうから、どうにかしたほうがいいと思うけど」 「考えておく」  それだけ言って、ふたりを置き去りにして食堂を出た。 (本当に……こっちの気も知らないで)  実際にふたりが心配して気を利かせてくれているのはわかっているが、それを素直に「ありがとう」と受け取れるほど、アルマも素直な心持ちの人間ではなかった。  無情になんの前触れもなく、妖精に全てを奪われたのだ。あのときたまたまフィールドワークに出ていたテルフォード教授に出会えたのは運以外のなにものでもなく、もしそのまま自警団の元にいたら、最悪教会に押し込められて一生を終えていたのだから、妖精を恨んでも仕方がない。  そして肝心の妖精はというと、自分が人生を奪って成り代わった相手についてなにも覚えていなかった。それにも腹に据えかねている上、その妖精は自分の幼馴染にぞっこんだったのだから、我慢がならなかった。  ……かつての幼馴染の前で、さんざん汚いものをぶつけて、彼の綺麗な想い出に泥を塗ってしまったのだから、向こうだってもう二度と会いたくないだろう。ふてぶてしいアルマにも、わずかばかりの羞恥心は存在する。恥知らずに「私はあなたの幼馴染なの、また仲良くしましょう」とは言えなかった。  幸いにも普通科と召喚科は校舎が違うし、寮に戻るタイミングさえ考えれば、男子寮と女子寮、学年すら違うのだからもう会わない。そう思って行動をしているというのに。  アルマが食堂を出て中庭を横切っている中、平凡な黒い髪が揺れているのが見えた。  ルーサーがあからさまに誰かを探しているのが目に留まったのだ。  今まではあれだけ女の子に取り囲まれていたというのに、妖精を殺したせいか、すっかりと平々凡々な男子生徒に戻っている。  アルマはこそこそと中庭の木々を盾にして、そのまま召喚科の校舎に入ろうとしたが。間違って庭木を大きく踏みつけて、ガサリと大きく音を立ててしまった。 「あっ、見つけた。アルマ!」  そう言ってルーサーが駆けてきたのに、彼女は苦虫を噛みつぶした顔をする。 【アルマ ルーサー キライ?】  彼女の肩にレーシーが留まる。それにアルマが【黙れ】と言うと、レーシーはシュンとした様子でしょげ返った。  やがて、ルーサーはアルマを見つけ出した。 「探したよ」 「……ずいぶんと馴れ馴れしいのね?」 「えっと……すみません。もっと先輩として扱ったほうがよかったですか?」 「……別に。同い年でも先輩呼びでも、あなたの好きなように」  本来は同い年だったはずのアルマとルーサーだが、アルマが一年間妖精郷にさらわれた関係で、年の差が生まれてしまっていた。どうも妖精郷と人間界の流れる時間が違うらしい。  だから学年が違うし、今まで先輩のように扱われてきていた。  アルマの可愛げのない態度に、「よかった」とルーサーは破顔した。そのあまりにも普通な対応に、アルマはむくれた顔をする。 「……あなた、私がやったことを見ていて、よく普通でいられるわね?」 「本当に。自分でも怖く思っているんだ……自分の好きって感情は、そんなにたやすく消えるものなのかと」  ルーサーは遠くを見た。彼の視線の先には、石像のあったはずの場所がある。  中庭にあった石化した妖精の石像は、一週間も経たずに砕けてしまった。一部の教授は妖精の研究のために持ち帰ってしまった。テルフォード教授はフィールドワークから帰ってきたら既に妖精の石像はなくなってしまったので、少しだけ悔しそうにしていたが。  アルマは「それで?」と尋ねると、ルーサーは複雑そうに瞳を揺らしながら続ける。 「……ラナを好きだったのは本当なのに、石化した彼女を見ても、全然悲しくなかったんだ。それは自分が壊れているのか、彼女を好きだった気持ちは本当なのかが、自信が持てなくなって」 「好きって感情は、勘違いなんだそうよ?」 「え……?」 「魔法を使えると言うと、たまにあるのよ。惚れ薬や媚薬の生成の依頼」 「ええ……? 受けたことがあるの……?」 「私だって、研究にはお金がかかるもの。研究費稼ぎの一環ですることだってあるわ。これもね、いかに勘違いを持続させるかが鍵になるもの。勘違いを持続させる努力をするんだったら、もうそこには愛しかないわね。だから惚れ薬や媚薬なんかに頼らなくっても上手くいくでしょうし、勘違いをさせるだけさせて、放ったらかしにするんだったら、もう脈がないから諦めたほうがいいのよ」 「ええっと……つまりは……」 「あなたは勘違いに気付けたんだからよかったじゃない。小さい頃の勘違いに。だからあなたの初恋はとうの昔に終わっていた。それでいいんじゃない?」  言いたいことを言って、このままアルマは立ち去ろうとしたが。 「あ、のう、アルマ!」  またもルーサーが呼び止めるので、彼女は振り返った。 「まだなにか?」 「今度の校外学習、泊まるだろう?」 「……そうね」 「一緒に、回らないかな?」 「普通科の子たちはよろしいの?」 「普通科の子たちだって、一緒に回りたい子たちがいるだろうに、気を遣わせたら悪いよ……今、皆には幼馴染に長いこと騙されていた可哀想な子扱いされていて、居心地が悪いから」 「ああ……」  ルーサーは妖精の呪いが解けてしまったことで、もう女の子たちから命の危機を感じるほど迫られるような真似は受けていない。その代わりにラナのことも皆に知られたんだから、いろいろ思うところがあるのだろう。  アルマは考え込む。 「一角獣の角って、結構高いのよ。だから早い者勝ちなの」 「ええっと……?」 「邪魔しなかったらいいわよ?」  そう言った途端に、ルーサーは満面の笑みを浮かべた。 (本当に……私も。この顔にはずっと弱いのね)  思っているが、素直ではないアルマは口にすることがなかった。  オズワルドで全科全学年合同で行う校外学習は、一泊二日、ある村に滞在するものである。  湖畔に存在する村リコヌクレイクには、特定の季節になると一角獣が現れる。一角獣の角は魔法使いたちにとってよだれが出るほど欲しがる魔法薬の素材の内のひとつであり、特定の季節になると、湖の畔で擦り落として角が生え替わる。その落とした角を巡って、魔法使いたちが例年こぞってそれを拾い集める競争を行っていた。  オズワルドでリコヌクレイクで行う学習内容は、その落とした角の回収、落とす一角獣の観察である。  一角獣……特にユニコーンと呼ばれている者は気まぐれな上に、乙女以外には決して心を開かないとされる、妖精郷からやってくる生き物だ。だからオズワルドの女子生徒たちがユニコーンの気を引いて、その間に男子生徒が観察や角の回収を行うというのが恒例行事だった。  このために、ニコヌクレイクの校外学習は、男女ひと組で行わないと話にならなかった。  女子生徒だけではユニコーンに近付くことはできるものの、ユニコーンに邪魔をされて観察や角の回収ができない。男子生徒だけではそもそもユニコーンの機嫌を損ねて鋭い角で刺し殺されかねない。だからふたりひと組が望ましかった。  ちなみにユニコーンの観察は夜間に行われ、昼間は湖の視察や、村の散策、食べ歩きで基本的に自由時間になる。だからニコヌクレイクの校外学習は、別名カップル生成のお泊まりとも言われていた。  ユニコーンに近付けるのは基本的に乙女のみ。それ以外はたとえ女性であっても突き殺されてしまう。乙女かそうじゃないかは、夜になればわかってしまうという、基本的に危険な校外学習でもある。
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