恋愛系呪文

1/1
前へ
/1ページ
次へ
 取り合えず今の私は生きていると言うだけの存在にしかなってない。確かに仕事はそれなりに忙しくてやりがいも有る。けれどなんだか毎日がただ疲れて流れているだけの様な気がする。 「ちょっとこの本どこにありますか?」  街中のチェーンで結構大きな本屋で働いている私は毎日その紙とインクの匂いに包まれていた。  お客さんから聞かれた本は最近話題のエッセイで担当は違っても配置くらいは解るので「こちらです」と案内をしていた。  元々私はそんなに本は好きな方では無かった。文庫を年に二、三冊読む程度で雑誌を暇つぶしに読む方が多い。それなのに本屋で働いているのは学生時代のアルバイトから社員となったから。  もうこの店で働いて五年目になる。ほぼ全ての種類の担当をして今は絵本コーナーを任されているが、これは私には縁遠い。子どもどころか恋人だって随分居ないのだから。 「しいちゃん、すまんねー。サポートしてもらって」  案内をしてレジ前を通り過ぎた時に私に申し訳なさそうな顔をしている人がいる。因みに私の名前は遠見栞なのだが、こんなあだ名彼女しか使わない。  その人は相野花蓮。一年前から働いているのだが、もう随分と昔からの知り合いの様な気分のする相手だった。 「別に良いよ」 「恩返しは忘れんのでな!」  彼女はレジ係でお客さんから良く本の置き場を聞かれるのだが、当人はその場所を良く覚えてないらしいので仕事のフリをして逃げているみたい。次に目に付く絵本コーナーの私がその役目を担っている。本当にその事に関しては文句はない。  店の閉店作業をしてから私は真っすぐに家に帰ろうと思っていた。そんな毎日で帰って缶ビールを開けることくらいしかもう楽しみがない。 「つーかまえたっ!」  楽しそうな声をあげながら私に寄りかかっているのは花蓮ちゃんで、その顔はにこにこしながらも何か考えがある様に思えていた。 「日々あたしのサポートをしてくれるしいちゃんにごはんくらい奢らせてくだせーな」 「だから別に良いって。それに最近疲れてるから家でゆっくりしたい気分なんだ」  彼女は楽しそうにしているのに同年齢な筈の私は存分に疲れてしまっている。最近はその疲れがよりひどい様な気がしていた。 「そんなおばさんの様な事を言わないでよー。楽しい女子会をしましょーよー」 「二人で女子会って寂しくない?」 「良いじゃん。良いじゃん。そんな細かいこと気にしなくてもー。話したい事も有るんですわ!」  やっぱりそういう事なのだろう。そんなことは始めっから解っていた。基本的に花蓮ちゃんは恋バナをするのが好きなんだ。 「お疲れさん。遠見さん、イヤなら断った方が良いよ」  まだ店の前なのでごみ捨てをしていた店長の長野典靖が私たちの事を見て声を掛けてくれた。そこには上司部下だけの関係の言葉ではなかった。まあもちろん私が古株という事も有るのだが、この人は花蓮ちゃんの彼氏だからでもある。  普段ならベッタリな二人なのにこの時、私の背中の彼女は頬を膨らませて黙っていた。大体の話したい事の予想はついてしまった。 「家飲みで良いなら付き合うよ」  もうこうなってしまえば逃げることなんて叶わないので私は外飲みをして彼女が潰れたら面倒なので、私の家で簡単に済ませる様に勧めた。  冬の冷めた部屋に帰るといつも物悲しさだけが有る。そんな事を忘れたいからいつも缶ビールに頼っているのにもうかなり酔わなくなってしまっていた。  しかし今日はそこに明るい人間も居るから悲しみはいつもよりもちょっと減っている。途中の店であてとアルコールを買って抱えている花蓮ちゃんが慣れた印象で私の部屋に上がり込む。こんな事も時折有るので彼女の寝巻きも常備されているくらいだ。 「今、喧嘩中なんだよねー」  やはりこんな事だろうとは思っていた。だから「今度はどんなことで?」と聞くが多々有ることなので私も適当にしか聞かないし、正直どうでも良いような事で二人は喧嘩してるのだ。 「お弁当のごはんがチャーハンだったのがあり得ないって言うんだよ」  本当にどうでも良い。またこの子はどうせ直ぐに仲直りをしてしまうのだろう。しかしまあ、その為には私にグチを言わなくてはならないのだろうことも解っている。だから私はこんなことに付き合うのだ。  一時間以上彼女は店長の文句を言い続けて、随分とその怒りの素が無くなった様だ。その話を聞くためにこっちはビール三缶が必要だったと言うのに。そして言い切ってしまったら彼女はスッキリとした顔をしている。多分明日には仲直りしてるんだろう。その役に立てたのならそれでも良い。 「なーんか、話したりないな。しいちゃんの事も話してよー」  とは言われたところで話す事なんてない。しばし考えてから「特に…」と言うと「なんでも良いからさ」と返事が有ったので最近思う事を聞いてみた。 「なんだか一日が短くて、それで毎日疲れてる気がするんだけど、これって歳かな?」  まあ話す事なんてそのくらいしかない。 「そっか、そーいう事か」  遠く納得した様に腕を組んでいるが、私と違って十分な酔っ払いなので言葉は半分程度にしておく。 「それはしいちゃん、つまんないんだよ」  この言葉には私ははてなマークで答える事しかできなかった。酔っぱらいのたわ言にしても意味が解らないとなるとどうしようもない。  しかし、首をかしげている私に対して彼女はまっすぐに見つめて話を続けた。 「つまり毎日が仕事ばかりで他に楽しみがない。どう? 最近楽しいと思った事なんて有る?」 「子供じゃないんだしそんな毎日が夢の世界とは違うよ」 「そうかなー。あたしは楽しいけど」 「まあ、そうでしょうね」  花蓮ちゃん程毎日の様に彼氏と喧嘩をして仲直りをしていたら退屈する暇なんて無いだろう。それでも私は自分がつまらない人生だとは思ってない。普通にビールは美味しいし、時々は楽しくて笑ってしまうことも有る。 「それはある意味で死んでるのと一緒だよ。毎日適当に仕事で忙しく、それを充実していると思って自分の楽しいことなんて食べ物やお酒くらい。テレビを見て笑うことは有っても心の底から楽しいとは思えない。そんなので生きてますって言える?」 「なるほど、死んでる毎日を過ごしているって事か」 「正直なところどうなの? さっきあたしが言った事が自分の最近の出来事だったんではないのかな?」  スッと話を通り過ごしそうになっていたが、確かに彼女の言う通りなのは自分でもわかっていた。この場は負けを認めるしかない。 「全くその通りでした」 「でしょー!」  私とは違って花蓮ちゃんは本当に楽しそうな顔をしてビールを飲んでいた。恐らく私の予想ではもうすぐ酔いつぶれてしまうだろう。 「と、なると。解決方法は有る?」 「まーかせて! あたしが解決してあげるからお姉さんに任せなさい!」 「うん。私よりも年下だけどね」 「小さな事は気にする出ないよ」  この時にはもう花蓮ちゃんは身振りも大きくなっていて、それは存分に酔っぱらっている証拠でもあった。潰れるまでの秒読み段階だ。 「しいちゃん。恋をしなさい。それが一番簡単な解決方法だじょ」  宣言をして終わりの言葉が怪しくなっていると花蓮ちゃんはストンと座って、クッションにうつ伏せてしまった。これが彼女の酔いつぶれ方だ。こんな物でもちゃんと記憶が有るのだから驚く。  私は簡単に飲み散らかした物を片付け、花蓮ちゃんに毛布を掛けた。そして寒くなったバルコニーに出るとたばこに火をつけた。一日に二、三本しか吸わないけれど、お酒を飲んでしまうとどうしても本数が増えてしまう。更に花蓮ちゃんに言われた事が気になってもう一本追加された。  寒風に紫煙が消えるのを見ながら恋なんて物を考えるとため息が出ていた。  飲んで次の日の朝なんて戦争状態での出勤となる。二人ともが爆睡をしてしまって合言葉の様に「急げ」と言い合って店に向かった。昨日の話の続きなんてできるはずも無い。  朝の作業を若干の二日酔いを残しながら進める。店が開店してもそれは続いていた。まだお客さんも少ない午前中の時間は新刊を並べ終えると一段落する。のんびりとできる時間でもある。  私が担当の棚を全て更新して売り場を確認したときだった。児童書や図鑑と絵本しか並んでない私の担当棚に男の人が立っていた。ハッキリ言って怪しい。子連れならまだ有りえる。しかしそんな様子もなく目深に帽子をかぶった男の人が絵本コーナーを眺めていた。 「すいません」  私が監視をする様にその人の事を見ていると、あちらから声を掛けられた。「はい。どうかしましたか?」と近づくとその男は一冊の絵本を指示していた。 「このポップは誰が書いたんですか?」  それは絵本につけられたポップで「全世代の人に読んでもらいたい作品です」と普通は子供用の絵本にこんな事はしないのだが、その絵本は勉強の為に目に留まったものを読んだ私が良い本だと思って、小説コーナー担当だった事を生かして手書きで付けたものだった。 「えーっと、それは私が付けたものでお勧めになります」  彼がどういう意味合いで話しているのかわからないので取り合えず普通に接客を進めた。  するとこの男はジーっと私の事を見詰めると驚いた顔になった。 「遠見じゃないのか?」 「はいっ?」  急に呼ばれたので意味不明で怪訝な顔をして聞き直してしまった。 「俺、本野。憶えてない?」  その名前は記憶に有った。本野勇、大学時代にサークルが同じでずっとつるんでいた者たちの一員だった。  しかし、私の知っている本野は暗い雰囲気が有っていつも人と離れて居るような人間で、こんな風に知人を見つけたところで声を掛ける人間では無いような気がした。 「本当に本野?」 「俺の偽物でもいるの?」 「そうじゃなくて、見違えたから」  なんかあの頃よりも彼はニコニコと良く笑っている気がしていた。 「懐かしいな。こんなところに居たんだ」  まあ、大学からも離れて居るし、彼と連絡を取った事なんて卒業以来は無い。こんなところで会うのは奇跡の再会でも有るといえる。 「えっと、久しぶりだね。元気だった?」  今更話すことなんてなかったのでちょっと困ってしまって、取り合えず当たり障りのない会話というものを話してしまった。  それは彼にも分かった様子で「ゴメン、仕事中なんだよな」と言うと彼はカバンから名刺を取り出した。 「実はこの本は俺が描いてるんだ。褒められてたから嬉しくて」 「そうなの? ふーん、本野くんって昔っからイラストとか得意だったから意外でもないかな。おっと、こういう時は店長に任せないと」  確かに昔はサークルのメンバーで集まってもイラストや似顔絵なんかを描いていて、なんだか私はそれを見ているのが好きだったから彼とは良く話していた気がしていた。  それと同時に著者だから責任者が対応するべきと逃げるわけではないのだけれど、店長を呼んで私はその場を離れた。  もちろんそんな様子をレジの方から見ていた人間に捕まるのは必須だった。 「ちょいと、しいちゃんや。昨日の事をもう実践してるのかい?」  直ぐにそんな事を花蓮ちゃんが言うので「?」と私が一瞬黙ってしまうと彼女はため息をついていた。 「退屈には恋愛が一番だよ」 「潰れかけだったのに良く覚えてるね。んー、本野くんは相手じゃないでしょ。友達だよ」 「フツーにカッコイイし良いんでないのかい?」 「でも、昔私じゃない人が好きだって聞いたことが有るから」 「昔の事は忘れるのじゃよ」  その時にレジにお客さんが現れたので二人とも仕事に戻った。  彼の方は店長と休憩室の方へ移動して長らく話をしている様子。その間はずっと私は学生時代の事を思い出していた。  あの頃は本当に楽しかった。毎日が楽しみで明日の事でワクワクしていた記憶が有る。そんな風に思うと、確かに今の私は生きながらにして死んでいるのかもしれない。  休憩時間になって店長が戻らないので誰も休憩を取れないので古株の私が催促する事になってしまった。休憩室ではまだ店長と本野くんが話していた。どちらかと言うと店長の方が質問をしている様子。 「ちょっと店長。作家さんも忙しいんでしょうから引き止めちゃ悪いですよ。それに自分の仕事もお願いします」 「ごめんなさい。ところで遠見さんと本野さんは古い知り合いらしいんだってね」  普通にそのくらいは話題として話すだろうことは予想されていたので「はい」とだけ簡単に答えて店長を急かした。 「ホラ、昔馴染みの積もる話も有るんだから二人っきりにしてあげないと!」  そんなところに現れたのは花蓮ちゃんでウインクなんてしているのでどういう作戦なのかは理解ができた。  しかし、店長は天然なのか「それはそうだね」と私と彼だけを残して消えてしまった。  それからは気まずい時間が流れそうにもなったのだが、あまりそうではなかった。たどたどしく話し始めるとすぐに昔話に花を咲かせ、続いて近況報告的な話題も進んですっかり楽しくなっていた。 「ヤバッ! もうこんな時間。休憩どころじゃないよー」  ふと時計を見るとかなりの時間が過ぎていたので慌てた私に「じゃあ、俺もおいとまするよ」と彼も席を立って店を出てしまった。  店長はしっかりと本野くんからサインをもらっていたので、目立つようにレジ前に平積みで絵本をサインと並べると張り切っていた。もちろんそのレイアウトは担当の私の仕事になってしまった。  一日がそれから終わってなんだかいつもよりちょっと楽しかった時間が過ぎて退勤時間になった。アルバイトでもフルタイムだから花蓮ちゃんと一緒の時間の帰りになるので、 「彼とは連絡先交換くらいはしたのかニャー」  私の肩に捕まって彼女がニコニコとしていたけれど、その時に「そうか!」と思った私がいた。 「おっと、そういえばそんな事も忘れてた」 「しいちゃんは恋愛脳をもってないのか。ならあたしが名刺を奪取して連絡先をゲットするぞー!」  残念そうに語り始めた花蓮ちゃんだったが懲りない様子で腕を振り上げていた。 「必要ないから。それに名刺には出版社の番号とかしかないんじゃないの?」 「必要だし、もしかしたらって事も有るでしょ!」  暴れる彼女の事を捕まえながら店を出ようとすると「楽しくなかったの?」と聞かれてしまった。 「楽しかった」  呟くように返した言葉は本心だった。彼と話していた時間はとても楽しかった。これまでの日々がどれだけ退屈なものだったかを証明するくらいに。 「じゃあ、やはり恋に発展させなきゃ。いつまで死んでるつもり? 復活の呪文は知ってるでしょ」  彼女の言う通りなのかもしれない。本野くんの事はどうとも思ってないつもりだった。けれどそれは自分にうそをついていたのかもしれない。良い人だというのは認識していたし、話していて退屈しないのも知っていた。 「ちょっと考えてみようかな」 「じゃ、やっぱり善は急げだ!」 「まだ急がなくて良いから」  彼女が冗談なのか本当にそうしようとしているのかは解らないが、私は取り合えず今は時間が欲しかったので彼女の事を引きずって搬入口から外に出た。  ドアを開けるといつもと違うドシンとした衝撃があった。不思議に思って私と花蓮ちゃんがドアの反対側を見ると、そこには本野くんが座っていて頭をぶつけた様に痛がっていた。 「あたし、用事が有るんだった! しいちゃん頑張ってね!」  脱兎の如くとはこのことだろう。花蓮ちゃんはすぐに姿を消してしまって私と本野だけがその場に残された。 「もしかして待ってたの?」 「他の用事を終わらしてもう君が帰る頃かと思って戻ったんだ」 「ふーん、ケガしてない?」  まだ痛そうに頭を押さえているので私は一応様子を診た。彼の髪や上着はしんと冷えている。結構待ったという事だろう。 「別にどうって事ないよ」  照れた様に私の手を払って彼はにこやかに笑っていた。その笑顔に私もつられて笑いそうになって、その姿をこれから見て居たいと思ってしまった。 「ちょっと話が有るんだけど聞いてくれる?」  私はあの呪文を言おうと思っていた。しかし「俺からも言いたいことがあるんだ」と言われて遮られてしまった。 「君の事が好きなんだけど付き合ってくれない」  驚いたがそれが呪文だと思っていた言葉なのに自分で唱えなくても叶っていた。  おわり
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!

6人が本棚に入れています
本棚に追加