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千佳にしてみれば恐ろしい光景だったが、白崎の態度をみていると珍しいことでもないらしい。そして何事もなかったかのように白崎は話を続ける。
「どうかな? 決めてくれました? 僕は是非とも君に、うちで働いてほしいんだ。仕事のサポートをしてほしい」
白崎に笑いかけられて少々くらっときたが、はい、とすぐに首を縦にふるわけにはいかない。
「サポートなんて、無理だと思います。私、何の取り柄もないし……」
「いや、いいんだ。難しい仕事なんて何もない。とにかく僕は君の顔がとても気に入ったんだ! 君は、僕のそばにいてくれるだけでいい!」
僕のそばにいてくれるだけでいい。
一度は言われてみたかった台詞を、こんなところでこんな人に言われてしまった。これが愛の告白なら、どれほどいいだろう! だが、実際は家政婦になってくれと頼みこまれているだけだ。
家政婦として働く誘い文句で、こんな甘い言葉を向けられた人はこの世で何人いるだろう。複雑な心境だ。
はたから見ればかなり滑稽な場面であるし、いっそ冗談だと言われた方が心が落ち着くかもしれない。
「僕は、運命じゃないかな、とすら思うんだよ、西山さん。こんなチャンスを逃したくない!」
白崎がずいずい前に乗り出してくるので、千佳は赤面しながら後ろに下がる。
否か応か、返事をしなくてはならないが、いつも以上に頭が回らない。
好きとか、そばにいるだけでいいとか、運命とか、まるで言い寄られているみたいで、心臓が勘違いして鼓動を速めている。
千佳が答えに窮していたその時だった。
「……納得いきません!」
一度落ち着いたように見えた小早川が、再び大声をあげた。立ち上がりはしなかったが、デスクの上で拳をかためている。
今度は何が気に障ったのかと千佳は首をすくめた。
「白崎先生、僕はわかりません! どうして、こんな……」
言いかけ、小早川はちらりと千佳を一瞥する。
「西山さん。僕は今から、あなたが大変不愉快に感じることを言うかもしれませんので、お聞きにならない方がいいでしょう。耳を塞いで下さい」
そう忠告された千佳は、「はあ」と言って素直に耳を塞いだ。それを確認した小早川は白崎に向き直る。
「白崎先生。どうしてこんな顔がいいんですか! この顔のどこがいいんですか! 美人というほどでもないし、どこにでもいる、平均的な顔立ちじゃないですか! 並みですよ、並みの顔だ!」
「酷い!」
千佳は耳から手を離して声をあげた。
「そんな言い方あんまりじゃないですか!」
「だから聞くなと言ったでしょう。あらかじめ断ったはずですよ」
「だってあなたの声が大きいから、耳塞いでも聞こえちゃうんですよ!」
しかめっ面の小早川は「それは失礼。個人的意見ですので」と早口で謝り、また白崎に話しかける。
「僕にはわかりませんよ、白崎先生」
「そりゃねえ、小早川君。好みっていうのは人それぞれなんだから、理解してくれとは言わないよ。でもね、僕は彼女の顔がとびきり好きなんだ。今まで見てきた人の中で、これほど好みの顔はない」
「どこがいいんですか!」
うーん、と顎に手を当てて白崎は千佳の顔をまじまじとのぞきこむ。
「両目の間の距離が絶妙だ。大きすぎない目と、二重の具合もいいね。鼻も好きだし、口なんて、特に上唇がなんて普通の形なんだろう! 各パーツの配置がたまらない。これといった特徴がないってすごいことだよ。珍しい。変にクセがないから飽きもこない。いつまでも見ていられるよ」とうっとりするように目を細める。
「でも、もっと美人がいるじゃないですか! 何でこの人なんですか!」
小早川が、ほとんど絶望的な声をあげている。
暴言である。これは怒ってもいい。確かに千佳は美人ではない。それは自他ともに認める事実だ。しかし、事実なら声高に叫んでもいいというわけでもないのだ。
だが、小早川は千佳を意図的に貶しているつもりはないようだし(清々しいまでに正直なだけなのだろう)、白崎に恍惚とした顔で見つめられれば、思考は鈍って言葉につまる。
「小早川君。彼女の顔は僕の癒しになる。彼女がうちに来てくれたら、僕の仕事もきっとはかどると思うよ」
「だって、だって……」小早川がまた取り乱し始める。
「僕が何でもやってるじゃないですか! 僕がいるじゃないですか! 僕じゃダメなんですか!」
「君はよくやってくれてるけど、大変じゃないか。見ていてつらいくらい忙しそうだもの。もう一人、家事雑用なんかを手伝ってくれる人がいた方が助かるだろう」
納得がいかないようで、小早川は「どこがいいんだ……」と呟きながらかぶりを振っている。自分に対する否定と肯定の言葉を交互に聞いていると、千佳としてもどんな反応をしていいか悩むところである。
「あー! わからない! 僕にはわからない!」
小早川の中でキャパシティが越える寸前らしく、頭をかきむしらんばかりの様子だ。その元凶は自分のようだし、一抹の申し訳なさはある。無礼な言葉ばかり吐いてはいるが、悲壮感は本物だ。
「あの人は、あなたのことを何も知らないんだ! 僕は、あの人の何倍も、何十倍も白崎先生のことを知っている。それなのに……あなたは、僕より、あんな並みの顔をした女性を……!」
驚きすぎて侮辱を受けても怒りがわかない千佳は、小早川の言動からとある想像をした。そして、黙っていればいいものの、この場の異様な空気にのまれて、ついぽろりと口にしてしまった。
「もしかして、白崎さんと小早川さんって、付き合っているんですか?」
「え?」
「……は?」
白崎は目を丸くし、小早川は愕然としている。場が凍りつくのを肌で感じて、千佳も一気に血の気が引いた。
どうも、勘ぐりすぎたらしい。
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